イエスマンにはなるな、でもイエスから始めろ

あぁ、これでようやく日本に帰れる。

僕はバーカウンターで一人ビールを飲みながら放心していた。海外での一週間の研修プログラムを終え、あとは最後の、参加者総出のクロージングパーティーをやり過ごすだけだった。会場となっている巨大なレストランでは、世界中から集まった参加者、新任の管理職たちが、テーブルにも座らずビールを片手に大声で語り合っていた。

その輪の中に入っていく気はなかった。これで終わりだ、という開放感が、一人でいる事の恥ずかしさや気まずさをかき消してくれた。

当時僕の所属していた外資系企業では、主に新任のマネージャーを対象に、1週間の研修プログラムが用意されていた。本社のある都市の、郊外にある全寮制のグラマースクール(公立の難関中学校)を冬休みの間に借りて、そこに世界中から集めた新任管理職を詰め込むのだ。プログラムはまさに寄宿制の進学校よろしく、朝から晩まである。自分の好きな科目を履修できるので、どちらかというと大学に近い感じではあるが。

そこでの一週間は、控えめに言って地獄だった。日本で生まれ、日本で育った僕にとって、そこで繰り広げられる超欧米的な教育システムはまさにストレスの連続だった。いわゆる座学というものは皆無だ。はじめに先生が何かパラパラと話をし、そのあとは周りの何人かでグループディスカッションをし、それを各グループが発表する。授業の前後は知らない人同士で雑談をする。全ての講義がそのスタイルだった。

「社交」と「自己発信」を土台とするそのやり方に、その後の数年で慣れて何でもなくなったが、当初は大いに戸惑いメンタルを削られた。初日が終わる頃には、すでにホームシックにすらなっている有様だった。

ただ、そんな研修ももう終わりだ。自分はよくやった。慣れないグループディスカッションやプレゼンテーションを何度もやりきった。最後ぐらいはゆっくりさせてもらおう。そう思ってバーカウンターで一人ビールを飲んでいたところだった。僕以外誰も座っていないバーカウンターの、私の隣の席に、スーツを着た白髪の紳士が突然腰を下ろした。無視する事はできない距離感だ。「研修はどうだった?」と声をかけてきたのは、なんと私のいる地区を担当する副社長だった。

一人でいる僕を不憫に思い、声をかけてきてくれたのだろう。こういうところは欧米社会のとてもいいところなのだが、その欧米的な価値観に一週間どっぷりと浸かって食傷気味だった僕は、最後の最後にラスボスよろしく現れた副社長の登場に、ビールの酔いも手伝って頭がクラクラしてきた。その朦朧とする頭で、その場をなんとかつなごうと質問を考え出した。こんな質問だった。「あなたのような人になるために、僕に一つだけアドバイスをするとしたら、それは何ですか?」

そして、その時の副社長の答えが僕の人生を変えた。その後、僕は実際その言葉に従って行動したし、今でもそうしている。その答えは、グローバル企業の重役から出てきたものにしては、あまりに日本的に思えた。でも、世界一の自動車会社は日本企業なわけだから、ビジネスにおける成功の鉄則に本来洋の東西は関係ないはずだ。超欧米式な研修のプログラムの最後に教わった黄金の教えは、日本人の僕の腹に瞬く間にすっと染み渡った。

“Start from YES“

「YESからはじめろ」

「イエスからはじめろ」。「イエスから」「はじめろ」だ。イエスマンになれ、と言っている訳では決してない。まずイエスと言ってはじめてみる。そして、やっぱり出来なかったり、出来るけど何か助けが必要な場合は、対案を提案したりヘルプを要請したりすればいい。はじめから出来ない、やりたくない、と可能性を閉ざしてしまうのは絶対に避けるべきだ。

そう、それは可能性の問題なのだ。だから「イエスからはじめる」のは、上司や会社のためなのではなく、何より自分自身のためなのだ。忙しすぎてできっこない、自分ではできっこない、こんな環境ではできっこない、そう思える事にも、どこかしらに小さな光はあるはずなのだ。それを探して光原を掘り出す作業は、時に思わぬビジネス上の発明を生んでくれる。そして、自分を成長させてくれる。なぜなら、その光源は自分の中に眠っている事もあるのだから。

もちろん、それは上司や仕事仲間とのコミュニケーションを円滑にもしてくれる。困難な状況の中から光を見出し、新しい発明を生み出し、自分自身成長し続ける人を、会社や業界、社会が放っておくはずはない。だとすれば、「イエスからはじめる」事で、誰もが自ずと「求められる人」になる事ができる。

だから、あの時副社長が訳知りだてに語ってくれた事を、今僕もここで訳知りだてに繰り返すわけだ。

「イエスマンにはなるな、でもイエスから始めろ」。

おわり

<新刊発売中>
noteが気に入ったら書籍もぜひチェックしてみてください!

マーケターのように生きろ: 「あなたが必要だ」と言われ続ける人の思考と行動



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?