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エッセイ的な | 要らないものはゴミ箱へ?

もう使えない。
洗濯機でも冷蔵庫でもいい。
修理するよりも新しい物を買ったほうが結局安くつく場合、基本的には捨てる。
しかし、もう使えないけれども、愛着のある物の場合、捨てられないことがある。

もう2、3年も前のことになるが、小学1年生の頃から使っていた鉛筆削りが壊れた。

今ではほとんど鉛筆を使わなくなった。ちょっと語学の勉強をしたり、数学の問題を解いてみたりするとき、今はボールペンを使って書いている。

語学も数学も趣味でやっていることだから、書き間違っても消す必要がない。

でもたまに六角形の鉛筆を握って、文字を書くことは楽しい。書き続けて、鉛筆の芯が丸くなって書きにくくなったら、電動の鉛筆削りを使っていた。

もう何十年も使っていたから、壊れてしまっても仕方ない。修理をしようと本気になれば修理できるかもしれないが、直してもすぐまた壊れるだろう。新しい物を買ってしまったほうが安い。

まぁ、手動の鉛筆削りは100均の店でも売っているし、それで十分だ。

もはや無用の長物になってしまった電動鉛筆削りだが、捨てることができない。高校入試の前の日も、大学入試の前の日も、必ずこの鉛筆削りを使ってきたから、使えなくなっても、愛着があって捨てられない。

父の仕事の都合で引っ越しが多かった頃は、もって行く荷物を減らすために、まだ使えるものでもけっこう捨てていた。身の回りを整理するには、たまに引っ越しするのもいいことなのかもしれない。

「捨てる技術」とか「断捨離」という言葉が流行ってから、ミニマリストが増えた印象がある。

今必要な最低限のものだけ手元に置いて、使用頻度がゼロに近いものは捨てるのがよいという価値観が蔓延している。

そういう考え方は、それはそれでいいと思うが、使わなくたって、見たり触ったりするだけで落ち着くものがある。

「使えない=いらない」という考え方には、ついていけない。
今は直接使わない・使えない思い出も、簡単に捨てられる人っていい人なんだろうか?

ハッキリ言おう。そういう人は概して冷たい。

新しい学校へ行く。転勤あるいは転職で新天地で働く。もう二度と会うことはないであろう「いらない人」は断捨離する。それでいいのかなぁ?

ゴミ屋敷みたいになるのは嫌だが、いらない物が何一つなく、必要な物以外は捨てていくという習慣が、洗練された考え方だとは思わない。

物でも人間関係でも、要らなくなったら捨てて、必要なものだけに置き換えていくことができること。それって本当に幸せか?

断捨離が容易にできたら、気分が軽くなるのだろうか?
所有権には「処分する権利」も含まれるだろうけど、使えない・使わないからすぐに捨てるということが、そんなに素敵なことだとは思わない。


この記事にはコメントしません。コメント欄に書けるほど単純な話ではないと思いますので。

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