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跡咲


二月の未明、わたしは道端で立ち止まっていた、朝日はどこで浴びられるものなのか解らなくなっていて、誰にも聞けない、わたしは心が苦しいって叫んで、わたしはわたしを許すって泣いて、とにかく楽になりたい、あぁ、朝日を浴びたい、朝日を早く浴びたい、早く、朝日を浴びたい、それしか考えられないのに、歩き始めないといけなくて、叫んで、叫んで、その度に傷ついて、あなたの存在はかけがえのないものになって、あなたがいるって言葉は日によって不安定で、両の拳を胸の中枢に押し当ててばかりで、こんなわたしを許そうとして目を瞑って、そうして受け取る言葉でまたキュルキュル崩れる心が激しく揺さぶれて、あなた無しでは戻れない身体になっていて、わたしは、あなたがいなくなったらもう終わりだと、あの夜からあなたと一緒に死にたいと願うわたしがいて、わたしは言葉などいらないあなたといたいだけなのに、あぁ、あなたはいつか死んでしまうと、わたしはわたしをナイフでザクザク突き刺して、そして前屈みに手に付いた液体を見れば、溢れるそれが卯の花色の血で、「はぁ、そうなんだ。ようやく真面になれた」と、肩の荷がずるりと落ちて、氷山が沈没船のように崩れていく映像が遠くに見えて、間髪入れず胸から背中へとわたしを突き抜けていく、それは日の匂いを運ぶ伸び伸びした風で、五感が気持ちよくて、「あぁ、生きてる」って思うと、わたしは、生きている者は助けを求める術を知らなかったとようやく気づいて、ふと我に返る、すると、横たわっているわたしを見ていて、わたしはわたし以外の気配を感じ、顎を上げると、ベッドの上空に浮かぶ天使がいて、「それ以上歩み寄ってはなりません」とわたしは忠告を受けて、大人しく距離を保った位置で、眠っているわたしを鑑賞して、わたしはルーヴルを思い出していて、ついつい最も惹かれる角度の構図を探して、「死んでも美形が好きなのか。あ、この人わたしだったわ」と言えばその冗談は驚くほどの優美さがあって、見れば見るほどわたしが生きたわたしなんだと地に足を感じて、ふいに、最後の晩餐とは死者の集いで行われるものかもしれないと脳裏を過って、逝く前に裏切り者をヒロインにする意味は、その裏切り者はおそらく死を恐れていたのだろう、そこで率先して手本を見せることを迫られた、と直感的に自論を展開させ、言葉と唾を同時に飲み込んだ、何度か手のひらをグーパーして、貫通した心臓の穴に親指から入れ込んでやや上に持ち上げると、「これでこそ生きた達成感なんだね」と思えば、卯の花色の血に生きたあなたの香りがして、どっかからワインのコルクを抜くスポッという音が聞こえて、よし、わたしも最後の晩餐に出かけようと思って、最期くらいわたしを笑って見届けたい、思えば、あなたといた楽しい心象風景が現実になった場面を思い浮かべて笑顔になれた。わたしはわたしを上から下までざっと褒めてやってから、わたしがそれだけじゃ物足りないことがわかって、わたしはそういう人間だったと振り返った、わたしは最初で最後にわたしを救ってやった気がしていて、人生捨てたものじゃないのは死んでわかるんだとわかった、わたしをわたしで救いたい、その願いを叶えたのはまさかわたしだった、最高に良い別れだという懐かしさが綺麗に心臓から飛び出てきて、あなたの香りがまだわたしを包んでいて、あなたによって色を変えたこの血こそ言葉だと気づいて、わたしはあなたに綺麗にしてもらった真実を最期にこの目で見ることができて嬉しい、やっぱりわたしにはあなただったんだなぁ、ありがとうと思って、わたしもあなたもこのわたしが預かっていることがとても幸運なこと、わたしもあなたもいなくなった抜け殻のわたしをそのままの姿で飾っておきたいことを思って、半永久コースで、お願いしますと言った。精一杯の感謝と追悼を込めてわたしにはじめて涙を見せた。わたしは古代から受け継がれてきた伝統的な死の説明書に従ってべルを箱から慎重に取り出し、音が鳴らないように気をつけて布から掌に移しそっと胸に押し寄せて、あなたが落ち着くのを待ってから、すっかり開いた心臓に丁寧に合わせ入れた。今から暮らす場所にも、声があったらいいなと思った。貯蔵者、本人、生年月日、2002年3月16日、出身国、日本、性別、女、年齢、21、病歴、社交不安障害、貯蔵名「跡咲」



_あとがき___


ベビーウェアに縫い付けたシルクの布に、わたしはまずはじめに「助けを求める術」を書いてあげたい。そして、パートナーにも同じように書いてもらう。そうしたら次は縫い合わせに入る。勢いに任せることなく心落ち着く日に改めて二人で完成させる。お互いに書いた思いをプレゼンテーションする。私はこんなことを言う。___生まれた子が成長する過程で言わない方がいいと思うことがあるかもしれないけれど、このベビーウェアを肌身離さずに、また、その子だけのものしないで、生涯わたしの心に抱いて生きます。少しずつ言葉が分かるようになったなら、わたしの人生で大事だったことだと教えてあげたい。その子に嫌われるかもしれない。そんなの構わない。いつの日か「それはお母さんがそうしたかっただけでしょ?子供に押し付けないでよ。」そう言われる時が来るかもしれない。けれども、あなたのためなんだからとは言わずに優しく話して聞かせてあげたい。もし幸運にも困難のこの字も似合わない将来になったとしても、生きて行く内で出会った大切な人の良き理解者となれますように、願って。生まれた子の名前は跡咲花ちゃん。



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