見出し画像

はくってなに


「箔がつく」の「箔」って結局なんなんだろ・・・・?正確な意味は知らないけど(笑)、私の中では、「きちんとした資格がある」とか、「きちんとしたポジションにいる(その世界でトップとか)」とか、「相応の資質がある」とかも入るかな・・・・?

長年、たとえ何かがちょっと得意でも「でもその資格を持ってないからダメ」とか、「この程度のレベルじゃ話にならない」と思った時点で「得意と思うことすらダメ」にしてきてしまった。だから、「問答無用に一番」である、駆けっこ系でトップだったことだけが唯一、自分を認めて誇らしく思えることだった。

最近話題の人が、昔、その仕事を始める為に、沢山の素晴らしい資格を取り、素人の私が見てもこれだけあれば完璧だろうな、と思うくらい準備万端でいざ動き出したら、のっけから「箸にも棒にも掛からぬ状態」に陥った。と言っていて、その方は、「自分を良く見せるのではなく、自分自身を見せることが大事」ということに気づいたそう。資格はもちろん無駄ではないし、それをきっかけにできるタイミングもあると思うけど、それありきでもない、ということかなぁと解釈した。

一旦はそうか!と納得したし、実はこれまでに何度も、「やっぱり資格は必要ないか」と納得する機会はあったものの、いざ自分に置き換えると不安で、一歩踏み出すためにやっぱり必要かも!と振り出しに戻りそうになる。そのたびに、「本当に必要?」「それっていつ、どういう状態になれば完璧!ってなって前に進めるかなぁ?」と実際に言われたり、必要じゃなかった!という先人の記事を見たりして、進んだり戻ったり気持ちがウロウロ。
そんなことばっかり考えていると、前述の方々も結果、資格をちゃんと取ってるちゃんとした人だからなんにも持ってない私とは違うよなぁ、私はプロと言えるくらいのレベルになってからでないと・・・、もっと得意な人がいるかもしれないから私なんて・・・とどんどんマイナス方向に理由を追加してしまう。

昨年からの変化で、少しずつ考え方は変わってきているけど、ここの点だけ、ものすごく引き戻される感じがあって抜けられない。新しい一歩を踏み出す勇気が出せていないのはわかってて、やるしかないことも分かってる。でも引き戻される。これではずっと同じだ!と思って、どうしたら前に進めるか考えてみた。まずはもっといっぱい納得しよう、と思った。納得を探しに行く感じ。

そこで、私が踏み出そうとしている道の先人の記事を探したり、その道で活動するために資格が必要か、というネット検索をしてみた結果、私が思うドンピシャな「箔」のある資格について「あってもなくても良いと思う」とさら~っと書いていて気が抜けたーーー(笑)。一方、絶対あった方が良い資格イチバン!として書かれていたのは・・・・・・・自動車の運転免許(!)の一択(笑)。それはもう持っているし、意外すぎてさらに拍子抜けした。その方も書いていたけど、もちろんそれは個人の意見。資格が役に立たないわけではないし、この道の中でも、進む方向次第ではあった方がよい場合ももちろんある。でも、そのハッキリした意見のおかげで大きく背中を押され納得できた。その他にも、「例えば何かを買うときに売っている人の資格を確認する??」とか、(今の私にとって)資格はただの安心材料であり、大切なのは「思い」、「みんな初めは素人」などなどたくさん・・・。

これから進もうとする道で、「結局素人ってことだよね?」と言われるかもしれないのが怖いんだけど、私はその、「プロしか認めてもらえないハズ」「ちゃんとしてない人はダメだと思われるだろうな」みたいな、謎の厳しさからも自由になりたくて、新しい道に進んだという側面もきっとあると思う(自覚なし)ので、今後も行きつ戻りつだと思うけど、少しずつでもやってみよう。案ずるより産むが易し。これも何度も言われていることだし、実際、これまでにも何度も「本当にそうなんだ(笑)。ことわざ恐るべし!」となっていること・・・・・。

新しい道でやっていけるようになったら、「箔」が必要だったかどうか、振り返ってみようっと。あ、それワクワクかも笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?