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広島平和記念資料館から(2024年 #01)

先日、広島の平和記念公園を訪れた。
広島観光の、行程の一部として。
その訪問(特に平和資料館の中)で感じられたこと、考えたことを幾つかの記事にまたがりながら、書き残したいと思う。

考えることを余儀なくされる

資料館を訪れるのは、高校時代の修学旅行以来で、二度目。
今回の訪問では、何か新しいことを知ったり、学んだりする以上に、「考えること」「感じること」に駆り立てられるような体験をした。
展示物が語りかけてくるような切迫感。言葉にすることもできない圧倒的な何かが押し寄せてくるような感覚。引いて見ながら学ぶような関わり方は、とてもじゃないが許されないような、そんな呼び声とともに、資料館の中を歩いた。

展示されているのは、資料館の名の通り、「資料」なのである。私たちはこの「資料」を通してしか、原爆を体験することはできない。しかし、あの場所では、目の前の資料が、果たして文字通り「資料」なのかすら、疑わしかった。もはや、資料でありながらも、「資料」として関わることを許さず、これこそが「原爆」であり「戦争」であると語りかけてくるようであった。その恐ろしい渦の中に、引きずり込まれるような感覚があった。私を原爆の世界に引きずり込み、語りかけてくる呼び声の中で、私は考えずには、何かを感じずには、いられなかった。

目の前の恐ろしさのなかで

幼い子どもを連れて、資料館をまわっている両親の声が聞こえてきた。
「見てはいけないよ」
両親は、子どもに言うのだった。

そこに展示されているのは、幼い子どもは「見てはいけない」資料である。幼い子どもにトラウマを植え付けてしまう、そんな危険性を感じるほどに恐ろしく惨たらしい資料の数々であり、光景である。私たちは資料から、言葉にならない恐ろしさを感じ取らずにはいられず、それを受け止めることを迫られる。あの場所には、そんな効果があった気がする。

これは余談だが、順路を進む中で前半の展示室が暗いのも印象的であった。暗さとは、恐ろしさに直結するものである気がする。展示物だけでなく、展示室の環境という舞台設定まで含めて、私たちに何かを語りかけ、駆り立ててくるような、そんな場所だった。

あの場所にあったのは、展示物であり、その展示物から、あるいは資料館という環境から発せられる呼び声であった。私はその呼び声に、応答せずにはいられずに、様々なことを考え、感じさせられた。そして何か目に見えない傷のようなものを、刻み込まれたような気もする。

あの日、あの場所で、私を襲った感受と思考を、一つ一つ紡ぎ直しながら、さまざまな語り口で書き残してみようと思う。

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