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新型コロナの抱擁

新型コロナウイルスが流行って、もう何年?
正式名称が、COVID-19だったはずだから、3年か。もうすぐ4年目。
え?まだ4年しか経ってないのか?

コロナ蔓延後の世界で、人生のほとんどを過ごしている気がする。俺の人生にはコロナが常に寄り添っていてくれた気がする。面倒くさい人からの誘いを「コロナが落ち着いたらね」と断り続けてきたので、経済どうこうを置いといて、とてもありがたかった。都合の良い断り文句として、俺の生活に溶け込んでいた。

そうも行かなくなったのは、2022年12月19日の夕方。兄が、喉が痛いと言い出した。近くの内科に行くと。自慢でないが、俺の兄はズボラで面倒くさがり屋、多少のことなら病院には行かない。自発的に行くと言い出した時から、悪い予感はしていた。30分後に帰ってきて、解熱剤を貰ったと言った。熱が37.6度あるらしい。もうクロだなと思った。個人病院すぎて検査キットがないようで、明日に近くの総合病院に行くように言われたらしい。

俺は兄と仲が良い。7つか8つ歳が離れているのだが、よく相手をしてくれる。17日も18日も、マスクを付けずに数時間しゃべった。晩御飯は、4人揃って食べていたので、のこりの家族全員、濃厚接触者になるだろう。もう仕方ないな。オミクロン株は感染力が半端ではないらしいから、諦めるしかない。諦めた。
もうお互い感染してるからいいかなと、夜に嫁とセックスをした。普段のセックスは、唾液と精液くらいしか交換しない。でも、今日のセックスは間違いなく、唾液の中や汗に混じった新型コロナウイルスも、お互いの身体を行き来しているだろうと思った。お互いに刃物を突き付け、身体を傷つけあうような、背徳感を感じた。

次の日の朝(20日)、兄は総合病院に行き、新型コロナの陽性反応が出た。だろうな、と思った。もう時間の問題だ、今晩も、と思っていたが、夜になると嫁も調子が悪いと言い出した。調子が悪い女性に欲情するほど、俺の性欲は太くないので、隣り合って寝るだけにした。

次の日の朝(21日)、母も喉が痛いと言い出した。嫁と母が検査に行き、嫁は陽性、母は陰性だった。そんなことあるのか疑問だったが、俺は無症状だった。もう嫁とは一緒に寝られない。

22日、母が発熱したというので病院へ。陽性だった。こういう時、昔ながらの平屋は助かる。普段はボロくだだっ広いだけの木造住宅だが、ふすまを閉めれば個室になる。全員隔離することができる。
嫁の体調がすこぶる悪いらしい。別途記事を書く予定だが、ITP(特発性血小板減少性紫斑病)という難病を患っている。寛解しているようだが、何かの折にぶり返すかもしれないと言われている。喉が痛くて、唾も飲めないし、咳をするたびに嘔吐するらしい。

23日からは、まぁまぁの地獄である。新型コロナに感染していようが、トイレは行くしお腹は減る。どうしたって、俺は感染者と接触しなくてはならない。ごはん・飲み水の受け渡し、ティッシュペーパー、ゴミ袋、トイレの後の消毒など、接触機会は必ずある。「ここに置いておくから」と言って直接会わなくても、感染者が触ったドアノブや床は消毒しないと気が済まない。共用スペースに行くたびにマスクを交換して、ドアノブは触るたびに消毒、手を洗って、と繰り返した。いつ感染するんだと、半ば怯えて過ごした。

で、今日は27日の27時。深夜の馬鹿力が終わったころ。まだ症状は出ていない。勝ったか。新型コロナに。もう勝ったと言っていいだろう。大学・大学院で培った生物実験のイロハが役に立った。

おかげ様で、陽性者3人は快方に向かっている。あとは後遺症が出なければいい。


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