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コンナ気持ち - 最近何をしたか 8/15-8/25

コンナ気持ち
先月、ちょうど一か月くらい前か、半年ぶりに友達と会食した。住んでいるところは大都市、東京二十三区を除けば日本で五本の指に入る都市。その交通の中心地の駅で待ち合わせ。行きは車で近くまで送ってもらった。久しぶりということもあり駅の周辺をぶらぶらする。家電量販店、駅、駅併設のファッションビル。どこも人、人、人。行く前に"こんなバカなウイルス"(以下コンナと略)が流行っているので人出は少ないかなと思ったが安心した。もう一般向けにワクチン接種も始まっていた頃だ。だが家電量販店のエスカレーターも人が多く、別に気にしたくないのに気にしてしまう。これなんだ。この気持ち。駅の待ち合わせ場所の確認。多い。人の波。これはすごい。まあこの地方全体のハブ駅なので多いのだろうが、駅構内でこれは遠い記憶の普段と変わらない。その後ファッションビルのエスカレーターに向かったが、フロアごとに次のエスカレーターに乗り換える場所が延長してある。大回りをさせて密集しないようにする工夫かな。自分以外はみんなマスク。暑いのに大変だ。レコード屋、書店、服屋を回り待ち合わせ場所に行く。時間は遅れてない。程なく友が現れた。私のマスクなし、見た目おかしいのを見て、相変わらずだね。彼とお店へ向かう。駅の中にある飲食店。端的にいうと居酒屋。その時は緊急事態宣言じゃなかったっけ。多分違ったんだろうな。お店に入り注文をする。大人気のようで夕方にもかかわらず焼き鳥のネタが売り切れている。飲むのは一杯目は生ビール。私は健康の問題でもう飲めないのでノンアル。彼がすかさずコンナの話をし始める。彼はワクチンは現時点では打たないという。しかし奥さんは推進派のようで一度目はもう済ませ、彼にもなぜ摂取しないのと言ってるようだ。キミはどうだ、と聞くのでアルコールも飲めない上に、ひとつではない基礎疾患持ちだからどっちにしても死ぬよという。実際そう思っている。マスクしててもしてなくても感染すれば死ぬ可能性は高い。コンナ以前から感染症になると死ぬよ、と医者にも言われていた。しかし自分以外の人間が全てマスクをしている現在、なぜマスクをしていないオレが感染しないのか。なぜ感染者は増えるのか。運だろうとは分かっている。しかしマスクをしていない罰として罹患したっていいと思うんだ。神はいないね。遅れてもう一人の友人もやってくる。彼は来るなり人多いね、キミ変わらないね。もうお約束か。話に加わった彼はすぐ接種するようだ。仕事の相手に年配の人々が多く、免罪符としても接種しなければならないと言っていた。社会的責任か。その答えが出るのはいつだろう。一か月前の話なので最近はちらほらワクチン接種先進国の状況も出てきた。果たしてそれが社会的責任足るのだろうか。疑問もある。彼らは二杯目から焼酎に切り替える。ボトルを入れ、二人で飲み切るのだ。以前は三人だった。それでは全く足りないけど。しかしそのボトルも売り切れ続出。店側の問題か、それとも週末で人が多く駅構内で昼も開けているから売り切れなのかとか思う。散々選んでまだ売り切れていないボトルを探す。私はずっとノンアルコールビールだ。しかしそれも三本目くらいから売り切れ。しかたないので一人だけ飲まず。彼らはキミはマスクしていないので帰りは電車乗れないんじゃないのかといい、さすがに大丈夫だろと答えた。友の一人はこんな幸せなのは久しぶりだね。という。全くだ。何もかもコンナに支配され、何かをするのも多少なりとも申し訳ない。なぜこんな気持ち。マスクは罹患し発症すればしたらいいじゃないか。どこで誰が罹患するのか分からないのだから自由にさせればいい。いや、この幸せな時間を後ろめたくさせるもの。それは人だね。この時間は全くの不要不急ではない。人間の生活にとって大切で必要なものなんだ。それを分かっているのにこの後ろめたさ。彼らは結構酔った。昔なら私が一番飲んでいたけど幸せ気分の友人を見るのもいい。帰りはもちろん電車。当たり前だが何もなく普通に乗車し帰った。もちろん私以外の乗車人員は全員マスクをしていたようだけど。エアゾル感染が主と判明した現在いつ罹患するかは分からない。その友人と飲んでいた頃ワクチン接種先進国は感染者がうなぎ上りという警鐘を鳴らしていた人もいた。それと現在と関係があるのかは分からないが感染者は増えている。私はまた死に近づいている。帰り際にまたなといった彼らの顔を忘れないだろう。そんな気持ち。コンナ気持ち。さあ、次は冬の温泉だ。


びよーん感覚

天体観測も季節が変わるのも、満月やしずくが水面に落ちるのもいつものこと。そこに立っていて見ていて通り過ぎていて感じていて耳を傾けている。落ち着いている時も叫んでいる時も同じような。そんな感じ。すぐ近くにあるものを遠く感じている。そういう視点でも見ている。新幹線のスピードとか、草木の成長とかね。明日はすぐそこなのに見つめると霧がかかっていてよく見えない。でも見つめている。そういう感覚。あるのかな。


狭箱無限界

自分の中でChiptuneというとゲーム音楽であり、Aminetの4-matさんであり、VORCのhallyさんである。その中でゲーム音楽は子供の頃から身近にあって、それをChiptuneとは言わなかったけどゲーム音楽はゲームセンターで触れる当たり前の音楽、狭い箱の中の無限の世界、そんな感じだった。それがレコードになりソノシートになり聞けたときの喜び。自分ではゲームセンターで到達できなかった面の音楽を知ったり世界が広がった。家庭用ゲーム機でもそれらを体験できた喜び。DEMOという世界を知り、Chiptuneを知り世界が広がった現実。そういう指向の人間なんだなと改めて思う。

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