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羊の瞞し 第2章 NOSTALGICな羊(2)

前話目次

(2)家族のノクターン

 職人肌の宗佑には、新規顧客を開拓する営業スキルが致命的に欠けていた。しかしながら、高度な技術力は確固たる評価に繋がり、調律の継続率は90%以上という驚異的な数値を記録していた。
 独立した時の年間調律台数は、自営のボーダーとされる300台を少し割っていたのだが、宗佑の場合は継続的に修理の仕事が入っていた為、収入は十分に確保出来ていた。
 また、実施した修理の出来映えの良さは紹介や口コミに直結し、労せずに販売や顧客確保に繋がっていた。特段に新規開拓の努力をしなくても非継続分ぐらいは十分に補填され、台数を維持出来ていたのだ。いや、それどころか調律台数は年々増え続け、開業五年目には400台に迫ろうとしていた。懸命な営業努力の結果、それでも顧客を減らしてしまう調律師が多い中、宗佑は例外的な拡大を成していたと言えるだろう。

 しかし、その年がピークだった。
 翌年からは、次第に修理の仕事が減り始め、比例するように調律の新規依頼も減少に転じた。90%を超える継続率も、裏を返せば、年間一割近く減り続けるのだ。宗佑は、高い継続率こそキープしているものの、新規が激減した為、毎年5%前後の割合で調律台数を減らし続けたのだ。
 年間5%の減少は、僅か五年で開業当初と同じ水準の300台にまで落ち込ませた。
 同じ300台とは言え、修理の副収入も多く見込め、登り坂の入り口だった開業時とは雲泥の差がある。今度は、修理の収入がほぼなくなった中での300台だ。しかも、そこは底ではない。終着の見えない下り坂を、転がり落ちている通過点に過ぎない。果たして、何処まで落ちるのか、何時になったら落下は収まるのか、宗佑には全く想像も付かなかった。

 それでも破産しなかったのは、偏に美和のおかげだろう。公務員の美和には、安定した収入があった。しかも、宗佑の逆で、給与は僅かながらも増え続けるのだ。
 家や二台の車のローン、年金、保険、光熱費、食費、養育費、交際費……宗佑一人の収入ではとても賄えず、美和の収入のほとんど全てが一家の生活費に消えた。いや、宗佑の事業に掛かる経費を負担することさえあった。
 当の美和による夫宗佑の評価は、急降下した。ピアノ愛好家として、宗佑の調律師としての技量は全面的に信頼している。しかし、夫として、親として、家族として、そして社会人として、宗佑は失格だろう。

 結局のところ、宗佑は、ピアノ技術しかない男なのだ。技術を活かす場があってこそ魅力的なのだが、それを自らの手で獲得する術を知らなかったし、その為の努力もしなかった。
 少しずつ、売上げが落ちていく中でも、宗佑には危機感も対応策もなく、成すがままの無抵抗だ。美和の収入への甘えがあったのかもしれないし、根拠もなしに「何とかなる」と思っていたのかもしれない。
 社会的、経済的な観念に乏しい宗佑は、事業主には全く向いていなかったのだ。理想論は語っても実行は出来ず、wantとmustの優先順位を常に見失った。
 美和が愛想を尽かすのも、当然と言えるだろう。美和は、次第に自身の存在意義に疑問を持つようになってきた。子育ても生活費も丸投げし、殆んど利益のない趣味のような仕事しかしない夫に対し、朝から晩まで働き、ローンを返済し、家事のほとんどをこなす自身の存在が、奴隷のように思えてきた。
 天賦の才能を活かす術を知らず、仕事もせず毎日工房に引きこもる夫を、やがて疎ましく思うようになるのも必然だったのだろう。



 松本一家が中古住宅に越した時、響は小学生になったばかりだった。それまでは、2LDKのマンション暮らしだった。しかも、一部屋は宗佑の簡易的な修理工房を兼ねた事務所として使われていた為、幼い響には新居が豪邸のように感じたものだ。
 また、新居には、響にとってはワクワクするような楽しい場所があった。一階の工房だ。三人の居住スペースは二階だったが、響は用事もないのに工房に降りてきては、父親の修理作業を見学した。
 ドライバーやペンチのみならず、専門の特殊な工具を手に、時にはドリルやサンダーなどの機械も使いピアノを直す父のことを、響は純粋に憧れ、尊敬し、カッコイイと思ったものだ。そう、響にとって、父は身近なヒーローだったのだ。

 夜になると、今度は美和と一階へ降りた。ピアノの練習だ。静かで暗くなった工房は、シンナーや木屑の臭いが充満していることもあったが、響は夜の工房も好きだった。また、電子ピアノではなく、本物のグランドピアノが弾けることも嬉しかった。
 ここでの練習は心地良く音が響く上、ピアノも常に最良のコンディションに整えられていたので、理想的だったと言えるだろう。美和のレッスンも優れており、響は瞬く間に上達した。
 時々、美和もピアノを演奏した。響は、美和がピアノを弾く姿が大好きだった。細長い指がしなやかに動き、優雅で芳醇な音が立ち上がる。ピアノが歌ってる……いつも、そう感じていた。うっとりと母の奏でる音楽に耳を傾けると、懐かしさにも似た安穏と、とても和やかな時間に浸ることが出来た。
 中でも、響は美和の奏でるショパンのノクターン20番が好きだった。「遺作」の名で有名な、嬰ハ短調の名曲だ。毎日のように演奏をせがまれた美和は、いつも最後にこの曲を弾いた。

 浮き沈みする感情の波に揺蕩たゆたう左手のアルペジオに乗せて、右手が悲痛にも近いロングトーンのメロディを、トリルを交えて歌い上げる。高みに登り詰めた歌は、三連符の下降音形で悲劇的に乱れ落ちる。時折現れる長調の幸福な符点リズムのメロディも、やがて満足げに鎮まると、より感情的になった主題が再度現れる。より激しく、より大きく上下動する不規則な動きを経ると、最後は静かな長調に転じ、穏やかに消え入るように音楽は終わる。
 響は、何よりこの曲を通して耳に飛んでくる、ピアノの「音」に魅せられていた。この音は、宗佑が創り、美和によって鳴らされる、楽器の可能性を超越した響きなのだ。ピアノと奏者と技術者による、神秘的な合作として完成した「音」は、ショパンのノクターンにとてもよく似合ったのだ。

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昨日、今日と、専門的なビジネスの話が続いており、退屈だったことと思います。

作中で、美和が演奏したショパン作曲の《ノクターン20番 嬰ハ短調 KK. IVa-16(Lento con gran espressione)》は、個人的には超有名な9-2と呼ばれる変ホ長調のノクターンより好きな作品です。

多分、皆さんも一度は聴いたことがあると思います。
動画を貼っておきます。
この曲を弾いていたのか、と想像していただけると嬉しいです。

クリスティアン・アガピエさんという、ルーマニアのピアニストによる演奏です。