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これまでと、これからと。


『四月は君の嘘』(アニメ)


やっと、やっっっっっと覚悟ができたので、みた。

なんて作品なんだろう。
想像していたより、ずっと苦しかった。
もう最後は涙も出ないくらいにはじめからずっと泣いていた。

台詞と音が一つ残らず心のずっとずっと奥深いところへ落ちてきて、わたしを掴んで離さない。

美しくて、切なくて、苦しくて、キラキラしてて。

気持ちを言葉にすることが下手くそなわたしはこれ以上なにも言えない。

そんな作品だった。




これを見て自分を重ねた。
音が聴こえない有馬くんとあの頃のわたし。

違うけど、同じ。



大学ではクラシックを学んでいたけれど、
クラシックは最近までできる限り避けてきた。

だから大学でなにを学んだか、と言われると
なにも学んでいない。嘘みたいなほんとの話。
びっくりするくらいなにも覚えてない。
試験で弾いた曲すらタイトルもメロディーも思い出せない。授業やレッスンでやった内容なんてもっと覚えてない。ひどいものだ。先生方ごめんなさい。

高い学費の音大に行ったのにも関わらず、授業はろくに出なかったし、課題だけをなんとかこなして卒業にこぎつけた私は本当にクズ。




ただ、弾けなかった。苦しかった。
向き合えなかった。ずっと逃げてた。

もう入ってすぐにわかった。
みんなのピアノの音は生きていて、愛に溢れていた。

わたしは何かが違う。何かが。

今振り返れば、その違和感の答えを探した大学生活だったのだと思う。
在学中には見つからなかったけど。

わたしの演奏はわたしでない誰かが弾いてるようで
わたしではない。
感じてるようで感じてないし、聴こえてるようで聴こえてない。何も見えてなかった。




いつからか、わたしにとってピアノを演奏することは手段でしかなくなっていた。

大した成績は残せなかったけど
小学校から全てを投げ打ってコンクールに出て、
夏はピティナ、冬はショパコン
毎年そのためだけにピアノを弾いていた。

中学生、バイオリンがやりたくて入ったはずの学校では夏のコンクールのためにピアノをやらねばならず、戻ってきた秋には遅れをとっていて馴染めなかった。すぐにやめた。

狭い世界を一歩飛び出し、いろんな出会いがあってたくさんの世界を知った私は、その世界に引き込まれて中2のときにはピアノを弾くことを放棄した。

その後もいろんなことがあって転校したり、中学受験は失敗して高校は半分不登校。
でもそんなどん底まで落ちた人生でもなんとか生きていようと思えたのはエンターテイメントがあったから。キラキラした世界は希望で溢れていた。

高校で進路を選ぶことになり、わたしはなんらかの形でそのキラキラした希望を作る人になりたいと思った。なんでもよかった。

そこでわたしが選んだのがピアノを弾くこと。
心ここに在らずながらも引きずられるようにしてレッスンに行っていたわたしができるそれらしいことがピアノを弾くことだったから。それだけ。

弾いていて楽しいと思えた最後はいつだっただろう。気がつけばずっとそんなことを考えていた。



そんな中途半端な思いで入った大学だったが、
大学で出会ったミュージカル伴奏が私の世界を変えた。これだ、と思った。

これからの大学生活、嫌でも4年間ピアノを弾き続けなくては卒業できない。
わたしは弾く理由をみつけた。それで十分だった。

それからは今まで以上にいろんなミュージカルを観て、ミュージカルが好きだと言って歩いた。
こんなワクワクできるものがあったなんて。

根腐れしたわたしの心は、少しだけ水を得た。



でもこの後現実を見ることになる。
弾きたい気持ちはあるものの、中学2年からまともに弾いてない私は何とどう向き合えばいいかわからなかった。

そして伴奏するにあたって必要な初見力、リズム感など。面白いくらい全部わたしが苦手なことだった。終わってる。

もうわたしにはできない。できっこない。

何より練習が世界で一番嫌いだった。
初めてのレッスンで日々の練習時間を聞かれ、正直に答えたときの先生の驚いた顔がいまだに忘れられない。本当に練習しなかった。

弾かない、弾けないのでそれはうまくもならない。
わかりきったこと。




もどかしさを抱えたまま時が過ぎ、大学3年。

忘れもしない海外研修。
本当に辛かった。

みんなの音は生命力に溢れていて、自由で、空間を飛び回っていた。どんどんキラキラに、豊かになっていくみんなの演奏に対して、わたしは…?

こんな音は出せない。こんなに愛を持てない。こんなに音楽に身も心も委ねられない。

作中でも言われているように、
音はその人の人生そのもの。生き様。
演奏するということは、自分自身と向き合うことでもある。

今思えば怖かったのだ。
曝け出すこと、委ねること、感じること、すべて。

怒鳴られ、叩かれ、否定され、貶され、
何をぶつけても何も変わらないし変えられないと悟っていつからか心に蓋をし、常に冷静に感情を悟られないように生きようともう1人の自分を飼いならし、心をコントロールした。

そうこうしてたら本当にあるべき心はどこかへ行ってしまった。

美しいと思うのに、そう思う心は自分のものではなく、別の誰かが遠くでそれを感じ取っているような、そんな感じ。

私は私を見失っているのだ、とここで気づいた。
遅すぎた。

ただ今までもその時も演奏していた曲にはなんの罪もない。美しいものは美しいのだ。
それなのに、自分の歪んだ感情でまっすぐ向き合えず、愛せず、その燦きを音にできない自分がただただ悔しく、情けなかった。

何を違えたんだろうか、わたしのなにがいけないの、どうしたらそんなにキラキラした音がでるの。

研修中は練習室で死ぬほど泣いた。
先生方にも迷惑かけた。
同期たちにとっても、めんどくさいやなやつだったと思う。本当にごめんなさいと言う気持ち。
こんなわたしとも変わらずに接してくれていたみんなありがとう。

そんなことがあって、私なりに色々考えたりしたけど、結局答えはわからぬまま卒業を迎えた。




卒業してから1年と少し過ぎた一昨年、
私にとってかをりちゃんのような存在が現れた。

そして思い出した。
ピアノを心から楽しいと思えたあの時の記憶。

涙が溢れた。ああこれだ。これだ。
トキメキが止まらなかった。

世界が、音楽が色づいた瞬間。
これから先きっと忘れないであろう感覚。

それからはたくさんの音が聞こえるようになった。
頭で音が鳴るようになった。

同時に自分の下手くそさもわかった。
なんてひどい演奏してたんだろう。最悪。
穴があれば1000年入りたい。

『わたしのピアノは伴奏の方が向いてると思う』
『主張がないから伴奏としてはいいかも』
そんなふうに言われた事があった。

この時初めて気づいた。
あー私の音には色がなかったんだと。
伴奏をする事で他の誰かに合わせているようで色づけてもらっていた。
自分の心が動いてないのに弾いてたんだもん、そりゃそうだ。
気づいてるフリ、感じてるフリ。
いつの間にかフリだけが上手になっていたみたい。

いつも他の誰かに生かしてもらっていたんだな、私は…
全然ダメじゃん。最低最悪。




それからは自分の心に目を向けた。
心の動く感覚を、一つ一つ思い出すように。

繊細で、大胆な楽曲たち。

私の人生では測れない表現の数々。

もっと想像して、もっともっと…




作品に出てきた曲の多くは奇しくも大好きなショパンだった。弾いたことある曲ばかり。

涙が止まらなかった。

遠い昔のあの頃には見えなかったキラキラが見えた。

あ、これか。これなのか。
わたしはこんな風に弾きたい、こんな音が欲しい。

自然とそう思えた。




また涙が出た。

それから身体が勝手に動いた。
半分埃を被ったショパンの譜面を引っ張り出し、
バラード1番を開いた。

荒んだ心でなんとか向き合った跡を辿るように弾いた。

全然弾けなかった。もうそれは笑えるくらいに。

でも楽しかった。

多分いつからかぶりに心から弾きたいと思って弾いたクラシック。大好きだったはずのショパン。

涙が溢れた。

やっと弾けた。
死ぬほど下手くそだけど、わたしの音で弾けた気がした。

きっと今の自分なら、あの頃よりずっと自由でたくさんのキラキラを乗せて弾ける気がした。




わたしにとって自分の人生を辿るようなそんな作品だった君嘘。

作品の感想は今はうまくまとまらないけど、
人生の1ページに刻まれるかけがえのない作品となったのは確かだ。

ありがとう新川先生。

できることならわたしも14歳でかをりちゃんに出会いたかったなあ。



過去の亡霊とはまだ完全にお別れできないけど、
その存在は少しずつ、着実に小さくなっている。

いつか消えることを願って、
今日もピアノと、私自身と向き合う。

自由に飛び回る、自分だけの煌めきを探して。



※すべて個人の感想、見解ですので原作者の意図とは違う部分も含まれるかもしれません。不快に感じた方がいたらごめんなさい。



画像はたぶん今まで人生で3回くらい人前で弾いたショパンエチュード革命でした。書き込みいっぱい。懐かしや。






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