運転免許講習で感動した話
「あなたがその対向車となってはいかがですか?」
2022年の今頃の時期のとある日曜日、朝から運転免許センターへ行って免許更新をしてきた。そこでの講習内容がとても良かったのでメモしておく。
この内容ばかりはいつか書こう書こうと思いながらも書かず(書くのが億劫であった)、忘れないように約1年間頻繁に思い出していたものである。忘れないように覚えている、というのは脳内CPUに非常に負荷をかけるので、安心して忘れるために書く。
以下、講習での教官の言葉(言葉自体はおぼろげ。脚色あり)。
“横断歩道があってそこで人が待っていれば、自動車は必ずそこで停止しなければなりません。必ず、です。
私が以前講習の場でこう強調した時、ある受講者の方が手を挙げてこのように仰いました。「先生、そうは言っても実際なかなか停まれないですよ。交通量も多いし、対向車もどんどん来るし・・・」
そこで私はその方にこう尋ねました、「確かにそうですね。でももし、対向車線にいる車が横断歩道の前で停止したらあなたはどうされますか?」と。
その方はこのように答えました、「いや、流石に、対向車が停まればその時は私だって停まりますよ」と。
そこで私はすかさずこう言いました。「あなたがその対向車になってはいかがですか?」と。
こういった小さな働きかけによって交通安全の「輪」を広げていくことが私は大切だと思います。今は若いあなた、大切な人ができて大切な家族が増えていった時、もしその大切な人を失ったら、その悲しみは何によっても埋められないものとなりますよ。いくら後悔してもしきれない。後悔しても戻ってこない。一人一人が輪の作り手となって交通安全を実現できれば、それは巡り巡ってあなたの今の・将来の大切な人を守ることにもつながるんです。どうかどんなに小さなことからでも、行動する勇気をもってください。”
私はその時最前列でその教官の話を聴いていたのだが、スタンディングオベーションしたくなるくらいに感動した。ベテランの教官という感じで、(あとから思えば)どこまでが作り話でどこからが本当の話なのか分からないくらい話が上手かった。とにかく、人の話に惹き込まれ、胸を打たれるというのは実に久しぶりだった。
教官の話は淡々と軽快、そして論理的でありつつ、感情を揺さぶるものであった。車を運転する時は個室という環境もあって気が大きくなりがち、とはよく言われることだが、そこで運転者の行動を左右するのは感情である。行動改善のためには心のもちよう、つまり感情が大きな鍵を握る。その感情に響くように訴えかけてくる、言葉の強い力を感じた。
思い出したついでに、自身の伝え(受け取り)様について少し内省してみた。
もともと私の対人コミュニケーションにおいて、感情的・非理性的な側面が理性的側面を上回って表出されることが多かったように思う。
だがここ数年の研究生活中や職場での勤務中は、論理的な溝がないようになっているか、とか、感情への訴えかけではなく理性への訴えかけになっているか、とかいったことを話者・聴者として主に意識していた。かなり訓練したこともあって、理性的に伝達するという営みは、ここ数年で割とできるようになってきたかもしれない。
ただ皮肉なことに、そもそも私は自分がパトス的人間であると強く自覚しているにもかかわらず、他人のパトス的側面に働きかけることがあまり上手くない(と感じることが多々ある)。そういう点で、私は社会(特に現在の職業)に適応することが極めて苦手なのだろうと感じることがしばしばある。自分の感情やその変化をメタ的に捉え分析できるようになってきたのはほんのここ数年の話で、それまで人生の大半は外界から受けた刺激に対して感情が動いても、いつもそれを放っておいていた。一時的な感情の変化に身を任せ、ひたすら受動的な態度をとっていたからこそ、どうやったら人の心が動くのか、に疎いのかもしれない。
目指したいのはまさにあの教官の語りのような、理性的・論理的でありながらも受け手の感情に強く訴えかける(響く)というあり方である。
ああなりたいけどどうやったらなれるだろう、でも自分には到底できそうにないなどと思う。ただ、人を動かすだとか人の成長や変容を促すとかいう仕事に関わる限り、私もあの教官のような伝え方が少しずつでもできるようになるといいなと思う。道のりは長い。以上
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