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スマホのアプリすらインストールできない男、あるいはホビーパソコンの頃 後編

理想

前回FM TOWNSのMS-DOSがFMR互換だと書いたがDOSツールやアプリには機種依存のないものもあった。DOS汎用というものだ。特によく利用していたのはLHA.EXEやISH.COMなどの必須ツールで、他にもいくらかのなくてはならないものがあった。システムは違うが例えば同じような思想では、ゲームでもフルテキストアドベンチャーのZORKとかはCP/Mで動くものもあって、そういう土壌はあった。しかし機種のBIOSやグラフィックを利用するとなると個別の違いになってしまうので、個々の性能を活かすことと互換性は両立できない。TOWNSの場合はその分TownsOSがあったが、そのホビー性に満足していたものの、もっと世界を知ることのできる構成のマジンのはずだった。ブートし直すのが面倒なのではない、パソコン通信が現実となっていた頃、世界の様々なツールやアプリをただ使いたい、同じDOSなのだから、と。そういう理想を描けたシステムだったし、その一つがFMR互換のMS-DOSだったが、それ以上にその世界を実現きるようなOSがやってくる。それがMS-Windows 3.xだった。

Widows 3.x

Microsoft WindowsはPC-9801シリーズにWindows 2.1も出ていたが普及してなかったし、それは日本だけではなく世界的にも同様だったようだ。海外の動向として2.xなども雑誌には取り上げられたりしていたが普及はしていなかった。しかしWindoes 3.xはWindows 3.0からの普及もあって、Windows 3.1は爆発的普及といってもいい状況だった。しかもFM TOWNSには専用のWindows 3.0 with Multimedia Extensionsが発売された。FM TOWNSには大容量、大量生産可能なCD-ROMというメディアがあり、SCSI標準装備というホビーパソコンとしては素晴らしいものだったので、Windows MMEとは相性がよかった。後々それらにより世界中のアプリケーションやツールを利用することができるようになる。CD-ROMというメディアがある必然ということなのでFM TOWNSは当たり前のようにMSCDEX.EXEがROMに載っているという先進性だった。

Windows MMEが利用できるようになり機種依存のないアプリケーションの互換性が保たれ、Win16(後にWin32sも追加された)アプリなら海外のものでもすべて何もせず利用できた。それは世界やその知見が広がったということに他ならない。BIOSや機種に依存しない少し前までは夢のようなことができるようにもなった。しかし同時にOSの複雑化も進んだ。DOSではCONFIG.SYSにデバイスドライバ類を、AUTOEXEC.BATに実行ファイルのパスや環境変数や初期起動アプリなどを記述し実行させていた。しかしWindowsではDOSを実行したうえでさらにWindowsを実行する。しかもWindowsはWindowsでCONFIG.SYSとAUTOEXEC.BATと似たようなもの、system.iniとwin.iniがあった。system.iniはWindowsドライバやフォントファイルなどWindowsを起動するのに必要な情報が記述され、win.iniにはソフトウェアの様々な設定が記述される。これらは現在のレジストリエディタの各項目のSYSTEMやSOFTWAREに相当するのだろう。特に私の問題はwin.iniにあり、後にインストールしたアプリもwin.iniに設定を残したりするので長くなるのが厄介に感じた。現在もそれぞれのアプリやツールがそのディレクトリに自らのiniファイルを作ることもあれば、レジストリにエントリを作り設定を残す場合もあるだろう。そのwin.iniの肥大化やwin.iniの他の項目の書き換え、さらにsystem.iniの書き加え、書き換えなどがあり、それらに頭を悩ませたこともあった。アプリやツールをアンインストールしても設定等が残っているし、それによって不具合が出たこともある。救いはそのファイルが普通のiniファイルのようにテキストファイルだということだった。そこでアプリやツールをインストールしたらバックアップしている過去のものとDiff等のツールを使い見比べて把握する、そういうことを繰り返していた。ここでやっと元の話にたどり着くが、その記憶が現在でも残っていて、あまりアプリをインストールしたくないという漠然とした欲求になっているのだろう。そしてその欲求はある程度システムをコントロールしていないと不具合が起きたときに困る、それが重なり、そうできているのかも分からないのにシステムをコントロールしていないと不安だ、という強迫観念のようなものになっていった。自分で書いてても変な話だが現在もそれに脅かされているようだ。

亡霊

現在私がタブレットやスマホで使っているOSはAndroidだが、それらのデータがどこに保存されるかは分からない。自分が調べていないのだが把握できないので怖いというのもある。もうOSがそこまでブラックボックス化しているので気にしなければいい、それでいいと思う。しかしその過去の亡霊が頭のどこかに存在し踏み切れない。できれば、いや、できるだけ少ないアプリだけインストールしようとする。これはもう病だ。精神病の一種だろう。Androidだって不安定になることもあるし、二、三日に一度は必ず再起動もする。タブレットは毎日再起動しているくらいだ。このような自分をどうすればいいのか、懐かしい記憶もいいものだが、この病は正当なものとは思えない。だが、変わろうとはしていない。こんな自己の忌まわしい縛りで便利なものが利用できないなんて、笑っちゃうが笑えない現実だ。

実際は結論まで三行でまとめられるこの結末。しかしそこに至る過程には過去の甘美で苦悩の体験があった。その時代、そのマシン、その世界。それらを愛しているがゆえディテールを書きたくなる。似たようなその時を共有した人へ伝えたい、そんなのまったく知らない人へ知らせたい。そしてこんな駄文になったのだろう。


*** 蛇足 ***
もっとFM TOWNSの楽しい話を描きたかった。ホビーパソコンとしては最初から完成されていて進化もした。同様にPC-8801や9801、X68000などのことも書きたいという思いがある。PC-9801シリーズはホビーマシンではなかったが結局はオールラウンドのマシンになった。PC-8801はSR以降ホビーマシンの主役だったと思う。X68000はマイコン少年の度肝を抜いた。MZな私もX1もあったが、先ずは広告だけで、スペックだけで酔いしれたものだった。あれがあったからFM TOWNSがああいうものになったと思う。比較して使っていたわけではないが、似たようで違う、どちらも素晴らしいマシンだった。そういうのは別に書きたいと思うけど、もう記憶もあやふやだ。いつか書ければいいな。


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