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彼女達のピアノ 第6話

第6話 『彼女の秘密』


 ピアノの買取業において、国内最大手の中古流通業者と私の旦那が、大昔より懇意な関係を築いておりまして、日頃より何かと恩恵を受けていました。
 ただ、買取に関しては「商売」という認識はなく、お世話になっているせめてものお返しとして、窓口として協力しているだけです。なので、積極的に業務展開するつもりはなく、買い取る対象も、基本的には調律の顧客、またはその紹介者だけに限定しています。
 ただそれだけの買取業務ですが、時々、奇異な体験に出くわすこともあるのです。

 ある日、長年の調律顧客である加納様(仮称)より連絡があり、ピアノを処分したいとのご相談を頂きました。もう誰も弾いていなかったピアノなので、いつ切り出されてもおかしくない話ではありました。それでも、調律だけは毎年きっちりとやってくださっていたありがたいお客様なのです。
 ちなみに、顧客がピアノを処分するということは、調律の仕事を失うことにも繋がります。決して、喜しいことではないのです。
 でも、加納様は私とっては特別な顧客でもありました。定期顧客が減るという現実的な痛手以上に、私としては、年に一回とは言え、加納様とお会いするのをとても楽しみにしていたので、残念という気持ちの方が大きかったのです。
 毎回、調律の日には美味しいケーキを取り寄せてくれていたり、互いの子どもの近況や旦那の愚痴、お店の情報交換や音楽の話など、同年代(彼女の方が四歳年下だが)トークで盛り上がりました。見た目も育ちも雰囲気も、何もかもが私と対照的な彼女ですが、だからこそなのか、彼女とはとても気が合い、いつしかタメ口で会話する友人のような関係を築いていたのでした。
 しかし、あくまで友人ではなく、お客様という意識を捨てるわけにはいきません。そのお客様ヽヽヽが下した決断ですので、そこは割り切って、感傷に浸らずに、粛々と話を進める必要がありました。
 とは言え、個人的な感情も無視出来ないものです。せめて、加納様にとって少しでも良い条件を引き出せればと思い、業者さんへ今回だけは特別に便宜を図ってもらえないかと交渉し、満足して貰える査定額を提示することが出来ました。
 そこからはトントン拍子に事は進み、数日後には、いよいよ運送屋がピアノを引取りに行くことになりました。そして、予定通りに搬出も終え、全てをスムーズに済ませることが出来たと思った矢先……搬出した日の夜のことです。加納様より着信がありました。電話口の彼女は、何だかとても焦ってる様子に感じました。

「ねぇ? 私のピアノってまだ見れるかしら? ちょっとね、キチンとお別れ出来なかったから、最後にもう一回触りたくなって……」
 加納様は、開口一番にそう言いました。しかし、ピアノは既に何処かの倉庫に運び込まれているでしょう。提携する買取業者は関東地方にあるのですが、私の居住地域から一気に関東まで持っていくことは滅多にありません。大抵は、「中継運送」と呼ぶのですが、途中で別の運送屋から又別の運送屋へと、何度か倉庫を経由しながら運ぶのです。

「ごめんね、もうどこにあるのか分からないの。今週中には間違いなく業者の倉庫に届くけど、途中で何度か別の倉庫に下ろして、トラックを変えながら繋いで行くのよ。業者に着いたら連絡は入るけど、それまではちょっと調べようがないかなぁ……それに、分かったところでもう近くにはないと思うよ。多分もう県外だと思うけど……でも、どうしたの?」
  そう告げると、明らかに落胆した様子が電話越しから伝わってきました。
「そうなんだ……。今日ね、朝一に急に仕事に呼ばれちゃったんだよね。仕方ないから、搬出の立会いは義母に頼んだの。まぁ、それはいいんだけど……急過ぎたからね、バタバタしてて最後にピアノに触れなくて……」
「そうだったのね。でも、もうどうしようもないよ。もちろん、家に戻すことは出来るけど、運送費は負担になるよ。多分だけど、少なくても三万円は掛かるかも」
 ちょっと冷たい言い方かもしれませんが、私としても、今更そんなこと言われても……と、やや迷惑にすら感じたのが本当のところです。しかも、無理を言って超甘口の査定をして頂いた経緯もあり、キャンセルなんてなるべく回避したかったのです。

「あのさ、悪気はないんだけど、単なる疑問として聞いてね。今更ピアノに触れなかったって言われても、処分したいって相談くれてから十日ぐらい経つじゃん。そもそも、踏ん切り付けたから処分したんでしょ? それに、毎年欠かさずに調律はしてくれてたけど、もう誰も弾いてなかったでしょ? 失礼な言い方だけど、お手入れもしてなかったし、完全に物置になってたよね。なのに、搬出直前にピアノに触って、何がしたかったの?」
「う〜ん、何がしたいと言うか……もうお別れなんだぁと思ったら、最後に写真撮ったり音鳴らしてみたり……何するってわけじゃなくて、ちょっと中を見たりしておきたかったの」
 あぁ、そうですか……と、そのまま鵜呑みに出来る話ではありません。これは、理屈ではなく直感です。そもそも、ピアノはお嬢様の為に購入したのであって、彼女は全く弾けないはず……どう考えても、不自然な話です。
 そうなると、考えられることは……一つだけ思い浮かぶことがありました。

「ねぇ? ひょっとしてだけど、ピアノの中にヘソクリとか隠してた?」

 実は、過去に一度、買い取ったピアノの中から、まとまった額の現金が出てきた経験があったのです。
 アップライトピアノの場合、下のパネル(下前板と言います)は、機種にもよりますが、殆どの場合は簡単に開けることが出来る構造になっています。調律師が開けている所を見たことのある人は、見よう見真似で容易く習得出来るでしょう。そして、それが出来るようになった人は、物を隠すのにもってこいのスペースを得たようなものなのです。
 一般的にピアノを移動する際は、キャスターの下に敷いているインシュレーターや敷板は、紛失しないように運送屋によってその中に収納されます。しかし、買取ピアノの場合は、お客様に確認して、その場で廃棄することもあるのです。そうなると、下のパネルは開けられることもなく搬出されることになります。つまり、中に何か入っていても、運送屋は気付かないのです。

「えっ?  ……そんな、ヘソクリなんかないよ! でもさ、ピアノの中って業者さんは見るんだよね?」
 加納様は、顔が見えなくても明確に伝わるぐらい、狼狽しているようです。その分かりやすい反応に、ヘソクリはビンゴか? と思いつつ、あまり突っ込むのも申し訳なく思えてきました。
「当たり前だよ、それは。業者は徹底的にクリーニングして輸出するからね。もちろん、中も綺麗に掃除するから、外せる外装は全部外すよ」
「え? そうなの? じゃあさ、もしピアノの中から何か出てきたら、それはどうなるの?」
「どうなんだろうねぇ……考えたことないわ。多分だけど、現金とか貴重品だと私に連絡あるでしょうけど、そうじゃない限りは、向こうが処分するんだと思うよ」
 ピアノに何かを隠していたことは間違い……と思ったのですが、電話での印象だと、彼女は「処分する」という言葉に妙に安堵したような口振りになりました。ということは、隠していたものは現金や貴金属などではないのでしょう。
「だよね。まぁ、いいや。どうせヘソクリなんかはないし。じゃ、今までホントにお世話になりました。ってかさ、今度は仕事抜きでランチでも行こうよ!」
「うん、ぜひぜひ! また誘ってよ!」
 そんな感じで、今ひとつ腑に落ちないままに、加納様との電話を終えたのでした。

 翌日以降も、私は心の何処かで、彼女は何を隠していたのだろう?  と気になっていました。単なる野次馬根性と言われれば、恥ずかしながら否定は出来ません。
 でも、美魔女的で妖艶な雰囲気のある加納様のことです。何か、とんでもない隠し事でもあったのかな?  と、私の妄想はつい膨らんでしまうのでした。
 そして、搬出から僅か二日後、予定よりも随分早く、入庫の連絡が入りました。

「……それでですね、実は、加納様のピアノに封筒が入っておりまして、中に写真が沢山入っていたんですよ。お客様の大切な写真かもしれないけど、うちは直接加納様とやり取りしてないからね、もちろん、連絡先は運送屋経由で把握してるけど、ほら、今個人情報とか色々うるさいでしょ? なので、うちから直接加納様に送り返すわけにはいかないんで、そちらに郵送させてもらいました。またご確認ください」

 やっぱり、ピアノの中に隠しものがあったのね……あの時、彼女は明らかに焦っていました。でも、現金や貴金属ではないような感じでしたが……どうやら、写真を隠していたのです。問題は、誰の写真か?  でしょう。
「誰」というのは、所有者ではなく被写体。つまり、誰が写っている写真か?  いや、私の予想では、誰と誰が一緒に写っているのか?  といったところです。わざわざピアノの中に隠していたのだから、大凡の見当は付きます。

 翌日には、業者からレターパックが届きました。中には、B6サイズの封筒が入っていました。封はされていません。厚みは2cmぐらいですが、中を見なくても、それが無造作に束ねた写真だということは容易に想像出来ました。
 さて、写真には何が写ってるのでしょう?
 封筒は、上部を折っているだけで、糊付けなどの封はされていません。その気になれば、容易に見ることが出来る状態です。
 彼女が家族に隠していた写真。ギリギリのタイミングで、コッソリと取り出そうとしていた写真。計画通りに行かず、狼狽しながら何とか取り戻すべく方策を考えた写真。
 この条件に当てはまりそうな写真は、高い確率でアレなのかな?  と想像してしまいます。

 専業主婦で、年齢の割には若々しく、同性の私から見てもセクシャルな魅力が滲み出てる彼女のことです。私の予想は、当たらずも遠からずといったところではないでしょうか?
 いっそのこと、手に取って確認しようかと散々悩みましたが、辛うじてのところで自重しました。コッソリ彼女のプライバシーを覗き見ることに、ギリギリのところで罪悪感が欲望を制御したのです。
 数日後、彼女からランチのお誘いがありました。おそらく、写真のことに探りを入れたいのかもしれません。
 写真をそのまま彼女に返すにしても、どうせ見たんでしょ?  と勘繰られるのは間違いないでしょう。弱みを握って、マウントを取ろうとしてるように思われるのも本意じゃありません。なので、悩んだ挙句、私は何も知らないとシラを切ることにしました。
 実際、写真と思しき厚みの「何か」が入ってる封筒を見ただけで、それが何なのかは知らず仕舞いです。ただ、彼女と今までと同じテンションで接することが出来るかは、自信がありません。



 ところで、その封筒の行方ですが……?
 いつの間にか、あれから五年近く経っています。加納様とは、結局はどちらかの都合が悪くなり、会う予定は流れました。そして、それっきり会ったことも話したこともありません。
 調律師と顧客という関係で、仕事を介して会う際には親しくお話出来る間柄ではありましたけど、媒介していた「ピアノ」がない条件では、「友達」と呼べるほどには熟成されていなかったようです。

 そして、あの封筒は……実は、うちにあるアップライトピアノの下前板の中に隠してあります。しかし、近々、このピアノは処分する予定です。搬出するまでに、コッソリと取り出さなくてはいけません。


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