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武満徹を初めて聴いた日

武満徹についてプレゼンをするにあたり、彼の音楽をリサーチする機会がありました。私は、武満徹の名前を耳にすると、中学2年生のとある日の音楽の授業と、当時の音楽科の先生の真剣な表情を思い出します。

武満徹とは、日本を代表する世界的に有名な作曲家です。しかし、彼の評価は海外での方が高く、死後25年が経つ今でも日本国内で彼の音楽の認知度はまだまだ。演奏される機会もそう多くないのではないでしょうか。

斯く言う私が初めて彼の音楽を聴いたのは、中学2年生の時。
音楽の教科書に鑑賞課題として、ノーベンバーステップスが掲載されていたのがきっかけです。

その日の授業は、ノーベンバーステップスが、ニューヨークフィルの150周年記念演奏会にあたっての委嘱作品として作曲された曲であること、琵琶と尺八のための協奏曲で、この曲の初演をきっかけに武満徹は世界に名の通る作曲家になったこと...など、曲の概要を教わり、実際にビデオで鑑賞するという内容でした。そんな授業中、当時の音楽の先生は、

”武満徹は世界では評価されて有名なのに、日本国内で日本人が彼を、彼の曲を知らないのはとても悲しいことで、なんて恥ずべきことなんだろう。もっと、日本人は日本の芸術も評価するべきだし、今回、授業で彼の曲を聴く機会があって本当によかった。何故なら、将来、海外に出て、音楽の話しになった時、武満の話になった時に、あなた達は、少なくともこの一曲、武満の曲を聴いたことがあると言えるから。武満?誰?聴いたことないわーと、恥を晒さなくてすむからね。” 

なんてことを仰ったのです。先生ご本人も、作曲家を目指されたこともあった方。色々と思うところもあったのでしょうか。普段から思ったことをズバズバと仰られるとても厳しい女の先生で、やんちゃなクラスメイト達も、この先生の音楽の授業中はピシッと大人しくなってしまうような、迫力のある先生が (私はこの先生も、彼女の授業も好きでしたが...)、この日の授業は一段と熱く真剣でした。

当時、まだ中学生で海外旅行の経験もなく、漠然と外国に憧れていただけの私ですが、何かとても重要なことを伝えようとしているのがヒシヒシと伝わり、先生の言葉が強烈に胸に響いたのを覚えています。先生のあまりの迫力に、ノーベンバーステップの曲の印象が霞んでしまった程に....。

あれから20年と数年。海外に学び暮らすようになり、先生の仰っていたことがとても理解出来るようになってきた気がします。最近でこそ、”いかに日本がすごいか” をメディアやその他の媒体によって強調されていることが多々ありますが (そして、それはそれでどうかとも思いますが...)、武満徹の死後まだ間もなかった頃に彼の音楽を通して、”日本のことをもっと知りなさい。そして、欧米を偏重するだけではなく、国内の評価するべき物・人もきちんと評価して広めていかなくては” と伝えてくれる先生が身近にいた私はラッキーだったのでしょう。日本を外から客観的に見た時に改めて共感を覚えるメッセージであり、外国に住む日本人として、常に心の片隅に留めています。
 
武満徹が亡くなって、25年が経った今。
邦人作曲家に対する日本での認知度や評価も当時とはすこし変わって来ている感じもします。彼の音楽をリサーチすると、日本、日本人、日本文化、西洋音楽...と見えてくるものが沢山ありました。私自身、西洋音楽に携わる者として、日本人として何が出来るのが、どんな意味があるのだろうか...模索する日々はまだ続きます。
 
 

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