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よく聞く「メタ認知」とは何なのか。それがストンと腹落ちした物語

以前勤めていた会社で、人事主催の管理職向けトレーニングに「瞑想(メディテーション)」が取り入れられたことがありました。その研修は、毎週金曜日の午後に、約半年をかけて数十回にわたり行われるプログラムでした。毎回そのはじめに、机を取り払った大きな会議室にパイプ椅子でサークルをつくって、20人くらいの参加者が全員瞑想をするのです。

時間は3分くらいだったででしょうか。メディテーションタイムの終了は、よく響く錫のチャイムの音で告げられます。なんでそれが錫のチャイムだとわかったかというと、その音はプログラムが終わったあともずっと私の頭に残っており、あるとき旅先で錫器(すずき)の製造工場を訪れた際に、土産用の錫の風鈴が、もう数年前のことになるその研修をフラッシュバックさせたからです。

研修を受けていた当時、瞑想は私にはさっぱりでした。時間をかけて取り組みましたが、特になんのメリットも感じられなかったのです。自分を見つめ直す、という名目だったのですが、若い頃から哲学とか精神世界の本を耽読してきた私は、自分とは何か、世界とは何か、そんな内省をもう十分に繰り返してきたという自負もありました。

ただ、そのときの瞑想体験は、毎回の終わりを告げる錫の音とともに、私の頭の中でその後もずっとくすぶり続けていました。そして、その経験を通じた学びの機会は、ある日突然訪れました。

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当時、私は体調面で不安をかかえていました。酔っているわけでもないのに突然記憶が飛ぶ、という出来事があり、翌日すぐに回復したのですが、心配だったので病院で精密検査をしてもらいました。画像診断も脳波も異常なし。原因は不明だけど心配はない、という診断がでたものの、人の名前が思い出せなくなるなど、突然長期記憶が飛ぶというのはまさに恐怖の体験でした。それがトラウマとなり、本当に大丈夫か、またあの状態になるのではないか、と常にビクビクした状態が続いていたのです。

そんなある日、旅行で箱根の温泉を訪れた際、ふと思い立って瞑想をしてみました。緊張した状態が続いていたので、単純に心を落ち着かせるのに役立つかなと考えたのです。宿泊していた宿には、箱根の山々を見渡せる静かなラウンジがあり、風呂あがりに訪れると幸い私の他には誰もいませんでした。そこでソファーに腰をおろし、目をつぶって瞑想に入りました。

研修の際に教わっていた瞑想のポイントは、頭の中をじっと観察する、ということです。自分の頭の中で何が起こっているのか。それを傍観者のように、ある意味無責任に観察する。するとそのとき、移ろいゆく思考のなかに、ずっと常駐している微弱なノイズのようなものがあることに気がつきました。車の音、電車の音、風の音、雑踏の音といった、街中に行き交う音の中、合間合間に聞こえ続ける小さな機械音のようなイメージです。

不意にその音をキャッチすると、つい気になって聴きに行ってしまう。すると、本来は微弱なはずのノイズが、どんどん大きくなってしまう。記憶喪失のトラウマは、私の頭にそんな微弱な痛みを発する傷を刻んでいたのです。それに気づいた私は、ノイズが聞こえても努めて無視するようになりました。すると、あれほど悩まされた不安は次第に消え去っていきました。

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この経験は、不安症から自分を救ってくれたのみならず、一つの大きな学びをもたらしてくれました。自分はまったく自分のことがわかっていなかった、ということです。自分は何者なのだろう、と考えるとき、当たり前ですが誰もが自分の思考回路を使います。その思考回路が導きだした答えが、自分の考える自分です。私はこれをもって、自分で自分を理解していると思っていました。

しかし、その思考回路自体がどんなものなのか、に気を配ったことはありませんでした。人には誰しも思考のクセがあります。自分の思考がどのようなクセや特徴を持っているのか、ということはいくら思考をめぐらせてもわかりません。思考する、ということ自体にそのクセや特徴が入ってしまっているからです。目で色を識別できない生物が、自分は色を識別できていないということを、目で確かめようとしても不可能なのと同様です。

このように、「自分が知る、ということに関して、そのクセや特徴を知る、ということ」を、「メタ認知」と呼びます。メタ◯◯とは、簡単にいうと、◯◯に関する◯◯です。データに関するデータならメタデータ。認知に関する認知ならメタ認知。メタ認知が重要だ、ということは前から意識はしていましたが、その重要性が本当の意味で理解できたのはこのときです。

それ以来、少しづつですが、私は自分の考えを批判的に捉えることができるようになっていきました。批判的とは、否定的ということでは必ずしもありません。あっているかもしれないが間違っている可能性もある、と決めつけてしまわずに考えることです。自分の思考回路では完璧に正しいと思えることでも、そもそもの思考回路に問題があれば間違ってしまうこともありえます。問題はなくても、間違ってはいなくても、私の思考回路が人とは違うものであることは確かです。

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今では、このメタ認知能力、要はいかに自分を客観視できるかということこそ、人と関わりながらビジネスをやっていくうえで何より大切なことだと考えています。なぜなら、より多くの人と関わるほど、自己認識と他者の認識の差が生みだしうる問題は大きくなるからです。そして、ビジネスにおける成功とは、出世や昇進とは必ずしも関係なくても、より多くの人と関わるようになることを意味するからです。

自分を客観視すること。人から見たら自分はどう見えているのか、を「理解する」こと。その大切さは誰もがわかっていても、実際にやろうとするとうまくいかない。それは、自分自身の行為である「理解する」ということの中に、人とは違うクセや特徴があるからです。そして、それを自分で認識するのはとても難しいからです。頭がいい人、思考能力がとても高い人の中にも、その思考自体を客観視するメタ認知能力が低い人というのは存在します。

そこで気になるのは、このメタ認知能力を磨いていくにはどうしたらいいのか、ということです。まず何より重要なのは、自分が何かを知り、考え、理解するというプロセスには、自分特有のクセや特徴がある、と理解することです。それが他人とは違うものである、と。これには瞑想が役立つかもしれません(私はラッキーパンチだったので言い切れませんが)。

そして、その上で自分の認識と他人の認識の差を埋めるには、他人から見た自分を理解するよう努めるほかありません。より具体的には、積極的に他人の自分に対する評価を聞くことです。なぜなら、いくら自分で自分を省みたところで、自分の思考や理解のクセからは自由になれないからです。上司や同僚にフィードバックをもらう、というのは代表的な手段です。360°フィードバックなどを会社が実施していたらラッキーです。

このいずれも難しい、という場合は、SNSなどで積極的に情報発信を続ける、というのも一つの手段です。SNSの反応は正直です。正直なゆえに怖いところもありますが、それはある意味、自分に対するフィードバックなのです。上手に向き合うことで、メタ認知能力を高めてくれる。思えば、私が尊敬する人は、みんな情報発信に熱心です。それが目的なのか結果なのかはわかりませんが、人前にでること、大勢の人の評価にさらされることが、賢人たちのメタ認知能力を高めているのことは確かです。

おわり

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マーケターのように生きろ: 「あなたが必要だ」と言われ続ける人の思考と行動

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