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「道」について 2

2.人の暮らしと「道」


"人の暮らしのあるところに道がある"

今ではさっぱりだが、数年前のある時期「道」について狂気じみた探究心を抱いていたことを記憶している。なお、「道徳」とか「人の道」みたいな 精神的なものではなくて、物理的な「道路」について。前回、「道」について書いていたらそのついでに色々と思い出したので、書かんとす。


以前、ある人から「人の暮らしのあるところに道がある」と言われたことがある。言われた当時は当たり前すぎて、その言葉の真意が腑に落ちなかった。


昔は、私にとっての「世界」というのはひどく狭かったのだと思う。
私の実家は市街地に位置しており、高校を卒業するまでは自分の世界=市街地の中で自分が歩き回れる範囲であった。


市街地に住んでいると、「道」がないということはまず考えられない。どこもかしこも、網の目のように道が張り巡らされている。道があることを忘れるくらい、道しかないのである。そのため、道が無い場合の不便さが分からない。道がありがたい存在であることをなかなか認識できない。よほどのことがない限り、道の役割や存在意義に思いを馳せることは無いだろう。



高校を卒業してとある地方に住んでいた時、その県内の山間部で車を走らせて探検することがしばしばあった。山の中には崖の上や谷底、山の中、様々なところに集落、家がある。「えっこんなところに?」というようなところにも、人の暮らしはあるのである。そして、山の中に点在する集落や家々のもとには必ず主要道と通じる道がある。

そのような場所に家をもつ人たちは、現にその場所で「暮らし」ている。仕事や買い物などには行かなくてはならないので、きっと外界と交わりながら暮らしているのであろう。そうなると、必然的に家や集落と外界とを結ぶ道が必要となる。




生活の中で、「道」はあまりに当たり前の存在である。存在を忘れるくらい身近なものである。

しかし、山間部の集落・家々と道を見てはじめて、「人の暮らしのあるところに道がある」という言葉の意味が実感とともに理解できたように思う。


なんだか不発感溢れる文章になってしまって自分としては不満足だが、まあこれはこれ、ということで

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