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自我に目覚めた私の右足
(本作は1,456文字、読了におよそ2〜4分ほどいただきます)
ある日、用事を済ませて歩いて帰っていると、突然、私の右足が自我に目覚めたようだ。
異変に気付いたきっかけは、右足から伝わる違和感だった。とても居心地の悪い、言い知れぬ不安定な感覚に襲われたのだ。たまらず右足を見てみると……なんてことはない、靴紐が解けていたのだ。
その場でしゃがみこむ私。そして、両手で紐の先端を摘んだ時、突如、右足が意思を持ったような錯覚を覚えた。上手く言葉で説明出来ないが、もう、この右足は私の身体から独立した、一つの「生命体」なのだと感じたのだ。と同時に、我が子に抱く純粋な愛情のように、私は無条件に、そして本能的な感覚で、元右足だった「生命体」を愛したのだ。
それからはもう、右足の踝から下を、我が身のパーツとは思えなくなったは必然だ。肉体の繋がりは維持しつつも、精神的には完全に私から独立した確固たる個としての存在だ。しかも、小判鮫や寄生虫とは違い、右足は私に依存した存在ではない。大きさこそ違えど、最早対等な関係と言えよう。だからこそ、私は靴紐で縛り付けられている右足のことを、無性に不憫に思うようになった。
その瞬間、私は悟った。きっと、右足は私に訴えたかったのだ。自由になりたいと。いや、右足が発する魂の叫びを、言葉とはまた別のスピリチュアルな手段を経由して、私は確実に聞いた気がした。
だから、私は迷わずに靴紐を外した。
——ほら、これで呪縛が解けたでしょう?
しかし、歩を進める毎に、不快な感覚が再び襲う。規則性の崩壊と安定の喪失……紐のないスニーカーは、秩序を失った数学のよう。若しくは、直線のない建造物、色彩のない絵画、指揮者不在のオーケストラ、歴史のない文化。何だっていい。枠組みだけの、或いはキャプションだけの存在だ。右足も、今はまだ、右足であるだけの存在。それだけでは、とても右足の渇望は満たされないのも当然だ。自我に目覚めた右足は、束縛の不満を不快感の演出で訴えてくる。
それならばと、私は靴を脱ぎ捨てた。
——これでどう? 今度こそ、満足出来たかしら?
それでも、貪欲な右足は、私に訴えかけてくる。「本当の自分を取り戻したい」と……
しばらく歩くと、右足は、今度はハッキリと主張してきた。
「無駄なオブリガードに溢れた音楽は嫌いなの。素朴な純正率の和音が一つ欲しい。それだけで充分。私はそうなりたいの」
私も右足に伝えたいことがあった。
「間もなく家に到着するわ。それまで待ってくれないかしら?」
「少しでも早く、束縛から解放して欲しい」
「でも、ここでは無理なのよ。お願い、もう少しの辛抱だから」
私は靴下さえも脱ぎ捨てたが、それでもまだ、右足は私と接続されている現状に不満なようだ。しかし、直ぐに解消出来ないことは理解したらしく、それ以上は文句を口にしなくなった。渋々かもしれないが、右足は私の左足と協力して、私を自宅へ向けて運び続けた。左足は私の意思、右足は右足の意思で動くのだ。
「ほら、もう家が見えてきたわ。もう少しの我慢よ。さあ、今、門を開けたからね」
門を通過した私は、玄関には向かわず、庭の納戸に向かった。確か、ここにアレが仕舞ってあったことを思い出したのだ。
「ごめんね、長い間気付いてあげられず……でも、ようやくあなたを解放してあげられるわ。さあ、思い切り、自由を味わうのよ!」
私は、見つけた斧をしっかりと握りしめ、思いっ切り振り下ろした。