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アドレナリン

(本作は1,953文字、読了におよそ3〜5分ほどいただきます)


 頭で理解していても、口に出そうとすると何故か上手く言えない単語がある。単に、発音しにくい言葉であったり、つい言い間違えてしまう単語もあれば、最初に間違って覚えてしまったが故に正誤の区別が混乱してしまってる単語など、その理由は様々だ。私の場合、理由はともかく、何故か「アドレナリン」が上手く言えないのだ。

 ただ、ほとんどの人は、日常生活において「アドレナリン」と口にする機会なんて、そう多くはないだろう。もしあっても、そして、その時に上手く「アドレナリン」と言えず、「アナドレリン」や「アドナレリン」になってしまっても、そもそも聞き手もそれほど頻繁に耳にする単語ではないだろうし、誰も言い間違いに気付かないかもしれない。
 それに、もし、誰かが気付いたとしても、対応次第ではささやかな笑いが取れ、場を和ませることはあっても、大きな問題が発生することはほぼないであろう。
 しかし、私の場合は、そうもいかないのだ。

 と言うのも、一応、私は医学博士だ。しかも、専門は生理学と神経学。
 その中でも、副腎髄質から分泌される、ストレス反応の中心的役割を担うホルモンの専門的権威という評価を確立していた。そして、この度、某医大に招聘され、このホルモンについての特別講義を行なうことになったのだが、同時に、それは大きな試練でもあったのだ。
 つまり、このホルモンこそ、「アドレナリン」だ。

 そう、私は自他ともに認める「アドレナリン」の専門家だ。おそらく、世界の誰よりも「アドレナリン」を理解している自負がある。
 実際に、数年前に出版した「アドレナリン」の分泌を利用したダイエット本は、メディアにも大々的に取り上げられ、ベストセラーとなった。また、スポーツ学への応用法も高い評価を頂き、プロ野球選手やプロ格闘家、Jリーガー、オリンピック選手などのトレーニングサポーターとしても、高い評価を博していた。

 そんな私が、まさか「アドレナリン」と言えないなんて、誰も想像出来ないであろう。
 でも、事実として、私は「アドレナリン」と上手く言えないのだ。これは、ゴルフのイップス病と似ているのだろう。「アドレナリン」と口にしようとすると、それこそ「アドレナリン」が大量に分泌されるのだ。
 そうなると、極度のストレス状態に陥り、血圧が上昇し、心拍数も上がり、動機、息切れを伴う目眩を起こし、瞳孔が開き、体中の筋肉が硬直し、過呼吸になるのだ。
 そして、ますます「アドレナリン」と言えなく悪循環に陥る。
 皮肉なことに、その辺りのメカニズムは、誰よりもよく知っている。他人相手なら、それなりの対処法を医学的見地からアドバイス出来るのだが、自分自身には無力だ。おそらく、催眠術師が、自分に催眠術をかけられないのも似たような理屈だろう。



 講義が始まる数分前には、既に講義室は学生で溢れていた。その光景を目にしただけで、大量の「アドレナリン」が私の血液に分泌された。
 やっぱり、こんな講義、引き受けなければ良かった……でも、今となっては後の祭りだ。否応もなく、間もなく講義を始めなければならない。
 私は、ここ数日の間、熟考に熟考を重ねた末に、真っ先に大きく「アドレナリン」と黒板に書くことに決めていた。基本的に、「アドレナリン」という単語を極力使わないように心掛けるのは当然だが、「アドレナリン」についての講義なので、そうも言ってられない。なので、「アドレナリン」という単語を使うべき時は、「アドレナリン」のことを忘れ、黒板のカタカナヽヽヽヽを機械的に読めばいい……それなら、大丈夫なはず! 私は、その作戦で乗り切ってみるつもりだった。

 そして、いよいよ講義が始まった。教壇に立ち、先ずは沢山の学生を前に簡単な挨拶をし、黒板に大きく「アドレナリン」と書いた。その瞬間、少しだけ私からアドレナリンが分泌された気もするが、適度な分泌は程よい緊張感をもたらし、物事を好転させることも多い。大丈夫だ。

「えぇ、今日は特別講義ということでね、予め学長からテーマをリクエストされております。アドレナリンの分泌のしくみと、分泌よる肉体の変化について、講義させてもらいます」
(良かった! 何とか言えたぞ。よし、その調子だ!)

「その前に、簡単にアドナレリンとは何か? ということを説明します」
(ん? 今、間違えたか?)

「アレドナリンとはですね……え? いや、そのぉ……アドナリ、いや、 アナデドロン、ん? え、あ、あ、……アンドレラか? いや、違う、アリナミン? アドナレ、いやいや、あのぉ……何だっけ? アナドレン、ん、アナドレンって……侮れん、なんちゃって、ははっ……えぇと、そのぉ、失礼、アンドロリンは……」

 私の血液は、大量のアドレナリンで満たされ、そのまま壇上で気を失った。