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不感、敏感、重要な関わり - 最近何をしたか 8/1-8/11

不感、敏感、重要な関わり
基本的に不感症なのであまり感じない。世の中のセンシティブな人はいいね、と思う。色々なものを感じることができれば色々な思いをめぐらせることができる。小さいことに大きな感情を揺さぶられ思いをめぐらせる。大きなものに衝撃を受け粉々になった思いはさらにそれぞれの思いに分化する。その小さなものたちからあれこれと感じることができれば。それは有意義で刺激的なことかもしれない。ふと親の死に目に会えないということを考えた。親の死に目にあえないとどうだというのか。そんなに今際の際が大切か。そんなことを思って、あ、違う、とやっと思った。長年この世にいてやっとね。親の死に目に会えない、会いたいのはこちら側の欲求だけではなく、あちらに寄り添う気持ちなんだ。単に一人で逝かせたくないんだな。できる限りの安心の中で旅立ってほしい。そういう事なのかなと。私自身も昔そういうことがあったが、自分はそういう心でいられなかったな。会えなくてもいい。心に思いがあればいい。そんな事だけを思って、そんな事を考えもしなかった。いや、つい最近までもね。誰に教えられたわけでもないが、敬愛する人と人との膨大な時間を過ごし、たくさんのやり取りをして、そんな話も出ないのだけど、まわりまわって気づかせてもらえた。とんだ子供だ。何もわかってない人間が大人であるわけでもなく、大人とも思ってなかったし思えるはずもなかった。自分のことは信じている。それくらいないとね。でも人との関わりが重要なのはこれに止まらず様々なことでもそう思えてた。それが幸せな部分かもしれない。特に不感症の自分にとっては。センシティブな人との関わりにおいて引き上げられてゆくような、そんな感覚。すべてにおいてじゃないけどね。だからいつも話してくれるあなたにはありがとうと言いたいな。


こころを描くと

美しいものを目の前にして何を感じられただろう。美しさを表現するのにはどうすればいいのだろう。こころに何が必要か。思いのままを伝えればそれでいいのかな。見えるものが人によって違うようだ。それならば、それならば思いのままを伝えたい。そしてみんなに知らせたい。そうするとそれは誰もが知ってる存在になるのかな。でもそこに、どうしてたどり着いたのか。所詮私たちは北と南。会える頃には赤道直下。分からないのでそういうことにしているだけ。やっぱりそこら辺はよく分からない。こころのままを伝えられるかな。


揺れる動作

振り子は揺れている。大きく小さく。その都度違う振れ幅、形で揺れている。そこにとても大きな振り子が現れる。大きな振り子には大きな重力が存在するので今まで振れていた振り子に影響を及ぼす。自分が立っている場所がその振り子らだったら、回りにたくさん存在する振り子に気づくかな。大きな振り子に立っていてそこに寝転がり振り子にしがみつく。大いなる振り子を抱きしめる。小さな振り子たちを手に握り進んでいきたい。色々な時を過ごしていることに気づくだろうか。すべてをおしなべて愛するわけではない。大きければ影響力も大きく心酔してしまうかも。でもそれでいい。それが人生のリズムだ。

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