現代音楽の魅力を分かち合いたい・・

ずいぶん前に廃刊となったピアノレスナーのための雑誌「レッスンの友」1998年8月号のインタビューに答えた時の原稿です。

当時はまだ学校で教えたこともなく、日本に腰も据えてなく、生徒もたまには来る。という感じでしたが、編集部が近所だった縁もあり、3ページにわたってボディコン・ミニドレスの写真やら真っ黒に縁取ったアイシャドウのアー写と共に「ピアノの先生として教えたいこと」をインタビューからまとめた記事にしてくれました。

その後、雑誌は廃刊になって、インタビュー記事を見たからということでもなく、「現代音楽を主として教えて欲しい」というオファーもいただき、その度にこの原稿を眺めてはシラバスをまとめました。若いのになかなか良いこと言ってますね。そんなに教えたこともなかったくせに笑

作曲専攻の「理論ピアノ」の学生が主でしたので、うんちくと分析もしつつ、ベートーヴェンの中期のソナタを1曲でも弾いたことがあれば、即!「メシアンの眼差し11番とか13番とか15番とか」を前期試験で弾かせる。要するに3ヶ月でメシアンが弾けるようになる!授業を展開しました。バッハのインヴェンションもちょっと・・という学生は「メシアンのプレリュードの1番」とダックワースのタイム・カーヴ・プレリュード。ミニマルミュージックで反復してるから指の練習にもなるよ、上手になるから。とか言ってショパンのショも言わせませんでした笑。これぞ高等教育

以下、インタビューの原稿です。

「現代音楽」の魅力を分かち合いたい・・

(受けた教育〜現代音楽に魅せられるまで)

母がピアノを教えていたので、お腹に居た時から胎教で教育は始まっていたようですが、正式に先生に就いたのが4、5歳の頃からで、桐朋の音楽教室にも通いだしました。そこでトンプソンの後はすぐにハンガリーの教材の近、現代曲、それからバルトークのミクロコスモスへ進みました。そのため近代以降の作品へも違和感なくすんなりと入っていけるようになっていました。

本格的に現代音楽を演奏するようになったきっかけが、大学生の時にラベック姉妹とかクロノス・カルテットを聞き、格好よく見えて、身分も彼らみたいになりたいという憧れを抱いて。来日すると必ずコンサートに行くほど好きでした。それまでクラシックのコンサートというと、奇麗なドレスを着て、というイメージがあって、音校にいながらも何か自分の普段のファッションとか他の面でも全然合っていないという感覚がありました。

普段はクラシック以外の音楽も聴きますし、どちらかというとクラシック音楽は確立された世界、勉強だと思っていたので、これが自分の演奏会になるということを私自身思っていませんでした。アルゲリッチとか巨匠がやるもので自分には関係ないと。けれど、ラベック姉妹とかクロノス・カルテットを聴いた時にものすごく感動して憧れたんです。こういうスタイルだったら自分にも可能性があるかもしれないと。やってみたいと。突然、今自分がしていることがまるで考古学のような気がしてきたんです。

18歳ぐらいでしたが、それまでブーレーズも知りませんでした。音楽史の授業で聴いたシュトックハウゼンの電子音楽が、当時流行っていたYMOとかテクノとも重なり、俄然現代音楽にのめり込んでいきました。学校の図書館でメシアンの「アーメンの幻影」を聴いて、雷に打たれたように痺れました。カッコいいけど難しい、学校で習う古典やロマン派とは全く違うアプローチとピアニズムを習得したくて卒業まで待ちきれず、大学途中でパリに留学してメシアン夫人のイヴォンヌ・ロリオ、ポール・デュカスの初演やオネゲルと仕事をしたレリア・グソー、クセナキスなどを初演した現代音楽のスペシャリストのクロード・エルフェ氏らに縁があって習うことができました。留学前と帰ってきてからも、藤井一興先生にも習ってました。

私の留学当時、まだパリには90歳くらいで「ラヴェルがどーしたこーした」と話すペルルミュテールがいたり、私が習ったグソー先生のお宅にオネゲルと写っている写真が飾ってあったり、ロリオ先生の家に行くとメシアンがドアを開けてくれたりと、生きている作曲家やその友人のピアニストが身近にいて、「現代音楽を勉強するということはクラシック音楽の未来の歴史に関わることなんだ」ということに気付きました。

クロード・エルフェ先生のレパートリーは、ブーレーズやクセナキスといった超!難曲が多く、ここで習わないと他では習えないと必死で譜読みをしてレッスンに通いました。

エルフェ先生はその他、フランス政府文化省に依頼されたドビュッシーの改訂版を執筆中でもあり、「現代音楽を通して過去のクラシックの音楽を検証する」という勉強のスタイルを推奨していました。生きている作曲家と仕事をすることによって、作曲家の意図や曲に託した気持ちを汲み取ったりできるようになると、過去の作曲家、ベートーヴェンでも見方が変わって演奏にも色彩が出てきます。現代社会に生きる人間にとって、昔の人間の環境から生まれた音楽を上手に表現することは、現代音楽を演奏するよりも実は難しいことだということにも気づきました。

それはテクニック的に難しいということではなく、もう家電のない暮らしが出来ない、ということと同じレベルの話だと思います。これも現代音楽を勉強することによって「当時の現代音楽としてのベートーヴェン」というように見方が変わってくるのです。クラシック音楽は、いつもその時代の現代音楽だったわけなので、「どこに革新性があるのか。それ以前の作品とはどこが違うのか」ということに敏感になるのです。

こういう感覚が勉強によって研ぎすまされてくると「この作曲家はいい」「この作曲家はまだピアノ曲を書いていないけれど、書いたらすごくいい曲が出来るんじゃないか」という画廊のオーナーのような嗅覚が身に付いてきます。まだ有名ではないけれど、「新曲を頼もう」と見込んだ作曲家に曲を頼んで、まだ誰も聞いたことも弾いたこともない曲が生まれる瞬間に立ち会ことは最高に刺激的なことです。現代音楽を勉強してきた私が、自分の先生が初演した曲を習い、演奏し、そして自分も新しい曲を初演し、その曲を弾きたいからと習いに来る人に教える。きっとその人も将来、自分が初めて弾く曲という経験もするでしょう。

現在、作られているピアノ曲というのは、時代を反映した様々な要素が入っている曲が多いように思います。ロマン派時代まではピアノといえばクラシックだったのが、現在ではジャズやポップスでもピアノは重要な楽器です。ですから「ピアノという楽器のために曲を作る」という作曲家が、ジャズやポップスの要素を取り入れた曲を作るのは音楽の歴史の流れからいって、自然なことです。素晴らしい音楽には「いつの時代か」ということが感じられる要素が必ずあるものです。

現代音楽はクラシックの未来の音楽です。ピアニストのレパートリーはショパンやスクリャービン、メシアンで完結しているわけではありません。色んな曲を聞き、弾くことによって感性は磨かれていくものです。

私が伝えたいのは、現代音楽といわれている1945年以降のピアノ作品の奏法と解釈、楽曲分析を学ぶことによって、音楽観と自分の世界を広げて欲しいということです。

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