文章をいじって遊ぶ
高校の数学で、「逆・裏・対偶」というものを学ぶ。
簡単におさらいすると、
「AならばBである」の逆は、
「BならばAである」
「AならばBである」の裏は、
「AでないならばBではない」
「AならばBである」の対偶は、
「BではないものはAではない」。
この中で常に成り立つのは「対偶」である。
これは数学の話だけれども、文章を書く時にも、たまに思い出す。
普通に「○○は✕✕である」というより、「逆・裏・対偶」っぽい書き方をするとどうなるかと。
あくまでも「っぽい書き方」をします。
「時は金なり」
逆
→「金は時なり」
裏
→「時にあらざるものは金にあらず」
対偶
→「金にあらざるものは時にあらず」
類は友を呼ぶ
逆
→「友と呼ぶものは類である」
裏
→「類でなければ友とは呼ばぬ」
対偶
→「友と呼べないものは類ではない」
三つ子の魂百まで
逆
→「百まで続くものは三つ子の魂だ」
裏
→「三つ子の魂でないならば、百まで続かない」
対偶
→「百まで続かないものは、三つ子の魂ではない」
三人寄れば文殊の知恵
逆
→「文殊の知恵は三人寄ってできるものだ」
裏
→「三人寄らなければ、文殊の知恵ではない」
対偶
→「文殊の知恵ではないものは、三人寄ってできたものではない」
元々の命題が正しければ、その対偶も正しい命題であるが、言うまでもなく、最初の命題が間違っていれば、その対偶も間違った命題である。
逆や裏は、元々の命題が正しくても、正しくない時もある。もちろん、正しい時もある。
進次郎構文とトートロジー
去年頃に、ツイッター(現在のX)をやっていて、「進次郎構文」というものを知った。
小泉進次郎さんっぽい言い方を「進次郎構文」と言うようですが、基本的には「AはAだ」という「トートロジー」のことを指す場合が多い。
トートロジーは中身がないようでいて、インパクトがあったりする。
進次郎さんのお父さんの純一郎さんの言葉も、今思い出すと「進次郎構文」だったりする。
「私の内閣の方針に反対するものは、すべて抵抗勢力である」
たしかこんなようなことを言ったと記憶している。
「反対する=抵抗する」ということを言ったに過ぎない。
もっとインパクトがあるのは「~だ」と言い切るような表現。
「感動した!」
「痛みに耐えてよく頑張った。。。感動した」だったと記憶しているが、単純な言葉で、そんなに含蓄がないような言葉でも、心に刺さる言葉がある。
むすび
取り留めないないことを書き綴ってみたが、noteの記事を読んでいるときにも、「トートロジー」っぽい書き方を見かけることがある。
「逆」の書き方も見かけるが、逆は必ずしも成り立たないので、注意する必要がある。
「裏」はどうかなぁ?
裏も必ずしも正しいとは限らないので、用心して読まねばならない。
「対偶」っぽい書き方はあまり見かけないが、こういう書き方もたまにはいいかもしれない。
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