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「やりたい事」はあなたを幸せにしない

もう15年くらい前になるか。

自衛隊のパイロットを夢見て何年もただそれだけを追いかけていた年下の親友が、山口の宇部空港で行われる最終試験まで行って落ちた。携帯のメッセージで不合格の連絡をもらってから、2ヶ月くらい音信不通になっていたのだが、ある日突然連絡が来て会うと、彼は意外とケロッとしていた。

お互い試験のことには触れず、今何をやっていて次に何をやる予定か、そんな事を話しながらいつものように街をぶらぶらし、やがて海の見える公園にたどり着いた。普段あんまりそんな事はしないのだけど、その日はなんとなく二人で並んで芝生に寝転び、何もせずただ空を見上げていた。

しばらく黙り込んでしまったのでどうしたのかと思って横をみると、彼は涙を流していた。そしてこう言った。

「まだこの音聞くと思い出しちゃうんすよね」

僕は気づいてすらいなかったのだが、自衛隊のものか米軍のものかは僕にはわからない戦闘機が一機、海から山へ向かって頭上を少し外れたところを通りすぎていった。

こんな時、僕が詩人だったらどんな言葉をかけてあげるだろう。牧師だったら? 心理学者だったら? 彼の父親だったら? そんな事を考えながら何分かが過ぎ、その間に沈黙という名の見えざる猫は、ソワソワと振り回していた尻尾をおろし、丸くなって2人の間に心地良さそうに寝転んだ。

こんなにも恋焦がれるているやつを、パイロットにしてやれない世の中は残酷だ。強く思い誰にも負けない努力をする。それだけじゃダメなのだ。「才能」というものがないと。僕もかつてはミュージシャンを夢見ていた。でも、いくらやっても、何年たっても、バンドでスタジオに入っても一人でPCに向き合っても、まったくロクでもない曲しか書けなかった。僕には才能がないんだ。そう認めるのは辛かったけれど、何年も何年も悪あがきした挙句、最終的にそう断じたのは自分自身だ。

彼の場合、その判断は人から突きつけられた。有無を言わせないカタチで。来年以降の受験はもう考えていないようだった。資格がないからなのか、そういう慣行なのか。とにかく彼の夢の城の門扉は一方的に、そして一気に閉ざされ、後にはただ何も持たない、帰る場所すらない彼だけが残された。その閉ざされた扉の前に、彼はどれくらいの間立ち尽くしていたんだろう。音信不通だった2ヶ月を、彼はどう過ごしたんだろう。

ただ、彼のケースと僕のケースに、果たして違いなんかあるんだろうか。自分で門を閉ざしてしまわなかったら、僕はその後も音楽を続ける事ができたんだろうか。多分出来なかっただろう。自分に才能がないと認めるのは辛かったが、それでもそう認めざるを得なかったのは、今思えば音楽を続ける事がそれ以上に辛かったからなのだ。それは、自分の音楽が、つまりは自分が必要とされ、感謝され、それを何かしらの対価で実感する事ができなかったからだ。

さすれば、彼の場合も僕の場合も、自分に才能がないと判断してくれたのは、自分ではない他の誰かだった事になる。そして、その後も人生の悲喜こもごもを経験し、少しは大人になった今にしてみればよく解る。その通りなのだ。自分に才能があるかないかを断じてくれるのは、そして本当の才能を見つけてくれるのは、自分ではなく他の誰かなのだ。なぜなら、世に言う「才能」とは社会に価値を生み出すものであり、価値は受け取る相手が決めるものだからだ。

そうした意味での「才能」がない限り、「好きな事」「やりたい事」はあなたを幸せにしてくれない。必要とされ、感謝されないからだ。漫画家になるのが夢だった営業パーソンが、業務として社内報に漫画を描く事を上司に渋々認めさせたとする。上司から必要とされ、感謝される事はないだろう。周りの人からは「あの人なんでいつも役に立たない漫画なんて描いてるの?」と白い目で見られるだろう。その人はそれで幸せだろうか。そんなはずはない。むしろこれは不幸のレシピだ。

あなたを幸せにしてくれるのは、「あなたが本当にやりたい事」ではなく、「みんながあなたにやって欲しいと思っている事」なのだ。最も多くの人が、「他でもないあなた」にやって欲しいと思っている事。そんな勤めを通じて、あなたは最も必要とされ、感謝され、その対価にも恵まれる。それこそが仕事における、なかんずく人生における、幸せなんじゃないか。

それが「好きな事」「やりたい事」と一致する人もいるだろう。音楽や芸術、スポーツなどの世界では、そういう人が「天才」と呼ばれる。でも、そうした天才になり損ねた人にだって、誰にでも自分を輝かせる「天職」が必ずある。そう信じてそれが何かを模索しながらも、多くの人が結局は見つけられず、アイデンティティーの危機を感じて、自己啓発セミナーやオンラインサロンに救いを求める。

でもそういった場所で説かれるのは、「自分がわき目もふらず熱狂できるもの探せ」であり「周りの声など無視してやりたい事を追求しろ」だったりする。それはまたしても天才の理論なのだ。100万人に1人を産み出す方法なのだ。そんな理論は天才として見出された1人にとっても、新たな天才を迎えた社会全体にとっても、大きな価値がある考え方だと思う。しかし、残りの99万9,999人を幸せにはしてくれない。

「天職」を英語で「コーリング」と言う。誰かが自分を「呼んでいる」という事だ。99万9,999人にとって、天職は「自分で見つける」ものじゃない。「誰かに見つけてもらう」ものなのだ。「自分がどうしてもやりたい事」ではなく、「最も多くの人があなたにやってほしい事」なのだ。それを見つけるための方法は、簡単ではないけど複雑じゃない。常に「貢献」を意識する事だ。迷ったら、より多くの人に貢献できる方を選べ、と考える事。

「自分がどうしてもやりたい事」は世界にたった一つかもしれない。でも、「最も多くの人があなたにやって欲しい事」も同じく世界にたった一つだ。それを個性と呼ばすして何と呼ぼう。この世界には欠けたピースが沢山ある。そして、そんな中には、あなたにしか埋められないものがいくつかある。そんな中で最大のもの、最も大きなミッシングピースを埋める事こそ、天才になれなかった99万9,999人が天職を見つける事に他ならない。

あれから15年経って、パイロットを夢見た年下の友人とは疎遠になってしまった。しかし、海の見える公園で空を見上げた二人の間に寝転んだ沈黙の猫は、その後もずっと長い間僕の頭に居残り続けた。そして、僕に考えさせ続けた。才能とは何か。人生における幸福とは何か。その答えがここに開陳させていただいた処世訓の断片であり、その処世訓のおかげで僕は生き方を変える事ができた。

まだまだ成功者と言えるような立場では全然ないが、すると今では、15年前とは比べ物にならないくらい多くの人に必要としていただけるようになった。ビジネスをテーマに講演をさせていただいたり、取材をいただいたり、雑誌の連載を持たせていただいたり。全く何者でもなかった15年前、そんな事は想像すらしていなかった。決して多くはないけど、今ではソーシャルメディアで僕の声に耳を傾けてくれる人たちもいる。そんな人達の協力とちょっとしたラッキーを呼び込めれば、この記事が友人に届くことだってあるかもしれない。

もしそうなったら、H君、最後に驚くべきニュースがある。あの時から僕の頭に居座り続けている沈黙の猫が、ついには僕に本を書かせてくれたよ。「マーケターのように生きろ」という本なのだけど、これは僕が今仕事にしている「マーケティング」の本ではないんだ。自分のやりたい事を追求し「アーティストのように生きる」べき天才ではない人、100万人に1人になれない残りの99万9,999人が、それではどうやって自分の「天職」を見つけるかという事を僕なりに解説した本だ。献本したいんだけど、連絡先がわからないので、これを見かけたら僕のツイッターまで一報のほど。@pianonoki

マーケターのように生きろ 「あたなが必要だ」と言われ続ける人の思考と行動 東洋経済新報社

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