見出し画像

#一人暮らしのエピソード

 学生時代、約2年間一人暮らしをしたことがある。一人暮らしというものは、慣れれば気楽なのだが、家事を一人でこなさなくてはならず、初めての頃は何かと面倒に思った。
 家族といっしょに住んでいるときは当たり前にあるものが一人暮らしではない。例えば小さな話で言うと、爪切りがないとか、耳掻きがないとか、帰って来たときに灯りがないとか。そういったことが重なると心理的につらい。
 やっと身の回りのものを揃えたと思ったら、電球が切れたとか、ゴミを出し忘れたとか、日々何かしら「問題」が発生する。
 ちょっとしたことが積み重なって、心が乱れることが、一人暮らしをした当初は多かった。
 寮に住んでいたときは、家族ではなくても、同じ屋根の下、互いにちょっと不足したもの(油とか醤油とか)は融通できるから、一人暮らしをはじめてその有り難さについて考えたりしたものだ。誰かしら話し相手もいるし。

 家事なんて一人暮らしじゃなくても自分で出来たほうがいいが、一人だと食事を作ったりするのも面倒になって、ピザを頼んだり、近所の食堂に行くことが多かった。
 自炊をするときは、作るのも面倒だが、食器を洗うのも面倒だ。だから、あまり食器が汚れないような食べ物を食べる傾向があった。
 そういう時に重宝したのが、納豆とかふりかけ。特に納豆はご飯に載せず、口に含むようにして食べれば、お椀を洗うのも楽だ。
 ふりかけはさすがにご飯に載せて食べていたが、海苔がお椀にこびりつくと、それが洗う時に面倒だと思った。
 💡そんなある日、私はひらめいた。ふりかけだって納豆と同じ様に、ご飯を口に含んだあと、「あーん」(^○^)と口を開けて振り込めばいいではないかと。

 かくして私は、ふりかけの「振り込めご飯」を実施することになった。
 ご飯を口の中にスタンバイした。そして、少量のフリカケを注ぎ込もうとした刹那、あろうことかフリカケのビンの蓋が外れ、私の顔の上に「ドサっと」フリカケが散らかった。
 むせるし、オカカや卵の粒で目が開けられないし、とても苦しかった。このまま、私は死ぬんだろうか?、と真面目に思い、そして苦しんだ。
 数分後、咳は何とかおさまったが、目が開けられない。手探りで何とかタオルをみつけ、フリカケを拭い、ようやく顔を洗うことができたときは、「助かった」と心底思ったものである。
 あまり面倒くさがると、余計トラブルが多くなることを学んだ20代の1日であった。


#一人暮らしのエピソード
#エッセイ
#フリカケ
#納豆
#死ぬかと思った

この記事が参加している募集

スキしてみて

記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします