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パパとママと猫達と

(本作は1,731文字、読了におよそ3〜5分ほどいただきます)

 僕は、物心が付く前から四匹の猫に囲まれた生活を送っていた為か、いつしか猫の言葉が理解出来るようになっていた。
 これは、僕がまだ「赤ちゃん」と呼ばれている時期のことだ。一人で歩けるようになった頃、パパとママがニコニコしながら、僕に「おいで、おいで!」と手招きしていた。しかし、そのすぐ横で、アメショーのモモが「別に行くことないよ。無視しときな」と気のない忠告をしてくれたのだ。その時、僕はどうしたらいいものか迷ったものだ。
 当然ながら、パパとママの話す言葉は、猫の言葉とは比べものにならないほどに、とても複雑で難解な言語体系を持っていた。赤ちゃんヽヽヽヽだった僕にはほとんど理解が追いついておらず、表情から意を読み取っていただけだ。また、猫の言葉と違い、発声や発音にも高度な技術と鍛錬が必要なようで、ヒアリング以上にスピーキングは時間が必要なのだ。
 それでも、パパとママが僕に注ぐ深い愛情は感じており、僕が一人で歩く姿を見たがっていることや、歩いて近付いてあげるとものすごく喜んでくれることも分かっていた。だからこそ、モモの意見の真意が分からなかった。それでも、モモにも嫌われたくなかった僕は、本当にどうすべきなのか分からなかったのだ。思えば、赤ちゃんにして、初めて人生で迷った瞬間だ。
 結局、モモに小さな声で「一回だけ行ってくるよ」と告げ、僕はヨチヨチ歩きでパパとママの所まで歩き出した。そして、ようやくそばまで辿り付いた時、パパがそっと抱き上げてくれ、「すごい! すごいぞ!」と涙を流すかのようなテンションで大喜びしてくれた。そのすぐ傍で、ママも目を潤ませ、泣き笑いのような満ち足りた笑顔で僕を見つめていた。そんなパパとママの表情を見た瞬間、何だか僕もすごく嬉しくなり、同時にモモの気持ちも少し分かったのだ。
 そう、モモは所詮は猫なのだ。パパとママに可愛がられてはいるが、当然ながら僕ほどではない。つまり、モモはヤキモチを焼いていたのだろう。

 数ヵ月後、僕はまだ人間の言葉は話せなかったが、パパとママの言っていることは、かなり理解出来るようになっていた。一方で、猫語に関しては、随分話せるようにもなっており、四匹の猫とはパパやママと同じぐらいに仲良くなっていた。
 しかし、その頃になって、パパとママは猫語が理解出来ていないことに気付き始めた。
 と言うのも、例えば、スコティッシュのバナナがママに抱っこされている時、バナナは必死で「下ろせ、このボケッ!」って怒鳴っているのに、ママは暢気に「あらぁ、バナナちゃん、嬉しいの?」って何とも的外れな勘違い発言をすることも多々あったし、また、シャムのライチは、散々「嫌だ、やめろっ!」って言ってるのに毎日のようにブラッシングされていたり、どうやら全く猫の言葉が通じていないことは明白だったのだ。

 不思議なことに、四匹のネコは、皆人間の言葉を理解したのだ。でも、残念ながら、人間の言葉を話せるネコは一匹もいなかった。従って、猫と人間のコミュニケーションは、なんともチグハグな形になってしまうのだ。
 つまり、猫が何を言っても、パパとママは自分の都合の良いように受け取ってしまうのだ。
「危ないよ」って忠告してあげても、「うるさいな」と叱られたり、「お腹空いたんだけど」っておねだりしても、「あ、ゴメン、水なかったね」って水を補充されたり。
 よく考えると、このような関係は、パパとママには何の被害もないのだが、猫達は非常に困ることもあるし、迷惑な時もあるのだ。
 僕は、パパとママも大好きだし、猫達とも仲良く暮らしたいのだ。そして、猫達がパパやママともっと理解し合えたらいいのに……と思っていた。
 いや、僕が早く言葉を話せるようになれさえすれば、全てが上手く行くのだ。そうは思っても、僕が言葉を話せるようになるには、まだまだ時間が掛かるだろう。



 更に数ヵ月後のことた。リビングのソファーで横になっていると、和ネコのビワが話し掛けてきた。
「お前、そろそろ人間の言葉喋れるようになったのか?」
「ごめん、それがまだ喋れなくて……」
「そりゃそうだな。やっぱりネコには無理だって」
「えっ?」
「いい加減、自分もネコだってことに気付けよ」
「ニャ?」