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おいしいジャムを作りましょう

(本作は2,340文字、読了におよそ4〜6分ほどいただきます)

 勿論、果物は好きだ。そして、朝食はパン派なのだが……私は、市販のジャムを美味しいと思ったことがなかった。どれもこれも、甘過ぎるのだ。果物の魅力を台無しにする加工品で、むしろ憎悪すら抱いていたぐらいだ。
 しかし、知人に貰ったジャムは別物だった。甘さよりも酸味の主張が強かったのだ。フルーツの魅力が活かされ、香りも色も光沢も申し分なく、粘度も固過ぎず緩すぎず、まさに私が求めていた理想のジャムだったのだ。
 どこで手に入れたのかと尋ねると、自分で作ったとのこと。ならば、作り方を教えて欲しいと頼み込み、それを機に、私はジャム作りに没頭するようになった。
 元々凝り性の私は、知人に教わったレシピだけでは物足りず、ネットでジャム作りのノウハウを徹底的に学んだ。基本的に、糖度と酸とペクチンを含む果物なら、何でもジャムが作れることを知った。イチゴやリンゴ、ブルーベリー、アプリコット、ラズベリー……変わりものでは、プラムや桃、ソルダム、ネクタリンなどもジャムに出来るのだ。
 まずは、アプリコットで作ってみた。 
 様々なレシピを見ると、大抵の場合、果実の重量に対し、七〜十割前後の砂糖を使うのだが、私がジャムに求めるものはフルーティな酸味と香り。従って、砂糖の分量は、適量から三割程度減らしてみることにした。

 まず、よく洗ったアプリコットを、乾いた布で完璧に拭き取る。この時、一滴でも水が残ると品質が低下するとも言われている。
 次に、種を取り出し、皮を剥かずに適度にカットした果実をホーローの鍋に入れ、分量の半分程度の砂糖をまぶし、30分程置いておく。水分が出てきたらとろ火で煮込むのだが、色が濁らないように、出来る限りかき混ぜないようにする。途中で残りの砂糖を2〜3回に分けて投入する。ただし、この手順はアプリコットの場合であり、苺など、果実によっては、強火で一気にかき混ぜながら仕上げた方が良いこともあるので、種類により適宜微妙な調整が必要だ。
 とは言え、あらゆる果実ジャムでも共通していることもある。それは、好みの粘度よりも、やや緩い状態で火をとめること。実は、このタイミングが一番難しい。ペクチンは、温度が下がると固まる性質があるので、丁度良い固さまで煮込むと、冷ました時にはカチカチになっているのだ。だからと言って、緩過ぎるとソースに近い仕上がりになってしまう。その頃合を計るのが難しいのだ。
 途中、好みで、ブランデーやラム酒、コアントローなどで香り付けをしても良い。ペクチンが足りない場合などは、レモン汁を加えるのも良い。
 そうして仕上がったジャムは、直ぐに煮沸消毒した密閉出来る耐熱のビンに入れ、粗熱が取れた頃に脱気処理を行なう。ここまでのルーティンをこなして、ようやくアプリコットジャムの出来上がり。糖度、風味、粘度、色合い、そして保存の為の脱気処理まで、全ての要素を上手くまとめて、初めて理想のジャムが出来上がるのだ。 

 初めてのジャム作りが成功し、すっかり気を良くした私は、その後も、ブルーベリーやプラム、リンゴなどでジャムを作ってみた。 
 研究を重ね、勉強も怠らず、底知れぬ向上心でジャム作りに取り組んだ。やがて、毎日のように何らかの果物をジャムに加工するようになった。そうなると、もはやジャムを味わう喜びは忘れつつあり、ジャムを作ることこそ生き甲斐になり、ビンの煮沸消毒はおろか、データを記載したラベルをビンに貼り付ける作業さえが愛しいのだ。冷蔵庫の中は食べ切れないほどのジャムで溢れ、生活費のほとんどがジャム作りに費やされた。いつしか職を失い、家族に逃げられ、ペットは餓死した。布団にはカビが生え、風呂にも入らず、寝るのも惜しみ、近所では「ジャムおじさん」と揶揄され、それでもジャム作りに明け暮れた。

 次第に、ジャム作りに飽きてきた。いや、厳密に言えば、ジャムのレパートリーが限られているため、食材のローテーションに飽きたのだ。色々な果物のミックスバージョンも、様々な組み合わせでやり尽くした。 
 それでも、決してジャム作りそのものは飽きていない。むしろ、情熱は更に昂ぶっているぐらいだ。ただ、もっと別のジャムを作りたいのだ。

 そこで、私は一つのアイデアを思いついた。ペクチンを含まないもので作ってみよう……と。そう、ペクチンを含まない食材でも、ゲル化材を投入すれば同じことだ。 
 そこで、更にそのアイデアを推し進め、それなら何も果物に拘る必要もないと考えた。

 それからは、私は好きなものを何でもジャムにすることにした。考えてみると、日本には四季折々の、豊富な食材があるのだ。春は筍、夏はすいか、秋は秋刀魚、冬は牡蠣……思いつくもの全てを、ジャムにした。
 そうなると、レパートリーの可能性は果てがない。あれもこれもと思い付く限りの好きなものを、ジャムにすることにした。 
 茄子にキュウリにトマトにかぼちゃ、卵にツナに鳥レバー、鰻、納豆、ナマコまで、何でもかんでもジャムにした。 
 実際に食することのない在庫は、どんどん貯まる一方。もう、食べることなどどうでもよく、兎に角ジャムを作らなければという脅迫観念にすらなっており、手当たり次第にジャムにしないと落ち着かなくなっていた。 
 好きなものを思い付くと、「これはジャムにしなければ」という衝動に駆られ、もう抑制は不可能だった。制御不能のジャム作りへの執着に動かされ、お気に入りの本やDVD、スーツや靴までもジャムにした。

 そんなある日のこと、突然妻が帰ってきた。 
 早速、ジャムにすることにした。