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街の選曲家#ZZ1Z11

ふと考えた。今年もたくさんの音楽を聞いた。子供のころから時間が経ち、アレコレ衝撃的なことも起こる。そして、あまり意味はないがこうやって伝えたいことを伝えようともしている。どっちにしても思うのは音楽があるということ。それだけでいいし、それが当たり前だったりする。それがない世界なんてあるわけはないけど、どっちにしても音楽は人間の生きてゆく上での一助となっている。それをしみじみと感じた。


Train - androp

andropは例によってサブスクのリコメンド、若しくは検索によって知った。そういうものを利用していれば、さまざまな候補が表示され、どれを選ぶかを考える。先ずは聞いてみるが、それ以外のファクターも随分とある。そういうのは誰でもあると思うが、バンドのビジュアル、それ以外のジャケットなどのデザインとかもある。私とってandropが目に留まったのはアルバムやEP、シングルのジャケットのデザインだった。それらはシンボリックな意味としてもその曲やバンドを表していると思う。そしてそのサブスクにあったandropのジャケットのデザインは、バンドのロゴとバンド名、それ以外は幾何学的な模様が多く興味深いものだった。その興味からサブスクのバンドページを見てみれば、そういうジャケットばかりいくつかあり目に留まった。

もちろんその前に曲は何曲か聞いていた。オルタナティブロックとかインディーロックといった風情なのに、ボーカルの声がやさしくハードな演奏の中でも自由自在に泳いでいて、歌という奏でている音だと思える。この曲の演奏もドラムやベースもしっかりしていて激しい、そしてギターも同様で激しく止まらずに鳴り続ける。その中でボーカルが伸びやかに泳いでいて、見える、見せる世界を淡々と主張し、コーラスのように聞こえるキーボードとともに混沌の中の異世界を表す、しかもそれらの音すべては裏でも表でもなく一体化している。andropの曲にはさまざまな表現力が存在し、さまざまな側面があると思えるが、この曲は上記のように感じてしまう。そういうバンド、そういう存在だと思う。


恋のダウンタウン - 平山三紀

またいつものように昭和歌謡だ。いつもなにかないかとつらつら探していたりするのだが、当時リアルタイムではなくても聞いた歌やヒットソングからたどると、自分に合った好きなものにたどり着けたりする。平山三紀さんは有名で、真夏の出来事という大ヒットソングは一定以上の年齢の誰もが知っているだろうけど、この曲も彼女らしい曲と思える。曲の多くを橋本淳さんと筒美京平さんが手掛けていて安心できるような感じ。私には筒美京平さんが大きい。そして聞くと分かるが、当時も今も彼女の歌は特異だった。ハスキーボイスや鼻にかかったような声、それが一番の特徴であり、そして彼女から発する斜に構えたような少し不良っぽい歌い方、それらの特徴も含め王道とは少し違う最高の大ヒットソングが生まれたのではないかと思えるほどだ。

この曲は真夏の出来事よりもアップテンポで、鼻にかかったような声はあまり感じないが特有のハスキーボイスは顕在で、しかもしっかりと声が出ているのにどこか投げやりな歌い方はこの曲の世界を表現するのに十分だ。ドラムやベースと、特徴的なリフのあるギターに加えて、ホーンやストリングスといったオケも豪華だと思う。こういうゴージャスでいて普通な曲を、当たり前のように歌謡曲として聞いていた。そういう時代もいいものだったな、と思わないではいられない。もちろん自分の好みもあるが、そういう気持ちは今なお大きい。昭和歌謡はずっと聞いていたいジャンルとも思えるし、その中でもこの曲は、いやこの曲も珠玉の作品だと思う。


Triumph - Gaijin Games

この曲はGaijin GamesのBIT.TRIPシリーズのひとつ、BIT.TRIP RUNNERのサウンドトラックからの曲だ。上の昭和歌謡と同じようにつらつらとchiptuneを探している中で発見した。先ずキャッチーなジャケットに目を引かれ、なんとなくかっこいいとか思いつつ曲を見てみるとfeat. Anamanaguchiとあり、まずは聞いてみようと思い、聞いてみて好きになった。ゲーム自体は私が能動的に所有していた最後の機種のXbox 360のLIVEアーケードにて続編のリリースがあったみたいだが、この存在を知らなかった。リリースされていたWiiやDSは近くにあったが、自分が能動的に使用していたわけでもないし、気にもならなかった。そこは残念だ。話を聞くと音ゲーの皮を被った過酷な覚えゲーのようだ。しかしなにか面白さの決め手があれば過酷さもマゾヒストの養分となってしまう。なんとなくそんなことを思った。PCでもリリースされているが私は基本的にPCではゲームはしない。だがSteamもあり、これから古いゲームをするのもいいかな、と思っている。

ゲームやゲーム機の話になると無駄に膨らんでくるので閑話休題。厳密にこの曲のことを言えばchiptuneというわけではないのだろう。このアルバムにfeaturingしているAnamanaguchiと同じように、チップ音源的なものと既存の楽器を組み合わせて膨らみを持たせている。そしてそれは8bitというか、chiptuneの質感を損なわないようなアレンジになっていて、生ビアノが鳴っていたとしてもchiptuneのそれを引きずっている。この曲がゲームにおいてどんな場面で使われてるのかは分からないが、私にとって満足度は高い。いや、このアルバム全体がそうで、もちろん私の違うプレイリストにはこのアルバムから他の曲も入っている。現在Gaijin GamesはChoice Provisionsと名を変えているが、デベロッパーとしては活動しているようで、調べたらなんと今年、Bit.Trip Rerunner + Runner Makerなるものをリリースしているようだ。彼らの根底にはチップチューンへの愛や、いわゆる8bitゲームへのリスペクトが感じられるのは言うまでもなく、環境さえ許せばプレイしてみようかなと思ったりしている。


G.W.D - THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

やってきた。避けては通れない道、言いたいこと、感触、恩恵。いいや、もっとある。それは今年ボーカルだったチバユウスケさんが記憶の世界に旅立ったTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのことだ。彼らを知ったのはTRIADというレーベルのおかけだった。私は細野さんのノンスタンダードレーベル時代からピチカートファイブを聞いていたのでTRIADに親近感があった。そのレーベルのつながりで知ったバンドということだ。こういうのはYMOの時代からあったことで、YMOの頃からアルファレコードのつながりでシーナ&ザ・ロケッツに出会ったり、他にも似たようなことはある。決して類は友を呼ぶではないのだが、同じレーベルというくくりに気になるバンドやアーティストがいるかもしれない、それはただの偶然の近道かもしれないが、傾向はあると思っている。一番憶えているのは見慣れたTRIADのレーベルのロゴに女性の横顔が描かれてたのだが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの場合はそれがスカルだったということだ。いや、それ以前に世界の終わりを聞いていたので、ロゴがそうなったときには納得のレーベルロゴの変化とも思った。その遊び心も好きだが、彼らのロックに対する情熱は聞いた瞬間に分かるから、たとえ彼らがかかわっていなくてもそれをビジュアルで表すにはとてもいい表現だった。

今回はG.W.Dについて書いているが、実際はそれ以前に聞いたもの、それ以降聞いたものでたくさん素晴らしいものもある。だから実際どれを選んでいいか分からない。だがこの曲、G.W.Dのインパクトは大きかった。先ず上記の世界の終わりから聞いてライブ音源も含め、こころにも体にも響くものばかりだ。さまざまなジャンルのロックも含め、いろいろなジャンルの音源を聞くが、一方ではビッグバンドの曲に感心し、またこういう四ピースロックバンドのドラムスとベース、ギター二本と声で十分すぎるとも思うのだ。最小限とは思えず十分すぎるのである。それは前述のchiptuneとも似ていて、初期のchipだとPSG三声とノイズだけでも感情に訴える曲は多数存在するように。そしてこの曲もドラムもベースもギターも歌もすべてからパワーがほとばしり、聞くだけではなく体で浴びたくなってしまう。私は彼らのライブには行ったことはなのが残念でたまらない。そういう衝撃だ。体験しないと意味はない、音源も発売されているからそうじゃないと思いたいが、実際はそうだとも思う。解散してしまったし、アベフトシさんのこともあった。だから今では手が届くこともない感覚を過去に体験できていないのはとても残念に思う。

私が彼らの曲に出会った頃に地元に帰って正月を迎えた、そのときの地方紙の正月版の芸能特集に大きくTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが取り上げられていたのを憶えている。地方紙とはいえ新聞に取り上げられたことを不思議に感じたが、アベフトシさんとウエノコウジさんの地元だったからだ。そうして時間が経ち、ある日アベフトシさんの訃報が耳に入った。あのずっと聞いていたい凄すぎるカッティングのアベフトシさんがもういない、と、そう思ったときは不思議だった、音はあるので現実感がないのだ。それにもう再結成もできないし、もうあのギターが蘇ることはない。そして今回のチバユウスケさんの訃報。彼は音楽も含めその後もさまざまなメディアで活躍を目にしていた。私が立ち読みも含めよく見ていたSENSEというストリート系のファッション誌にもよく登場していた。そんな場所でも活躍を目にし続けていただけに今でも信じられないという気持ちは大きい。アベフトシさんも早世だとしか思えないが、チバユウスケさんも早すぎる。こういう気持ちはどういうものだろうか。ただ単に彼らの残してくれた音楽を聞いてゆく、それは分かっている、だが、この喪失感はすぐに消えるものではない。今年はいろいろあったから。だから最後はこういうパンクロックともいえるロックを聞いて終わりたい。



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