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マリアとマルタ

わたしはクリスチャンではないがミッション系の学校を卒業していて、聖書を読んだことがある。

その中でもマリアとマルタという説話があって、それがとても心に残っている。たしかこんな話です。

イエスキリストと弟子たちのご一行がある村を訪れた時、マリアとマルタという姉妹のいる家に滞在することになった。

マルタという働き者の姉はせっせと場所を作ったり料理を作ったりと動き回ってイエスをおもてなしした。

その間マリアという妹はイエスの足元に座ってイエスの話にただただ耳を傾け続けた。

そのうちあまりの忙しさにマルタが「イエス様、妹に言ってやってください。少しは手を動かして働いてって。」と口を挟むと、イエスは「はっきり言っておく。天の国はこのような者(マリア)のためにある。」と言ったとかなんとか。

初めて読んだ時働き者のマルタが不憫で「えーっ!」と声が出るほどびっくりした。家事って誰かがやらなければいけない作業で、特に旧に総勢13〜14人もの客人が食事をして一晩眠るなんてことになって、本当はみんなで協力して作業を進めたいのに、マリアが動かなかったぶんマルタは余計に忙しく準備をしなければならなかったはず。
それなのになぜうすのろマリアのとった態度が正しいみたいに評価されるのか!

納得できず喉に引っ掛かった魚の骨みたいに時々思い出しては悶々としていた。

大学院にいた時クリスチャンの友人ができて、この箇所についてどう思うか聞いてみたところ「解釈が難しいよね」とやさしく議論を避けられた。

しかし。

子育てをしていて思ったのは1歳児も同じだということだ。

1歳児は親がせっせと働くのが嫌いである。それよりもそばにいて、喃語や覚えたての単語にただただ耳を傾けてニコニコしていることの方が喜ぶ。

でもニコニコ相手をしてると1歳児もニコニコ、ニコニコの輪ができた〜ハッピ〜とか言ってたら生活はできない。

できないんだけど、でもやっぱり子どもにとって1番基本的で重要な親の態度ってそばにいて見つめて、話を聞いて、ニコニコして、語りかけることなんだなと思う。それが人と人の関係性において1番基本的な態度だからだ。

日々暮らしてると、どうしても目先の利益を生む行動を是としがちだ。

マルタの行動は、ただの一晩限りの客人のおもてなしだったら100点満点の行動だったのかもしれない。
でもイエスキリストはただの客人じゃなくて、出会う人々一人一人と末長く深い関係性を築こうという目的を持った他者だったわけで、それを考えるとせっせと忙しくしてしまうのは違ったのだろう。

わたしには宗教性はないが、1歳児のおかげで少しこの箇所のことが分かった気がするのである。

新型コロナウイルス流行で仕事に出られず、わたしが家にいると1歳児は喜ぶ。洗濯物が山になり、おもちゃが散らかった部屋の中で1歳児と母親はニコニコして、時々家事をして、またニコニコしている。

#育児 #子育て #エッセイ #聖書 #マリアとマルタ #いま私にできること #新型コロナウイルス




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