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形のない音楽

(本作は1,996文字、読了におよそ3〜5分ほどいただきます)

 突如、頭の中で再生されたメロディが、延々とリピートする——。
 またか……と、私は嘆いた。年に数回、同じ現象が起きるのだ。これは、作曲家として現実的な問題と直結する。と言うのも、いきなり浮かび上がったこのメロディが、自作なのか何処かで耳にした曲なのか、自分でも判断出来ないのだ。



 とあるクリエイターのグループで、合同発表会を行うことになり、出品作品を制作中だった。と言っても、専用のサイトに指定された期間内に投稿するだけだが、プロも含め数十人が在籍する大規模なグループで、ジャンルも文芸や絵画、音楽、映像作品だけでなく、料理や手芸や陶芸など多岐に渡っており、かなり大掛かりなイベントなのだ。
 私は、そこで楽曲を発表する予定だった。そんな折、突然曲が浮かんだものの、それが本当にオリジナルなのか確信出来ず、制作は行き詰まったのだ。

 ポール・マッカートニーも、突然美しいメロディが浮かんだ経験があるそうだ。彼は、すぐにメロディを譜面に書き残した。あまりにも美しい旋律だが、あまりにも自然に生まれたので、何処かで無意識に聴いた曲ではないか? と不安になったらしい。なので、彼は色んな人にそのメロディを聴いてもらったそうだ。「この曲、知らないか?」と。
 結果、誰もが聞いたことのないメロディだと答え、ようやく自分で作った曲なのだと確信したそうだ。かの名曲、「イエスタデイ」は、こうして誕生したという逸話が残されている。

 音楽界の偉大な大先輩——しかも、世界的なレジェンド——と、無名の売れない私を比較するなんて、烏滸がましいにも程がある。でも、あのポール・マッカートニーでさえ、同じ悩みを経験していたなんて、何となく嬉しくもある。
 いや、今は直面する問題に目を向けないといけない。今尚、脳内で流れ続ける旋律が、既存の曲なのか否か? このまま私のオリジナルとして、発表してもいいのだろうか?
 ビートルズの時代とは違い、情報や商品やエンタメは飽和している。既存の曲だとしても、メジャーな楽曲とは限らない。世界では、夥しい数の音楽家が、毎日サブスクやSNSで無数の楽曲を発表している時代だ。数人に聞いたところで、オリジナルか否かの判別は不可能だろう。
 しかも、誰かの曲だったところで、誰もが知っているような名曲ではないことは確かだ。なので、原曲を知っている人に出会う確率も、かなり低いと言えるだろう。
 だからといって、自曲として発表しても大丈夫……とは、なかなか思えない。万が一、これが既存の曲で、もし誰かにバレたら……恐ろしく炎上するだろう。そういう時代なのだ。もう、この曲のことは忘れるべきなのか。



 頭をスッキリさせようと、淹れたてのコーヒーを口にする。創作とコーヒーは相性が良く、ベートーヴェンもインスピレーションを養う為に、作曲の合間にコーヒーをがぶ飲みしていたそうだ。
 しかし、私の場合、普段から右脳のリセットを目的に愛飲していた。程よい苦味とカフェインの作用で、メロディが消え、頭がクリアになる。いつも通りだとそうなるはずなのに、今回に限り真逆の結果に……。出自不明の曲が、なんとBメロに突入したのだ。これは、本当に創作なのか……いつもの自分の曲調ではないが、突然私に降りてきた曲には違いない。創作なのか記憶の再現なのか、ますます分からなくなってきた。
 とりあえず、この曲を譜面に残そうと思った。オリジナルという確証はないが、もう二度と浮かばないメロディかもしれない。だからこそ、このまま消えてしまうのは勿体ない。五線譜にメロディを書き写していると、これは自分で創り進めているのか、記憶を思い出しているのか分からなくなってきた。それでも、無事にAメロとBメロを楽譜に残すことは出来た。
 この曲の取扱いは後回し。脳内から紙面への変換は重要だ。そうしないと、音楽は存在出来ないから。思想や哲学などと一緒で、脳内だけでも完結してしまうからこそ、アウトプットしないと存在しないのだ。
 そして、この先、物理的な「形」へと昇華させることが「演奏」かもしれない。更に、楽譜と演奏の間には楽器と奏者も介在する。つまり、音楽を音楽として万人に届ける為には、曲と楽譜と楽器と奏者が、一本の線で繋がる必要がある。この辺りが音楽の特殊性であり、文芸や絵画との大きな違いだろう。



 結局、悩んだ挙句、この曲はお蔵入りさせることに決めた。なかなか美しいメロディだが、どうしても自分が生み出したと言い切れないのだ。それだけの自信が、今の私にはないとも言える。
 例の合同発表会は辞退し、この体験を掌編小説にして他サイトのコンテストに応募することにした。そして、今、ここまで書いたのだが……頭から読み返してみると、ふと疑問が芽生えてしまったのだ。
 この物語、本当に自分の創作なのか? 何処かで読んだことがあるような気もするが——。