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081_本当の危険人物

岸田首相が襲撃されたのは4月15日の事でした。

事件の全容はまだ明らかになっていませんが組織性はなく、端的に言えば愚者による愚行である可能性が高いようです。
ただ、一部の新聞ではこれを単なる愚行で終わらせたくないようです。何か正当化できるような明確な動機があったと言いたいのでしょうか。
犯人には政治的な反感や敵意があったようですが、アホみたいです。それを言ったらキリがないですよ。少なくとも自民党の対立候補に投票する人は須らく程度を問わず、そういう感情を持っているはずですから。

昨年、安倍元首相が暗殺された事件についても、マスコミでは間接的に犯行を擁護するような言論がありました。元首相が「悪政の元凶」であるという定義から、暗殺を擁護するようなニュアンスです。幕末に頻発した誅殺と同様でしょうか。今の与党による悪政では、暗殺を企てるものが出るのは仕方がないという事が言いたいようです。

ただし、相手が岸田首相であろうがなかろうが爆発物を投げつけて殺害を企てるのは常人の発想ではありません。それは犯罪です。犯罪は法的にはもちろんですが、社会が断罪しなければなりません。
それを「致し方ない」ように擁護するのは、仮に対立する政論を支持する側であってもダメでしょう? 言論の自由って事を言うのであればズレています。

どうもそういう人たちって「粛清」という発想があるようです。政治的や思想的に正しくない人間は粛清すべきだという発想です。
普通に暮らして働いて、基本的に法律を順守している私たちからしてみれば危険思想を抱く危険人物に思えます。

過去に私は「067_大人は再教育できない」という記事を投稿しました。どのような人間でも、大人になってしまったら再教育は困難です。その課目が民主主義であっても同様でしょう。人は勝手に自分自身の民主主義を頭の中に構築しています。その中には「民主主義のために粛清」という発想も含まれるわけです。

再教育が困難である、というのはどちらの側からも同じ事が言えます。片方は「再教育できないから粛清する」で、片方は「再教育できないけど共存をはかる」です。私は後者の側です。日本には政治犯の収容所はありませんが、作って欲しいとは思いません。

つまり私たちはこうした「危険人物たち」と共存していかなければならないのです。そうである限り「首相襲撃事件」は繰り返されるでしょう。
こうしたテロにNOを突きつけるのは警備の強化だけではないはずです。少なくとも社会や現状の体制に責任転嫁をしてはいけないでしょう。

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