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嫌な気分 - 最近何をしたか 8/21-8/31

嫌な気分

自分の打たれ弱さを痛感する。コロナ以降もずっと通っているショッピングモールで警備員さんにマスクを指摘された。以前同じようにweekendにて貧乏チェアのことを書いたモールだ。いつもと同じように貧乏チェアに座ってスマホを見たり書いたりしていた。そこに警備員さんがやってきたのだ。前に書いた時にも警備員さんのことには触れている。いつも何人かの警備員さんを見かけ、何人かは会釈をする程度だ。その何人かのうちの彼だった。いつものようにイヤフォンをしていたので彼はゼスチャーでマスクについて尋ねたようだった。私はすぐにイヤフォンは外すので聞けば、マスクはしないのかということだった。上記のように彼とは会釈したりすることはあったが、昨日今日ではない。彼はずっと言いだせなかったのだろうか。それにしては平気そうだった。貧乏チェアは別としても、もうずっとそこに行っているので、それはお願いで義務ではないですよね?とか、和やかに話したが、彼はお願いでも指摘しないといけない立場らしく、来るのを?遠慮してほしいという。感染症の流行前からずっと行っていて一度も言われたことはないが、そうなのか、とも思う。そしてとても嫌な気分になる。この気分はどうしてだろう。すぐにそう思った。お願いなのに来店はご遠慮してくださいという理由が分からないからだ。どうしても宙ぶらりんのような感じだった。

そういうこともあり、そのモールにはもう来るまいとも思ったが、その店のプリペイドを利用している。せめてそれは最後まで利用したい。それにお願いと義務の問題も疑問だった。仕方なくインフォメーションセンターで確認する。店側はお願いだけとのこと。私は明確に来ていいのか来て悪いのか聞きたかったので問うたが、返事は曖昧。回りくどい話を聞き、どう考えても来てもいいとしか判断できないという結論に達した。そしてインフォメーションセンターの人は警備員さんとの悶着でもないが、やりとりを上に伝えますという、しかしそれは伝えなくていいと。とっさに思ったのは、それで警備員さんの立場が悪くなるとするならばとても困るということだった。こういうのはとてもおこがましいのだろうか。そのことを考え更に嫌な気分になる。今より遠くて面倒だがプリペイドは他の店で使おうかとも考えている。

そしてその帰りにエレベータで手押し車のおばあさんに何でもないことで感謝される。それは単純な普通のことで感謝されることでもない。だけどその感謝がこの問題とのコントラストを際立たせ、マスクしてない私の感謝された行為も、そのおばあさんにとっては悪いことなのかなと思ってしまう。
誰とも話さずモールに設置してある椅子にてスマホを見ているだけだった。食品等も買うが人と話すことは先ずない。だからこの二年何も言われなかったけど、小心者の私はその店に行きにくくなった。いつも専門店街が開くまで、その椅子に座って三十分程度スマホを見たり書いたりしていた。それは目立つのだろう。残念だ。だが基本的に小心者だから問題なだけで、気にしなければいいのだろうとも思う。だがそれは今のところは無理だ。そしてあれから二日、そこには行けてない。

この嫌な気分は正当なものなのか、現在でもTwitter等ではマスクをしない意見のリプライに、迷惑だの人のことを考えてないだのと書いている人もいる。だが同じようにマスクをしない人間も嫌な思いはするのだ。その人たちはマスクをすれば済むことで簡単なこと言うのだろう、しかし私という個人はしたくはないのだ。そんなことだけでマスクをする人は息が苦しくないのかと疑問だ。予防効果なんてこの感染症以前からないと考えている。現状を見れば分かるだろう。しなかった場合にはもっと酷いことになっていたという架空の話はいらない。インフルエンザの頃からでも普通の風邪の頃からでも、罹患したり咳が出たりすればするし、していた。それで十分ではないのか。分からないのかな。現状を見て考えない人々のおかけでこのいやな気分は加速されているのだ。

貧乏チェア


濡れるのは嫌だけど、嫌でもない。それが雨なら濡れてゆこう。それが気持ちなら濡れたら私という人は塩をかけられたナメクジのように、見えないほどに小さくなりそうだ。その浸透圧。同じように水でぶよぶよに太った個体。ただそれだけの本性。だから雨に濡れるのはいい。心が置いてゆかれても。


やさしい人々

自ら自由を捨て首を絞め喜んでいる。いや怒っているのだろう。怒りが集まりそれが束になって法では裁かず私刑となり喜んで弾圧する。悪事もあるのだろう。だが、それを法で裁く以外にこの国でどうしろというのか。あいつらは悪い奴だから気分でそいつらを禁止、かな。そしてこいつらの呼吸も止めてしまうようになるのか。彼らは弱者にやさしい人々。束になって強い力、振り上げた拳の行方。


夢の中

小春日和のような、暖かいような、その陽につつまれていたい。落ち着けるような。そこに居て安心して目をつむっていられる。欲しいのはそういう場所。夢から覚めてもまた夢の中、めくるめく回転は、また次の場所を連れてきてくれるから。日向になり日陰になる、その繰り返しの高速回転。その中でただ笑っていたいだけだ。


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