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今をみる大切さ

わたしには今、6歳の娘がいます。

とっても可愛いですが
とってもしんどいことも沢山あります。

わたしは子育てが始まってから
自分がどの様に育ってきたのかとか
自分自身がどんな人間であるかなど
自分と向き合う場面が格段に増えました。

その度に「はぁ、、」と落胆する日々。
セルフケアをする前までは
なんて子育ては難しくて大変で苦しいものなんだ!と、いろんな想いを外側にぶつけていました。
それは、自分に対してもひどい刃を向けていたように思います。


植物療法に出会ってから
わたし自身への眼差しが変わり
次第に娘への眼差しも少しずつ変化していきます。
今もなお、気づくことは多く
日々わたしへの癒しが進む中で
一つ、変化の過程を見つけました。

わたしは娘が小さい頃から
思うようにならないことばかりに囚われ
よく怒って言い聞かせてばかりいました。

信じて見守る、、
娘のペースを、ありのままの個性を受け入れる、、

正直いまだにわたしには難しい。。
そう思ってしまうのも事実です。

でも昔は、そんなのできるわけない!と突っぱねていたのが、最近はそうでもなくなってきている自分自身の変化にただ寄り添っています。

つい最近娘に、自分の気持ちを言葉にして伝えることの大切さを伝えていました。
その時の自分の感情を言葉にする。それは子供にとっては難しいことなのだと思います。
わたしなりに少しずつ娘に、今はどんな気持ち?と聞きながら一緒に言葉にしたこともありました。

でも娘は、悲しい感情が訪れた時いつも言葉が出てきません。言わないのではなく、言えないように感じます。
それは、わたしが今まで娘の気持ちを押さえつけてしまっていたんだろうなと、自分の過去と照らし合わせて思うことがあるのです。
一概には言えないですが、今娘との日々を過ごす中肌で感じていることでもあります。

先日もまた同じような状況で
娘は悲しくて涙が出ているのに言葉にしたくてもできないという場面がありました。
わたしはそこで「手紙なら書ける?」と聞くと
「うん」と頷き、1人机に向かいました。

しばらく経ち、様子を伺うと
首をかしげたり、机に伏せったり
背中が『書けない』と物語っているようでした。
振り返り私の顔をじ〜っと見る娘。

「どんなことが書かれていても黙って受け止めよう」と、心に決めて娘の元へ行くと
手紙には〝ママへ” までしか書かれていませんでした。わたしはその時、いろんなことが頭をよぎっていました。だけど
「これが今のあお(娘の名前)だよ」
とだけ伝えました。

書けないということが良い・悪いではなく
ただの現実だということ。
書けてたら正解でも、書けてなかったら不正解でもなく〝今の現状はこれ” だということ。
それをただ認めること。

娘は「書けない…」と泣いていました。
でも、それが今の娘だということ。
ただそれでいいんだということ。
それを今回娘に伝えることができました。
わたしは、これがいつもできなかったのです。。🥲

いつも何かをジャッジしている自分がいる。
だから他人にもジャッジしている。
そしてそれは伝染する。母から娘へ。

でも、わたしへの眼差しを優しくすれば
娘も自分への眼差しが優しくなるんだろうな。
そんなことを感じた日常の出来事でした。

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