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ピアノは木で出来ていると人は言う

(本作は2,591文字、読了におよそ4〜7分ほどいただきます)


「ピアノの外装は、何で出来ているか知っているかい?」 

 彼は、穏やかに口を開いた。僕は、答えに躊躇した。唐突な彼の質問の意図が、全く掴めないのだ。冗談なのか、本気なのか……いつもそうなのだが、彼には表情らしきものがない。言動に、感情がない。過去も語らず、未来も指向しない。ましてや、自分を一切語らない。 
 しかし……とても知的なのだ。いや、知性しかないとも言える。言動の一つ一つが知的で、上品で、貴族的で、時折芸術的にすら感じるほどだ。 
 そう、彼そのものが、冷たい氷に閉じ込められた、残酷なぐらい美しい創造物なのかもしれない。 

「木材……でしょうか?」
 息詰まる沈黙と光のない視線に耐えられず、当り障りの無い回答をしてみた。しかし、彼の表情には少しの変化も確認されない。 

「とりあえず、食べたまえ。好きなだけ食べ、好きなだけ飲みたまえ」
 大きなダイニングテーブルの両端に、僕たちは向き合って座っている。暗いこの部屋の、唯一の照明でもある蝋燭が、仄かに彼の顔を照らし出す。
 しかし、揺らぐ陰影の向こうに浮かぶ表情からは、いかなる感情も読み取ることが出来ない。 

 空気はおろか、時間の流れさえ止まってしまうかのような静寂に耐え切れなくなり、僕はさりげなく目の前のディナーに手を付けた。とは言え、食器が触れる度に発生する無機質な金属音が気になるだけで、食物の味を感じるゆとりはない。味どころか、匂いも歯応えも、いや、温度さえも、感度が極限まで落ちているかのように、何も感じない。
 どうやら、とてつもなく緊張しているようだ。 

「思い込みは恐ろしい。しかし、思い込みは利用できる」 
 彼の言葉には、必ず意味があるはずだ。僕は、敢えて食事に専念することにし、彼の言葉の続きを待った。機械的に、肉や野菜らしき物質を体内に流し込む。 

「そう、誰もが木材と思い込んでいる。ピアノは木で出来ている……詳しく知らない人でも、それが常識だと思っている。これを思い込みと言う」
 一気にそれだけ喋ると、彼はまた黙り込む。恐怖にも似た静寂が、緊張を増幅させる。 

「実際は……その、木材とは違うのでしょうか?」
 僕の質問が聞こえたのか、或いは、無視されたのか……それっきり、再び長い沈黙が訪れた。緊張と集中を切らさぬように、僕は静寂を維持することに専念した。その間も、思考をフル回転させ、次の展開をどうするのか、いつ動くべか、必死に考えていた。
 しかし、僕から動く必要はなかったようだ。数分後、思い出したように彼は口を開いた。どうやら、僕の質問は聞こえてはいたようだ。 

「君は、ピアノの黒い塗装を剥がしたことはあるかい?」
「い、いえ……ありません」
「今度剥がしてみるといい。大量生産された安いピアノが良いだろう。部分的に、樹脂や鉄、アルミなどが出てくるさ」
 さすがに、話の流れから、木じゃないピアノがあるのだろうってことは予想出来た。しかし、そこから彼が何を伝えたいのかは、全く予想出来ない。味を感じない肉料理を、黙々と摂取した。 

「黒く塗ってしまえば、材質なんて分からない。しかし、その前提には、誰もが木材だと思い込んでいるという事実があるのだ。実際は何か知らなくても、常識化した思い込みを人は疑わない」
 うん……確かにそうかもしれない。
 常識と非常識の違いは、一般的か否かの違いとも言える。それは、決して正誤ではなく、本質ではないのだ。 

「物を隠す時、この法則は利用出来る」
 あぁ、ついに本題に入ったようだ。質問したい衝動を、固い肉と一緒に飲み込んだ。
 もう「食べる」という行動の定義から外れたかもしれない食物摂取に、何の違和感もなくなってきた。とにかく、彼には何でも良いので、話して欲しい。 

「まさかこんなところにあるわけない、とてもこんなところには入らないはず……そう思い込んでいるのなら、決して見つからないだろう。思い込みや先入観は、盲目に繋がる。この摂理を上手く応用した芸が、手品やマジックだ。さらには、超能力なんてものも、その延長と言っていい」 

「まさか? ってところに真実を隠すことが出来ると、人はそれを見つけることが出来ない。つまり、そのまさかと思い込まれている場所や方法を見つけることが、重要なのだ……さてと、ところで……君は何の用事でここに来たのだったかな?」 

 こういった状況で、何もなかったように惚けることは、なかなか出来ないものだろう。しかし、彼はそれを自然にやってのけた。
 いや、自然に見えたのは、相変わらず変化のない表情の所為かもしれない。 

「失礼を承知で率直に申し上げます……既にご存知とは思いますが、先日この近所で幼い女の子が行方不明になりました。その後、女の子は殺害された可能性が高く、遺体の一部が家族の元に送られてきました。この事件は、身代金目的の誘拐や、遺族への怨恨などではなく、衝動的な犯行とも考えられず、おそらくは一種の快楽殺人ではないかと……我々は想定しております」 

「実は、犯人の目星も付いております。ただ、証拠が何もない。物的証拠はおろか、状況証拠すら積み重ねられず、また、容疑者が社会的地位の高い人物であるため、任意同行も難しい。せめて遺体や遺留品を発見出来れば……と思い、ここに来ました」 

 彼の表情は、微動だにしない。強いて言えば、ほんの少しだけ、微笑んだようにも見えた。決して愉快な笑みではなく、挑発的な笑みだ。 

「つまり、あなたが犯人であることは分かってます。この屋敷のどこかに死体があることも分かってます。でも、あなた自身が最も分かっておられるのでしょうが、現状ではなかなか捜査令状が取れないのです。なので、直接乗り込んでみたんですよ」 

 そこで、初めて彼の表情が明確に変化した。とても冷淡で皮肉に満ちた、狡猾な笑みを浮かべたのだ。 

「はははっ、君、なかなか面白いじゃないか。久しぶりに笑わせてもらったよ。まぁね、君が私を疑っていることぐらい、最初から知っていたがね。何故か? なんて野暮なことは聞かないさ。興味ないしね。さてと……それで、死体の隠し場所とやらは分かったのかな? 分かるはずないさ。そんなもの、最初からないからね。何なら、家中を探すがいいさ。令状なんてなくても、私が許可してやるよ」 

「ところで……ディナーの肉は美味しかったかい?」