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「まあとりあえず飲みましょう」が起こす奇跡

「飲みニケーション」というものが嫌いだった。いや、大っっっ嫌いだった。自分が参加するのも嫌だったし、それを仕事だと思っている「大人たち」も嫌いだった。社会人になって初めて参加した飲み会の事は、今でもよく覚えている。それは人生で初めての、自分の意思では出欠を決められない飲み会だった。

上座に鎮座する領主や代官のような重役たち。ほとんど職業的に、手慣れた宴会芸を繰り出す道化のような先輩社員。そして、自分たち以外の全ての人にお酒を注いで回る、まさに何者でもない私たち若手社員。それは会社員になる時に諦めた夢、ミュージシャンになるという夢の、正式かつ厳粛な終了宣告であり、自分の才能のなさに与えられた罰であるようにすら感じられた。帰り道、私は泣いた。

それ以来、仕事の飲み会はある種のトラウマになった。どうしようもない時以外は極力避けるようにしていたし、仕事だと言い張りいつも飲み会ばかりしている人をとても軽蔑していた。時はもう平成だったが、古い昭和のしきたりがまだ悪い二日酔いのように残っていた頃だ。「飲みニケーション」も、飲み会を仕事だと言い張る人も、そんな昭和の残滓だと思っていた私は、1日も早く消えてなくなる事を祈っていた。

仕事の価値は仕事で出すべきだ。それがこの平成の世の、グローバルスタンダードであるはずだ。しかし、そんな私の信念とは裏腹に、職場では「仕事をしないで飲み会ばかりしている人」がむしろ昇進し、重役の座に鎮座していた。飲み会にも行かず、真面目に仕事で価値を出しているはずの自分や尊敬する先輩は全くうだつが上がらない。そんな状況に嫌けがさして、というばかりではないが、私は20代後半で英語を身につけて外資系企業に転職した。

それから約10年を、私は世界中に支社があるグローバル企業で過ごした。そこでまず気づいた事は、グローバル企業にも日本企業と同じく、あるいはそれ以上に激しく、仕事における政治がある事だ。飲み会や飲みニケーションで調整・中和されない分、時にそれは直接的な、血みどろの争いになる。組織の中で大きな仕事、自分の理想を成し遂げるには昇進しなくてはならないし、昇進するためにはそんな戦いを勝ちぬかないといけない。勢い、グローバル企業で高い地位に上り詰める人は、ほぼ例外なく相当程度に「狡猾」である。

また、私が「日本もこうなるべきだ」と価値観の拠り所としていたグローバル企業で、評価されたり叱責されたりを繰り返す中で、またさまざまなタイプの成功者を見る中で、「仕事の価値」と考えていたその「価値」は、なかんずく「実力主義」の「実力」は、思っていたよりずっと多様なものである事に気づいた。弱みを包み隠さず、人を頼る事でチームをまとめ価値を出す人。世界中の部下の名前を瞬時に覚え、その願いを叶える事で価値を出す人。グローバル企業にはさまざまなタイプの重役・重要人物がいて、それぞれが独自の価値で会社に、社会に貢献していたのだ。

外資系の自動車メーカーを辞めて日本企業に移るとき、フェイスブックで近く転職する旨を投稿すると、沢山の人から個別にメッセージをいただいた。私はマーケティングの仕事をしており、広告主という立場だったので、広告会社や広告媒体者の営業担当者さんからのメッセージも多かった。

そんな営業担当者さんからのメッセージには、三つのパターンがあった。一つ目は「後任を紹介してください」というものだ。営業担当者さんにとって広告主とのつながりをつくるのは大変だ。一度構築したパイプを失うのは会社にとって大きな損失に違いない。辞めたよしなに後任を紹介しろ、とはなかなか頼みずらかろうが、そんな泥臭い事も厭わないプロ意識には素直に感心した。

二つ目は、「どこに行かれるんですか?転職先でも一緒に仕事がしたいです」というもの。これはすごく嬉しかったし、営業トークなのだとしても上手だな、と感じた。「後任を紹介してください」だと、「あくまで広告主としてお付き合いしていました」というメッセージが露骨だけど、この言い方なら個人としての関係性を大事にしつつ、仕事の可能性も広がる。継続した関係性の中で、後任を紹介してもらえるかもしれない。

三つ目のメッセージは、私にとって天啓のようだった。送ってくれたのは、とある広告媒体の営業担当役員さんだ。一つ目や二つ目のメッセージに、受け取る方からすると続け様になる後任の紹介などの対応に、正直に言うと一抹の寂しさや疲れを感じていた私は、多少心をガードしながら彼からのメッセージを開いた。しかしそのメッセージは、そんな心のガードを一瞬で解いてくれた。

「井上さんお疲れ様でした!色々ありましたね。まあとりあえず飲みましょう!」

それは、その時一番私の心に寄り添ったメッセージだった。そうなんですよ。長い間続けた仕事に一区切りつけたのだから、まずは短い間でも一呼吸置きたかったんです。私はそう心の中でつぶやいた。後任の紹介という残務の処理でも、転職先でどう絡むかという未来の話でもなく、とにかくまず一呼吸。自分でも気づいていなかったが、まさにそれこそがその時の私の求めている事だった。

その役員さんとは実際に飲みに行って、仕事の思い出を語り合った。そして、その後も関係が続き、会社にお邪魔して社員向けに講演をさせていただいたりもした。一人の人間として向き合ってくれたその人に、私も一人の人間として向き合うようになったのだ。一つ目や二つ目のメッセージをいただいた営業担当さんの中には、そういう関係性にまでなれる人はいなかった。

10年前の自分に会えるなら、こんな言葉をかけてあげたい。

あの人は仕事もせずにいつも飲み会ばかりしている。それなのに昇進し重役の座に居座っている。そう忌み嫌っている人がいないだろうか。

でも、その人はもしかしたら、私に「まあとりあえず飲みましょう」と声をかけてくれた役員さんなのかもしれない。

人が会社や社会にもたらす価値はとても多様だ。なんであの人が評価されているんだろう。そう感じる事があったら、むしろそれは、自分にとって新しい「仕事の価値」を気づかせてくれるいい機会かもしれない。

おわり

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