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syrup16gイメージアート展 “Stay Beautiful”によせて

 本日2021年9月16日より、キノコファクトリーのねじろにて「syrup16gイメージアート展 “Stay Beautiful”」がいよいよスタートいたしました。

 シロップ。syrup16g。冷静に字面を見るとドキドキしますね。(愛しかないとか思っちゃう)ヤバい展示です。
 たくさんの出展アーティストのみなさまが、それぞれのシロップに対する思いを様々な表現で作品にしました。おそれながら、私も水彩画とステンドグラスの二点で参加させていただいております。
 時世柄なかなか足を運べない方も多いと思いますが、お近くの方はぜひ無理のない範囲でお越しいただけたらうれしいです。
 ネット上でも楽しめる予定とのことで、私も自宅でワクワクしながら鑑賞しようと思います。

 あらためて、開催にあたりご厚意を賜ったUK.PROJECT代表の遠藤様、syrup16gのみなさま、そして素晴らしい場所をつくってくださった主催のキノコファクトリーくさもとさんに感謝を申し上げます。このたびは誠にありがとうございます。
 ねじろの益々のご発展とイメージアート展の成功をお祈りするとともに、これからもどうか、音楽の鳴りやまぬ世の中であり続けることを心より願っております。


 さて、今回のイメージアート展では任意でシロップへの熱い思いを作品に添えてもよいということでした。
 私は作品をこしらえるのに精一杯で溢れる思いの丈をしたためる余裕がなかったので、ここでゆっくりと語ろうかと思います。シロップ語りというか自分語りです。
 おそらくたいへん長くなりますが、ご興味ある方はぜひ飲み物でもご用意してのんびりとお付き合いください。
 作品だけを見たい方は、目次から飛んでいただければOKです。
 それではどうぞ。

私とsyrup16g

 私とsyrup16gとの出会いは2016年でした。わりと最近ですね。といっても、もう5年になります。
 当時二十歳。その頃の自分は大学をやめるか続けるか悩みながら、毎日死んだように生きていました。授業をサボって家に引きこもるか、近所の図書館やカラオケへ一人逃げ入りそこで何をするでもなくただ時間が流れるのを待つか。なんとか大学へ行っても、授業には出たり出なかったり。そんな状態。
 体調があまり整わないのを言い訳にバイトもせず、勉強もせず、虚ろで苦しい時間でした。

 なんでそんなことになったのかは、実は自分でもよくわかっていません。
 将来やりたいこともなく、高校生のときに成績が一番マシだった英語と二番目にマシだった国語で受験ができ、定期券内でライブへ行けそうな場所というだけの理由で選んだ第二志望の大学でした。
 自分で選んだのだから責任は自分にあるけれど、とにかく楽しくなかったんですね。何も見つけられないまま最初の一年が過ぎてしまって、進級してもモチベーションがなくて。

 あまつさえ、9歳のときから抱えている持病(詳しくはこちら)の治療もあまりうまくいっていませんでした。
 10代のときに重い発作を繰り返していたため、それまで10年ほど続けていた注射器での治療からポンプ(小型の器械)の治療へと切り替えたばかりだった当時。ポンプの勉強のために3泊4日の入院をしたんですが、それが2015年3月末のこと。大学の入学式の2日前まで、私は病院にいました。
 それが地獄のような4日間で。
 ひたすらに莫大なストレスだけが残って、満足に使い方を覚えられぬまま退院しました。
 そんな状態で入学したもんだから、心も体も相当なダメージを食らっていたと思います。思います、って他人事みたいだけど、その時は自分で自分を俯瞰する余裕などありませんでした。

 ひとつ、忘れられない出来事があります。
 それは大学の外国語の授業でのこと。一年生のときはそこそこ楽しく講義を受けていたのが、二年生になって内容のレベルが上がったときに、急についていけなくなったのです。
 先生が用意した文章を期限までに覚えて暗唱するという課題があり、毎日練習したけれど全然覚えられなくて、クラスで私だけが不合格でした。
 授業が終わったあと、厳しく問いつめられました。みんなできているのにあなただけ覚えられていない。どういうことだと。加えて大学を頻繁にサボるようになっていたので、なぜ授業に来ないのかも聞かれました。

 そこで思いきって病気のことを話してみたんです。でも、全く理解してもらえませんでしたね。
それどころか先生は、病名を知るなり「大した病気じゃないよね?」などとのたまい、挙句の果てにうちの子供は喘息で体が弱いけれど毎日走っていたら体調が良くなった、あなたも努力をしなさい、そんな感じのことを言われて終わりました。

 精神に追い打ちをかけられた私は、大学の敷地内にカウンセリングの建物があるのを知り、藁にもすがる思いでドアをノックしました。
 ですが、期待していたようなカウンセリングではなく、己の弱さや現実をとことん突き付けられただけで、具体的なアドバイスもあたたかい言葉も何一つありませんでした。

 ボロボロだったそのときの私は、正論なんて求めていなかった。ただ話を聞いてくれる他人が必要だった。

 きっと二十歳にもなって他人にすがるなんて甘ったれなのだろう。やっぱり私はクズだ。クズのくせに、心のどこかではなんとかなると、誰かが救ってくれると期待していたのはぬるくて愚かだった。そう悟ったのでした。

 そのうち「こんな自分がなんで生きてるんだろう」とか「いてもいなくても迷惑な私はさっさと消えるべきだ」とか、そういうことに頭が占拠されるようになりました。
 家で誰もいないときに薬を大量に打ってひっそり死んじゃおうかなとか、ごく普通のテンションで考えていましたね。

 ああいうのって、いきなり真っ暗闇に落ちるんじゃないんですよね。人によるかもしれないですけど。
 私の場合は気づかないうちにじわじわと視界が狭まっていって、自覚したときにはもう、本当はたっくさんあるはずの選択肢がみんな見えなくなってしまっていた。
 まともにちゃんと生きるか、死ぬか、その究極の二択しかないと思い込んじゃったんです。だから、そのどちらでもない自分はクズで最低だと、ますます追い詰められていきました。
 外国語の先生に言われた「大した病気じゃない」という言葉は、棘のように未だに鋭く突き刺さったまま抜けずにいます。
 ふざけんじゃねえ。そう思いつつも、どこかで「そうだよな」と納得していました。

 ふつうに生きるにはつらすぎて、助けを求めるには軽すぎる。
 どこにいても疎外感というか、コレジャナイ感というか、自分が居ていい場所なんてないような感覚。いっそ病状がひどく悪化して、誰の目にもかわいそうに映るぐらい傷だらけになれたらいいのに。そんなひどいことも考えました。

 そんなある日のこと。部屋にこもり、布団に潜ってたまたまUK.PROJECTのホームページを見ていると、ひとつの記事が目に留まりました。

「ほんとに突然ですが、syrup16gの8曲入りニューアルバムが完成しました。なんの前触れもなくてすみません。」

http://ukproject.com/column/2016/09/11945/


 それはアルバム『darc』発売のお知らせでした。(http://ukproject.com/column/2016/09/11945/)
 そのときはまだsyrup16gの名前もきちんと知らなかった私ですが、なんだか妙に惹きつけられたのです。
 一般的なバンドはみな、新譜が出ると決まったらあの手この手で宣伝をします。ラジオやYouTubeで特番を組んだり、時にはテレビに出たり、あと何かしらのタイアップが付いていることも多いですよね。

 でも、シロップは違ったのです。
 「曲ができたからアルバムを作った」
 それだけで新譜を出せるのって、どんな有名音楽番組に出演するよりも、どんな大型タイアップがつくことよりも、ずっとずっと素晴らしくてかっこいいんじゃないかって。同時に、バンドって本来そうだよね、とも思いました。
 お金がなかった私は、とりあえずYouTubeにあがっているMVを片っ端から再生しました。その後、しばらくしてレンタルでHurtとdarcを借りました。
 大学を中退し、バイトを始めて、少しずつCDをそろえていきました。ライブにも行きました。COPY16周年ツアーでZepp Tokyoの外から見た十六夜の月はとてもきれいだった。忘れられません。

 気づけば生活の一部になっていたシロップ。
私はやっと、「ここになら自分は居てもいいのかも」と思えたのです。

 シロップの音楽はよく「暗い」という言葉で表されます。私はあまりそうは思いません。そりゃ、陽気で明るい曲調ではないけれど。
 初めて聴いたときからずっと一貫して「美しい音楽だな」と感じています。
 まず、メロディとサウンドが心地よい。尖った激しい曲でも、なんというか、圧がなくてやさしい。
そこに載せられる歌詞は、棘もあるしユーモアもある。語感がたまらなく気持ちいい。
 三人の演奏は過不足なく絡み合い、唯一無二のものを生み出してゆく。切り裂くような叫びも気怠い声も、あきらめているようであきらめきれない感じも、何もかもが私にはちょうどよく共鳴しました。上手いとか下手とかそういうのはよく分からないけれど、シロップほど心をグッとさせる音楽は他にそうありません。

 ずっと、白か黒かはっきりした人間にならなければいけないと思って生きてきました。どちらにもなじめない自分は、存在さえ許されないのだと、本気でそう思っていました。
 しかし、シロップの曲で歌われる主人公はみな、そのどちらでもないように思えます。

<ほとぼりが冷めたら また奮起して
やり直せるなんて 甘いこと考えてた>

『生きているよりマシさ』/2014年『Hurt』収録

<死にたいようで死ねない 生きたいなんて思えない>

『シーツ』/2003年『HELL-SEE』収録

 生きる気力もなければ死ぬ覚悟もなかった自分にとって、こういうことを歌ってくれるシロップは「光」です。
 それは海に沈む月のようにやさしい希望の光でもあり、己の傷や弱さを晒し出す残酷な光でもあります。儚くて、触れられないけれど、たしかにそこにある光です。
 イメージアート展の二作品は、syrup16gそのものをイメージしてつくりました。ステンドグラスの方は、どことなく『光なき窓』(2017年『delaidback』収録)のイメージでもあります。

 好きな音楽を絵で表現するのはとても楽しいものです。
 大学をやめてから、創作活動をちょっと本気でスタートしました。
 もともと絵を描くのが好きだった私は、今回の展示の主催者さまをはじめ、シロップファンの方々との交流をきっかけに創作活動の居場所も見つけることができました。
 今、めっちゃサイコーです。生きててしんどいことがないわけじゃないけれど、確実に今が一番サイコーだと、自信をもってそう言えます。

 もしかしたら、またボロッボロになる日が来るのかもしれません。現在も病状が芳しくない日はあります。いつもは大好きな音楽や絵が、ときには受け付けられずに苦しい日もあります。
 だけど、なんとかなるんじゃないかって。別に、なんとかならなくてもいいんじゃないかって。今ならそう思えます。
 生きるのをあきらめようとして、逃げて、逃げ切れなくて、目に見える傷ひとつこさえられずノコノコ戻ってきても、きっとシロップは変わらずそこにいてくれるから。
 強くはないし弱くもない、中途半端な自分が、少し肩をすくめながら「やっぱりもう少しだけ生きてみようかな」と思えたときに、そこで鳴っているのはきっとsyrup16gの音楽だから。

出展作品

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『沈める月』2021年
色紙、透明水彩 (約13cm×12cm)

 ステンドグラスの写真を撮っておくの、すっかり忘れてました、、、
【※9/21追記】
 主催者さまより写真をいただきました!

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『Untitled』2021年
画用紙、セロハン (A4)

 あらためて「syrup16gイメージアート展 “Stay Beautiful”」一ヶ月間よろしくお願いいたします。

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