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【La Pianista】⑫

第12章 哀歌~elegy~

 あれ程楽しみにしていたマルトゥッチ国際ピアノコンクールの三次予選は、完全に期待外れだったと言えよう。加納は、プログラムが進行するに連れ、落胆の度合いも増していった。
 まず、代理店の懸命な努力の甲斐あって、何とか入手出来たチケットなので文句は言えないのだが、加納の席はステージから遠過ぎた。音響的には申し分なく、目的が違えば喜んでいただろう。一般的には、「当たり」の席であるのは間違いない。だが、加納は何よりもピアニストの手や指を見たかったのだ。その席からだと、指どころか奏者の顔すらほとんど見えなかったので、やはり加納にとっては「ハズレ」の席だ。
 また、無聊ぶりょうなコンクールになったもう一つの原因として、実行委員のミスも責められて然るべきだろう。あの選曲は、どう考えても失敗だったとしか思えない。三名も棄権が出てしまったことも、選曲との因果関係は否定出来ないだろう。
 しかも、今日になって審査員からも一人、辞退の申し出があったそうだ。一人ぐらいなら審査そのものには大した影響はないだろうが、その理由が明らかにされていない為に、ロビーでは様々な憶測が飛び交っていた。中には、運営に対する抗議なのでは? と邪推する人もいた。
 もちろん、それは単なる噂に過ぎず、単に体調不良かもしれないし、規約に反する言動を咎められたのかもしれない。真実はどうであれ、出演者から三名、審査員から一名が予定から消えたことになる。僅か九名で競うことになったことは、退屈な予選になった大きな一因だ。
 もっとも、皮肉なことに、九名に減って良かったという見方も出来る。というのも、その内八人が同じ曲を選んだのだ。しかも、抽選の綾で、八人連続して『女心の歌』を弾くことになったのだから、コンクールとは言え、聞かされる観客はたまったものじゃない。

 ヴェルディの代表的なオペラ『リゴレット』の中の名曲、『女心の歌』をピアノ独奏用に編曲した作品は、マルトゥッチの最も有名な楽曲の一つに挙げられる。おそらく八人共、過去にこの曲の演奏経験があるのだろう。全員が、この数日で仕上げたとはとても思えない、自信に満ち溢れた堂々たるパフォーマンスを披露した。
  だが、残念なことに、予め申し合わせたかのように、曲の隅々まで似通った解釈とアプローチの演奏に終始した。これは、前回大会で優勝したイタリア人女流ピアニスト、マリア・ザッカルディの演奏に影響されたと推測される。昨年、彼女が出したアルバムにこの曲が収録されており、その録音は非常に高い評価を得ていたのだ。ここまで勝ち残ったメンバーの大半……いや、おそらく全員が、このアルバムを聴いたことがあるのだろう。と言うのも、ザッカルディのアーティキュレーションを、そのままそっくりに真似たとしか思えないコピー演奏だったのだ。
 おそらく、八人が揃いも揃って、オリジナリティを打ち出すよりも、無難にまとめることを選んだのだ。コンクール、しかも準決勝という特殊な舞台だからこそ起こってしまった稀な現象だろうが、これだと審査する側は大変だ。比較材料や加点要素がない分、テンポの乱れやペダリングのズレ、ミスタッチなど、減点法で採点するしかない。
 つまり、音楽的な評価ではなく、スポーツの採点競技のような「技術の選考」に陥ってしまう。コンクールの趣旨から逸脱した、音楽性や演奏表現とは別次元の機械的な仕分けだ。それでも、優劣を付けるのが困難な程、全員が似通った演奏を無難にまとめてきた。聴衆にとっては、退屈の極みである。

 だからこそ、今から登場する三次予選最後の奏者、日本人ピアニストには期待を抱いてしまう。ほとんどの観客も——もしかすると審査員でさえ——おそらくヴェルディにはうんざりしているだろう。このタイミングで違う曲を弾くことは、それだけでアドバンテージになり得る。幸運としか言いようがない。
 しかも、今日になって判明したことだが、ここまで演奏した三次予選進出者は全員男性ピアニストだ。偶然だろうが、棄権した三名は、皆女性ピアニストだったのだ。その中には、中国系アメリカ人も含まれていた為、今から演奏する日本人は、本日唯一の東洋人でもある。全てが追い風になり得る条件だ。少なくとも、今日のステージで雰囲気が一変する瞬間には違いない。
 コンクールを勝ち抜く為には、絶対に運も必要だと言われている。全てが彼女にお膳立てしているような環境は、控え目に考慮してもチャンスとしか思えない。



 東原の演奏が始まると、加納の予想通り明らかに客席の空気は様変わりし、凍り付いたように静まり返った。観客が急に固唾を呑み、息を潜めたのだ。彼女が放つ戦慄的な鋭い音に背筋が伸び、右手が紡ぎ出す超高速のピアニシモがただならぬ緊張感を呼び込んだ。不安と恐怖を予感させ、そして、期待と希望を孕む和音の殻は、微かな光に溶解し、本質をおもむろに剥き出しにしていく。やがて、少しずつ音楽は弾むような律動を始め、ダイナミクスレンジを拡張する。単細胞生物が増殖するように、いや、生物が進化するように、音楽は加速的に膨らみ始めた。
 小柄な身体を躍動させ、ピアニストは鍵盤に全精力を注ぎ込む。正確なリズム感を伴うスキル、個性的な解釈のアーティキュレーション、内面を赤裸々に晒す表現力……オリジナリティ溢れるピアニストのアイデンティティを、惜しげも無く披露する。
 魂を揺さぶる音波の振動は、瞬く間に会場の隅々まで浸透し、跳ね返り、干渉し合い、そして渦巻いた。やがて、熱気を帯びたフォルテの嵐が吹き乱れ、音楽はいよいよクライマックスに差し掛かろうとしていた。



 東原の演奏を聴いていた加納は、途中から不吉な予感が脳裏を支配した。何かがおかしい。とてつもない不安と共に、言い知れぬ違和感に包まれる。演奏は、鬼気迫る熱演で、完全にホールを支配した。プログラムの最後にして、今日、唯一のワーグナー、唯一の女性ピアニスト、そして、唯一の東洋人。これらの幸運なアドバンテージも、彼女には必要がなかったようだ。その音楽は、圧倒的に他者を凌駕し、際立っていた。
 ゆったりとした重厚な和音進行も、軽やかに疾走するパッセージも、完璧に弾きこなす。技術的にも万全のようだ。この音楽は、僅か二週間で築いたものではない。加納は、そう確信していた。彼女は、今大会特有のイレギュラーな選曲でさえ、味方に付けていたようだ。運もタレント性も含め、彼女の潜在能力は計り知れないものがある。このステージが、世界的巨匠へと歩む第一歩になるかもしれない。
 それなのに、どうしても拭えない違和感が纏わり付いて離れない。何かがおかしい……とその時、加納は気付いた。そうだったのか、違和感の正体は足の位置だ。いや、違う。正確には、椅子の位置と高さだ。改めて、ステージの彼女を見直してみると、遠く離れた席からでも、その演奏スタイルは奇抜で個性的に映る。
 よく観察すると、彼女は殆ど座っているとは言えない姿勢で弾いていた。足の踏ん張りをお尻と背中で受け止めず、全てダイレクトに肩へと伝達させようとしている。そして、一旦肩に集めたエネルギーを、腕と指をしならせるようにして増幅し、鍵盤へ注入しているのだ。

(ダメだ! この弾き方では指が潰れてしまう! 靭帯も関節もたない!)
 加納は、思わず叫びそうになった。東原の音楽は、ちょうどコーダに入り、クライマックスに向けて登り詰めたところだった。



 ロレンツォは、名誉ある審査員を今朝になって辞退した。良心の呵責……その一言で済むのだろうが、全てを語るには表面的過ぎるかもしれない。確かに、出場者の一人と接触し、簡単にとは言え、予選に対峙するにあたっての具体的なアドバイスを行ったのだ。この行為は、審査員の規約に抵触することは勿論だが、それ以前に、一音楽家としての道義的責任も問われかねないだろう。
 それに、もっと根が深い理由もあった。彼女に対しては、公正なジャッジが出来ないことを自分で分かっていたのだ。そもそも、最初から彼女が出場することを知っていれば、審査員なんて受託しなかっただろう。
 コンサート事務局に無理言って、席を一つ用意してもらうことは出来た。その席で、一般客としてコンクールを鑑賞することになったロレンツォだが、そのことに対しては全く悔いはなかった。いや、そのはずだった。
 しかし、三次予選最後のコンテスタントとして彼女が登壇し、一音目を発した瞬間に、後悔の念が押し寄せてきた。思わず、「マズイ!」と心で叫んだ。伝え方が悪かったのか、説明が下手だったのか……いっそのこと、何も言わない方が良かったのかもしれない。彼女は、全くリラックス出来ていなかったのだ。
  彼女の演奏は、張り詰めた緊張感に飲み込まれてしまったのか、過剰な情熱が高いスキルに上乗せされ、鍵盤に必要以上の力が注ぎ込まれていた。唯一の弱点であるダイナミクスのレンジが、曲の前半にして、既に振り切れそうなぐらい高い位置で推移している。しかし、彼女にはこれ以上のボリュームがない筈だ。やはり、本番の舞台ではアドレナリンが出るのだろう。或いは、本能の奥深くを抉り出すワーグナーの音楽に、彼女自身が掻き立てられているのかもしれない。こうなると、もう制御も修正も不可能に近い。
 音楽は、否応にも後半に差し掛かってきた。不十分なダイナミクスを、何と彼女は床を踏み込むことにより体の重みを膨らませ、必死に誤魔化そうとしていた。本能的な行動だろうが、無理がある。音が割れるだけだ。高得点が見込まれていた音色や表現力の項目に、大幅な減点が発生する。それに、こんな弾き方だと、最後まで指がたないかもしれない。
「誰か止めるんだ! 演奏をやめさせろ!」
 ロレンツォは、今にも叫び出しそうな思いを必死に飲み込み、早く演奏が終わることだけを祈っていた。



 小さな身体で巨大な楽器に立ち向かい、手懐てなずけたかのように自在に音を操り、ステージを完全に支配していた女性ピアニスト。何かが乗り移ったような気迫と並外れた技術で、有無を言わせぬダイナミックな熱演を繰り広げていた東原は、音楽がフィナーレを迎える直前で突然演奏を止めた。何が起こったのか分からない客席は、身動き出来ずに固唾を呑む。刹那の沈黙。少しずつ騒つく客席。無言の奏者。
 おそらくは、ピアニストがミスをしたと勘違いしたのだろう。誰からともなく、励ますような拍手が起きた。すると、それが引き金となり、ほんの数秒後には会場全体に拍手の渦が巻き起こった。
 しかし、ステージ上の小さなピアニストは、そこだけ時間が静止したかのようにフリーズしたままだ。少なくとも、演奏を再開しようとはしなかった。やがて、ゆっくりと椅子から降り立つと、客席に向かい無表情で軽くお辞儀をした。そして、そのまま舞台袖に消えた。
 呆気に取られた観客は、何とか彼女を呼び戻そうと、一段と大きくなった拍手を止めようとしない。不規則な掌の破裂音は、次第に観客の呼吸が揃うに連れ、リズミカルな手拍子へと統一された。煽るように彼女の再登壇を促すが、結局、そのまま二度とステージには帰ってこなかった。このコンクールの舞台だけでなく、世界の何処のステージにも——。
  東原メグミという稀代の天才ピアニストは、そのまま永久にステージに戻ることはなかった。



 客席全体が異様な雰囲気に包まれている中、ロレンツォは彼女が演奏を止めた理由を悟っていた。と同時に、言いようのない絶望感に打ちひしがれた。
「私の所為だ……」前日に彼女と会い、演奏の助言をしたことは、本番の取組みに少なからずの影響を与えたであろう。会わない方が良かったのかもしれない。何も言わない方が良かったのかもしれない。勿論、どの道同じだったのかもしれない。結果論としては、何とでも言いようがある分、正解もない。ただ、少なくとも会って話をしたことは事実だし、彼女が本番で演奏を止めたことも事実なのだ。そこに因果関係を見出すこと、或いは黙殺すること、そのどちらも容易だが、客観的事実はもう動かせない。つまり、彼女の将来の可能性は剥ぎ取られたのだ。
 長い指導者のキャリアでも、稀に見るぐらいの才気溢れた若者だ。だが、もう少し時間を掛けて、奏法を見直すべきだった。四年に一度、二十二歳までという厳しい条件が彼女を焦らせ、将来を奪ったのだとしたら——実際、彼女には今回しか出場の機会がないのだから——何て残酷な結末だろうか。
 コンクールがピアニストを育むのではなく、摘花する場になったのだから、受け入れ難いアイロニーだ。



 客席には、もう一人、彼女が演奏を止めた真相を理解した人物がいた。加納だ。彼女が、演奏中に靭帯か関節を酷く損傷したに違いないと思った。と言うのも、途中から、明らかに彼女が奏でる音が変わってきたことに、加納は気付いていたのだ。本当なら、その時点で演奏を止めるべきだったのかもしれない。せめて、少しぐらいはセーブすれば良いものを、彼女はむしろ一層ヒートアップして、アグレッシブに攻め続けたのだ。
 クライマックスへ向かう怒涛のクレッシェンドなので、上手く観客は誤魔化せたかもしれないが、彼女のフィジカルはとうに限界を超えていたのだろう。鍵盤を押さえるのではなく、全体重を鍵盤にぶつけていたのだ。いや、足で蹴った床からの跳ね返りも加味すると、体重の倍近い力をほぼ十本の指先だけで支えていたようなものだ。
 やがて、指への負荷の蓄積は耐荷重を超え、全てを支え切れなくなった。本来なら、エネルギーの過剰分は流出させないといけない。つまり、力を逃さないといけなかったのだ。
 しかし、彼女にはその術がなかった。いや、そうするつもりがなかったのだろう。余分な力までも音楽のエネルギーに変えようとし、結果的に何かが破壊されたのだ。小さな身体だからこそ、大きな会場を響かせる為に、より大きなパワーが必要だと勘違いしていたのだろう。
 加納は、何ともやり切れない気持ちに気分が滅入った。彼女は、間違った指導の犠牲者だ。単純な力ではなく、効率の良いエネルギーの伝達と打鍵スピードでコントロールすべきだったのに——。その為の弾き方を身に付けず、文字通りの力任せの演奏に終始した。類稀な表現力や音楽センスも、あの奏法だと100%の発揮は不可能だろう。悪いのは彼女じゃない。指導者だ。指導者の無知と誤りが、ピアニストの将来を奪ったのだ。

 それでも、あと僅か数十小節、時間にしてほんの数分だけ堪えることが出来たなら、間違いなく彼女は決勝の舞台に立てただろう。優勝も夢じゃなかった。世界的なピアニストに育ったかもしれない。それぐらい、圧倒的な演奏を披露していたし、会場を味方に付けるタレント性も持ち合わせていた。
 しかし、結果はどうであれ、いずれ彼女の指は故障したに違いない。あの弾き方を続ける限り、決して負傷からは逃れられなかったと断言出来る。誤ったフォームで投げ続け、肩や肘を壊すピッチャーと同じだ。
 もう少し早く彼女と出会えていたら、少しは役に立てたかもしれない。いや、まだ遅くない。きちんと治療し、完璧に怪我を治せば、まだまだやり直せるはずだ。あれ程の才能を捨てるのは、あまりにも勿体ない。

  加納は、東原とどうにかしてコンタクトを取ろうと試みた。数日後、運良く現地の日本人記者にも接触出来たのだが、既に彼女は治療の為に帰国していた。それに、その記者も、彼女の出身地や所属先など、詳しいプロフィールは一切聞き出せなかったそうだ。
 本来なら歴史に名を刻んだであろう東原メグミというピアニストは、一度も日の目を見ることなく、マルトゥッチ国際ピアノコンクール三次予選途中棄権と最終経歴を上書きし、そのまま表舞台から消えてしまった。
 一週間後に行われた決勝は、東原の演奏の余韻が残っている加納にとって、ドングリの背比べに過ぎなかった。確かに、最後まで残った六人だけのことはあり、技巧的には超一流の奏者ばかりだ。また、若者ならではの貪欲なモチベーションと勢いは、決勝ともなると更にヒートアップして聴衆に襲い掛かり、会場は熱気に包まれた。
  しかし、豊かな音量とミスのないタッチも、乱れないテンポやオケに負けないダイナミクスも——、全てが完璧な演奏ではあるが、東原のような霊的な吸引力は感じられない。心を揺さぶる音でもない。観客を虜にするキャラクタのスター性もない。どこか機械的で、味気ないのだ。この場にいるはずだった東原の姿がないだけで、加納にとっては退屈な一日でしかなかった。

 マルトゥッチ国際ピアノコンクールの鑑賞体験を通じ、ささやかながら唯一の糧となったことは、間接的とは言え、加納に運指法の重要性を切実なまでに知らしめたことだろう。その後、世界的な権威として名声を得る加納だが、本格的にフィンガートレーニングの研究に取り組んだのも、若き天才ピアニストが、無惨に散る瞬間を目の当たりにした体験が大きな転機となったのだ。


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