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彼女達のピアノ 最終話

最終話 『彼女の決意』


 天才は、間違いなく存在します。
 ただ、天才と呼ばれる人の中は、過剰評価されているだけのこともあります。特に、子どもの評価の場合は、単に早熟なだけだったり、たまたま運が良かっただけだったり。そういった場合、天才と持て囃される期間もせいぜい数年でしょうし、その後は平凡、良くても「少し出来る人」程度の評価に収束するのが必然です。
 もし、そこから過信や自惚れにつながった場合は、悲劇を招くかもしれません。特に、親が我が子をそう思い込んだ場合、単なる親バカで済まされないほどに、悲惨な現実を呼び込む危険性を孕むでしょう。
 以上を踏まえた上でも、愛梨(仮称)は本物の天才だと確信しました。

 私が初めて愛梨に会った時、彼女はまだ五年生でした。ピアノを高級機種へと買い換えたのを機に、調律の紹介を頂き、愛梨と知り合うことが出来ました。
 彼女の第一印象は、とにかく「大人びてる子」でした。会話の受け答えも小学生とは思えない程に明瞭で、使う語彙も高校生レベルだったのです。反面、見た目は少女そのもの。体型はやや細身ですが、痩せていると言うより引き締まっている印象でした。そして、何よりも、見たことのないレベルの美少女でした。
 愛梨は、幼少よりバレエを習っているそうで、小学生のバレエコンクールの全国大会で、上位入賞したばかりでした。そのご褒美に、ピアノを買い換えてもらったとのこと。それを、初めて会う私に、屈託のない愛らしい笑顔で嬉しそうに説明してくれました。
 また、水泳もずっと習っているそうです。しかも、これまたハイレベルな実力です。三年生の時にジュニアオリンピックの十歳以下の部で、自由型、平泳ぎ、バタフライ、個人メドレーの計四種目で入賞、バタフライは表彰台にも上がったそうです。なのに、背泳ぎの予選落ちを悔しがっていたのです。
 スポーツだけではありません。絵画や読書感想文、書道でも、全国レベルの賞を何度も受賞しており、学業も常に学年トップ。そして、何よりピアノの演奏も突出していました。
 某コンクールでは、三年生の時に飛び級(五、六年生の部)で全国制覇。四年生になると、飛び飛び級(中学生の部)で全国大会入賞という、「早熟」では説明出来ないぐらいの、紛れも無い「天才」だったのです。
 このように、何もかも全てを手にしたような天才少女ですが、彼女に纏わりつく運命の女神は、とてつもなく意地悪だったのです。実は、愛梨は小二の時に、あまりにも残酷な診断を受けていたのでした。

 病名、網膜色素変性症。

 これは、少しずつ視野と光が失われていく、進行性の不治の病で、難病にも指定されている疾患だそうです。当時五年生の愛梨は、既に夜間は一人で歩くことが困難なほど、暗い所での視力はかなり奪われていました。
 まだ小学生の彼女ですが、自らの病がどういうものかを明確に知り、受け止めていたようです。徐々に視力を失くしてしまうこと、二十歳ぐらいには盲目になる可能性もあること……愛梨は、全てを理解した上で、それでも決して悲観的にはなりませんでした。いや、むしろその逆と言えるでしょう。
 愛梨は、目が見えるうちに、色んなことを身に付け、たくさん学び、経験を積み重ねたい! そう決めたそうです。だからこそ、勉強もスポーツも音楽も、目が見える喜びと視力を失う恐怖を感じながら、精一杯取り組んでいたのでした。

 しかし、愛梨と知り合って四年が経つ頃、第二の悲劇が彼女に襲い掛かりました。父親が自殺したのです。
 愛梨の父は、会社を経営していました。それなり以上に成功を収め、かなり裕福な生活でした。愛梨が沢山の習い事に通えたのも、父の高収入があってこそなのです。
 会社経営は、順風満帆な発展の途上にありました。ところが、愛梨が中学三年生の時、予想だにしなかった世界規模での大不況に突入しました。リーマンショックです。
 愛梨の父の会社は、リーマンショックの影響をダイレクトに受けてしまった業種でした。恐ろしい程のスピードで経営は傾き、立て直す間も無いままに、沢山の負債を抱え倒産しました。そして、生産性のないハードな残務処理に追い立てられ、重度の鬱に罹り、ひっそりと自らの命を絶ったのです。
 愛梨の母には、沢山の借金が遺されました。家を売り、預金を全部注いでも、約一千万円も足りませんでした。親子は小さなアパートに引っ越し、愛梨の習い事も全て辞めざるを得なくなりました。高校受験も、目標にしていた私学の名門校を諦め、公立に絞ることにしました。愛梨も、もう子どもではありません。全て理解し、受け入れました。
 しかし、最後の最後まで、愛梨が手放すのを抵抗したものが、ピアノでした。ヤマハのSU7という、最高級のアップライトピアノです。母親も、ピアノだけは娘に続けさせたいと考えていましたし、レッスンの継続は無理でも、せめてピアノは家に置いておきたかったようです。
 しかし、辛うじて契約出来た2DKのアパートは、楽器演奏はもちろん、持込み自体も禁止の物件でした。そして、何より少しでもお金が必要だったのです。
 SU7は、ヤマハの歴代ピアノでは最高価格で販売されていた希少な高級機種です。しかも、愛梨のピアノはまだまだ新しく、買取り査定も当時では破格となる90万円もの値が付きました。

 私に買取の相談が来た時、実情を赤裸々にお話くださり、号泣したことを今も忘れません。
「本当に売っちゃっていいの?」と聞く私に、愛梨は笑顔で、「納得するまで弾き切ったし、高校生になったらどうせ弾く時間もないし、もういいの」と答えました。その笑顔の下に、愛梨がどれだけこのピアノを愛しているのか、隠し切れていない中学生の本音が垣間見えて、私は返事に窮しました。
「手続きは直ぐに出来るので、もう少し待って欲しい、もっと良い査定してくれるところ探してみるね」とだけ伝え、その場を引き取りました。

 帰宅した私は、結婚して初めて旦那に泣きつきました。愛梨のことは、旦那もよく知っています。私の必死のお願いに、旦那も渋々ながら了解してくれたのです。つまり、あのSU7は私達が買い取って、いつか愛梨に使ってもらえるように保管しておく……そう決断したのです。
 私達にとっては、決してゆとりのない生活の中、大き過ぎる出費です。「本当に生活が苦しくなったら、容赦なく売るから!」という旦那の条件を飲み、何とか愛梨のピアノを手元に残すことが出来たのです。
 翌日、愛梨の母に連絡しました。95万円で買ってくれる所を見つけたよ、と嘘をつきました。よりリアルに思わせる為、少しだけ値段も上乗せしました。そして、すぐに配送の手続きを行い、私の実家の使ってない部屋にピアノを運びました。以降、帰省するたびにメンテナンスを行いました。

 その後、愛梨は無事に、県内ナンバーワンの公立高校に進学しました。高校在学中に芸能事務所にスカウトされ、学校の許可を得て、モデルとしても活動するようになりました。
 そして、高校卒業後には地元の私大に進学しました。何と、学費免除の特待生として入学出来たのです。
 残念ながら、目の病は治ることはなく、日に日に視力の低下に悩まされています。しかし、医学の進歩も目まぐるしく、進行を大幅に遅らせる薬が開発されました。この恩恵により、日常生活に支障のないレベルを辛うじて維持しています。モデルと学業を両立しながらも、日々明るく精一杯にキャンパスライフを堪能しました。

 母親にも大きな転機が訪れました。アパートに越してからは、パートで僅かな収入を稼ぐ毎日でしたが、ある日のこと、亡くなった旦那にお世話になっていたという方に、バッタリ会う機会がありました。そして、その方に、かなりの厚遇で正社員としての働き口を斡旋してもらうことが出来たのです。
 更に、父の自殺から一年ぐらいが経った頃、生命保険が下りたのです。実は、愛梨の父は在命中に生命保険に加入していたようです。
 幸か不幸か、取引先との付き合いから、その人の成績の為だけに渋々入った保険だったので、保険内容もアラカルト的に必要ありそうなものだけをピックアップした手作りのコースで、かなりいい加減なところがありました。何より、自殺の場合の支払いについて明確な免責期間の記述がなかった為、会社の顧問弁護士だった方が、自発的に、しかも無償で保険会社と交渉していたのでした。
 一般的に、自殺の場合は保険金が下りないことが多いのですが、1〜3年程度の免責期間を超えると支払われる、という契約もあるのです。愛梨のお父さんの場合は、契約から5年が経っていることにプラスして、免責事項に明確な記述がなかったという、通常ならまずあり得ない失態が追い風になり、また、弁護士自らが交渉したこともあり、まとまった保険金を受け取ることが出来たそうです。そのおかげで、愛梨親子は借金を全額返済出来、少し広めのマンションに引っ越すことが出来ました。

 やがて、愛梨はモデル業をしながら大学を卒業し、公務員になりました。やはり、病気のことがあり、一般企業への就職は叶いませんでした。車の免許も取れませんし、夜間の行動にも難があるのですから、仕方ないでしょう。
 それでも、親子はようやく安定した生活を取り戻したのです。そんなある日のこと、愛梨親子から連絡があり、ピアノが欲しいと相談されました。
 私は、たまたまSU7が安く入るよ、と嘘の説明をしました。当時は、中古でも最低130万円はするピアノです。それを95万円でとお伝えしたら、是非欲しいと即答されました。言うまでもありません。そのピアノは、愛梨のピアノです。
 丁度、間も無く訪れる夏休みに、帰省を計画していたところでした。私は実家に保管していた愛梨のSU7を、綺麗に掃除し、整備し直し、調律しました。そして、直ぐに愛梨の元へ戻してあげました。



「ねぇ、このピアノさ、前のと同じ機種だからかもしれないけど、すごく懐かしい音がするよね?」
 愛梨が約十年振りに自分のピアノを弾いた時、そんな言葉が漏れて来ました。もちろん、私は親子に真相は伝えておりません。でも、お母さんは、口にこそ出さないものの、薄々気付いているかもしれません。
「何だろう? このピアノすごいよ! 私の身体の一部みたいに鳴ってくれる!」

 この十年間、何度このピアノを売ろうと考えたことか……我が家の家計は、何度となく経済的なピンチを迎えました。そのことで、いつも夫婦喧嘩になりました。それでもこのピアノはいつか愛梨に返したい! その思いだけはけっして絶やさないように心掛けました。
 まさか、本当にその日が訪れるとは……私は、溢れそうな涙を必死に堪えていました。ふと、お母さんに目をやると、同じように必死で涙をこらえていました。
 きっと、ピアノもこの日を待ち望んでいたのだろう……そうとしか思えないぐらい、愛梨の奏でるSU7は、喜びに満ちた温かい音を紡ぎ出しました。

 更に数年が経ちました。少女だった愛梨も、二十七歳になりました。すっかり大人の女性です。
 二十歳頃には失明するかも、と宣告されていた視力も、かなり視野は狭くなってきてはいるようですが、まだしっかりと見えているようです。ただ、昔と違うのは、「いつか見えなくなる」という諦念や受容が、今の彼女からは完全に消え去ったことです。逆に、絶対に視力を失うものか! と必死に抵抗しています。
 先日会った時も、「この子が成人するまでは絶対に見届けるの!」と産まれたばかりの赤ちゃんを抱きながら、いつもの笑顔で宣言していました。

 母は強し……難病に対峙しても、真正面から正々堂々と迎え討つ愛梨は、とても強く、誰よりも美しく見えました。
 そして、やっぱり愛梨は天才です。何より、強く生きる才能に溢れているのです。

(了)

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