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学ぶことと家族で過ごすことは重ねられるのか【『学び合い』北信の会】

『学び合い』長野市の会に参加しました。

上越から下道でも1時間強、個人的には隣町の感覚です。
今日はご迷惑になることを顧みず、家族総出で参加させてもらいました。
何人もの参会者の方に子どもたちは面倒を見てもらい、恐縮でした。
初めましての方も、画面上で一方的に知っている方も、お馴染みの方もさまざまな方とちょっとずつお話ができました。

なぜ、家族で行ったか

というと、「家族」と「学び」の両立があってもいいのではと考えたからです。
これまで「家族」「学び」のどちらかを選択しなければならないと考えて生きてきました。
自分の『』実践歴は子どもが生まれ育った期間とほとんど重なっており、なかなか遠出をしたり、普段会えない方と顔を合わせたりすることが難しい状況でした。
そのうちコロナ期間に入り、ネットでの交流は増えたものの、直接人とあって話すのは難しい状況が続きました。
昨年からの行脚で、顔を見て熱を交換する意義を再確認し、なんとかここをクリアしたいという思いが沸々と湧いています。

ライフキャリアレインボー

D.E.スーパーの提唱する「ライフキャリアレインボー」という考え方があります。

ライフキャリアレインボーとは?人生の役割をキャリアとして考える(ミツカリ, https://mitsucari.com/blog/lifecareer_rainbow/)

「ライフ・キャリア・レインボー(Life-Career Rainbow)」は、ドナルド・E・スーパー(Donald E. Super)によるキャリア開発理論であり、彼の「ライフ・スパン、ライフ・スペース理論」または「ライフ・キャリア・レインボー」とも呼ばれています。この理論では、個人のキャリア発達が一生を通じて進行し、さまざまなライフロールとステージを含むとされています。

スーパーの理論では、人々は成長、探索、確立、維持、衰退のステージを経てキャリアを発展させるとされています。また、個人は複数のライフロール(例:労働者、家族の一員、地域の一員など)を持ち、これらのライフロールはキャリアの選択や満足度に影響を与えるとされています。

「ライフ・キャリア・レインボー」という用語自体は、スーパーの理論や研究と直接的に関連しているものではありませんが、この用語はスーパーの理論のビジュアル表現を指すことがあります。レインボーの各色が、個人が人生の中で進むさまざまなライフロールを表現しています。

chatGPT

ありがとうOpenAI!

ここで描かれるようなキャリア上の各々の役割も、境界が曖昧であって良い、むしろその方が自分の幸福に近づくという感覚があります。
(提唱されて半世紀以上経ってますし)

さらには院入学後の経験からの学び、「多種多様な人との繋がりを持つこと」「自身と周囲を良くするために行動し続けること」を掛け算すると、「学び」と「家族」を分けるということ自体がナンセンスにさえ感じるわけです。

家族と学習会に参加する実際

地元ではない地で、そしてさまざまなフィールドで活躍している方と会うのはとても有意義でした。
さまざまな企みや、計画の相談もすることができました。

とはいえ、課題もあります。
今日は単身で行った場合より、参会者の方との関わりは薄いですし、過去の直江津の会で子どもを連れた際は途中で飽きてしまった子らをそのままにして迷惑になることも気になりました。アウェイ感ある妻の表情も気になるし…。(『』の考え方で実践している保育士なので多分話はできるはず)

しかし、私がそう感じたということは、本会に泣く泣く不参加の方、家族を置いて参加した方にはその辺りの懸念があったことも推察されます。
この年代の子どもを持つ親ならではなのかもしれません。
逆に、その「ならでは」を活かした設計ができるのは当事者だけかなとも思うわけです。

この辺りのヒントをたくさんいただいて、また考えていきたいわけです。

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