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■読書日記<第14回> 小説改稿の醍醐味と読書の「新たな可能性」を知った夏

ウクライナ戦争と新型コロナウイルスの蔓延は、いったい世界をどこへ連れていくというのでしょうか。いろいろと考える材料を読書に求めてはいるのですが、なかなか難しいですね。とはいえ、「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない」と『吾輩は猫である』執筆中の自身に重ね合わせて、後年の夏目漱石は『道草』(1915年/『朝日新聞』連載)の最後に主人公・健三の言葉として記しています。家庭的にはペシミスティックな人間である漱石の言ではありますが、これはこれで真実であるのかな、と思えます。なかなか物事はすっきりとは片付かないものです。いやはや。

この読書日記も日常に忙殺されて、すっかり間隔が空いてしまいました。今回はちょっと長くなりますが、ご容赦ください。

≪この2カ月の購入リスト≫
『限りある時間の使い方』オリバー・バークマン(かんき出版)

※ブックエキスプレス大船店で購入
『アンネ・フランクはひとりじゃなかった』リアン・フェルフーフェン(みすず書房)
『歴史の真贋』西尾幹二(新潮社)
『「修養」の日本近代』大澤絢子(NHKブックス)

※いずれも、有隣堂横浜駅西口店で購入
『誠実という悪徳』ジョナサン・ハスラム(現代思潮新社)
『人間の測りまちがい(上・下)』S・J・グールド(河出文庫)

※ともに、Amazon出店の古本屋さんで購入
『22世紀の民主主義』成田悠輔(SB新書)
『9月1日 母からのバトン』樹木希林・内田也哉子(ポプラ新書)
『図書館の日本文化史』高山正也(ちくま新書)
『宿無し弘文 スティーブ・ジョブスの禅僧』柳田由紀子(集英社文庫)

※いずれも、書房 すみよしで購入
『戦争と平和を考えるNHKドキュメンタリー』日本平和学会編(法律文化社)
『女性たちの戦争』大原富枝ほか(集英社文庫)

※ともに、紀伊国屋書店札幌本店で購入
『伽羅を焚く』竹西寛子(青土社)
※東京堂書店神田神保町店で購入
『女性受刑者とわが子をつなぐ絵本の読みあい』村中李衣編著/中島学著(かもがわ出版)
『はだしであるく』石川えりこ絵/村中李衣文(あすなろ書房)

※神保町ブックハウスカフェにて、両著者のイベントお手伝い時に購入

■7月4日
『実力も運のうち 能力主義は正義か?』
⇒倫理道徳とは何か?

リストに掲げたように、この夏もずいぶん本を買い過ぎてしまい、読書がなかなか追いつかない状態が続いているのですが、最初の一冊も、昨年11月に購入したままになっていたマイケル・サンデル著『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)です。

日本以上に格差社会(学歴社会)の弊害が進むアメリカで高学歴勝者(能力主義者、新自由主義者)に対して、他者に対する感謝の気持ちや謙虚さを切に求めるものでした。共同体を維持するにあたって、分断の進む一方の勝者(?)に対し、アメリカンドリームの置き去りにされた敗者の労働への承認と評価、尊敬を強く要求しています。サンデルの本書を執筆した動機に、切迫感を感じました。
これからの社会を築く学生に対する教育者としてのハーバード大学教授の使命感でしょうか。あるいは、自分の能力と努力によって成功(入学)を勝ち得たと思うあまり、能力主義の成功者(?)以外を下に見る(上から目線ですね)学部生に危機感を覚えたのでしょうか。社会の分断化が進み、敗者の怨嗟と怨念が高じれば、暴力の表出も招きかねません。トランプ元大統領に投票した7,400万人もの地方や労働者階級の有権者の悪夢が繰り返されるかもしれません(第二の米連邦議会占拠も)。冗談じゃないですね。以下、第7章からの引用です。

マーティン・ルーサー・キング牧師は暗殺される少し前、テネシー州メンフィスでストライキ中の清掃作業員に呼びかけ、彼らの尊厳を共通善への貢献に結びつけた。「私たちの社会がもし存続できるなら、いずれ清掃作業員に敬意を払うようになるでしょう。考えてみれば、私たちが出すごみを集める人は、医者と同じくらい大切です。なぜなら、彼が仕事をしなければ、病気が蔓延するからです。どんな労働にも尊厳があります」

本書で私がとくに気になったのは、著者が『これからの「正義」の話をしよう』(ハヤカワ文庫)でもそうでしたが、一貫して説こうとしている「正義」「共通善」って何だろうということでした。共同体、社会、国家の倫理道徳でしょうか。これからも、考えてみようと思います。

■7月15日
『青春の終焉』⇒続いて、教養とは何か?

近ごろとくに書店店頭では、「教養」という言葉が眼に留まります。弊社の書籍タイトルにも多数、冠されています。もともと、あまりいいイメージではなかったのが、近年のリベラルアーツの流行で、復権を果たしたのかもしれません(もっとも、「リベラルアーツ=教養」という認識は誤りだと村上陽一郎さんは言います。『エリートと教養』[中公新書ラクレ])。ただ、私の学生時代にも、「教養って何だろう」という問いが読書会の会報に載っていました。「教養」というキーワードって、いったい何なのでしょうか。

修行、修養、教養、教育、研修(研究+修養)、精進……いずれも近しい二字熟語です。各自お互いの関連性を述べよ、という国語のテストが出ると楽しいですね。難しいけど。

話は逸れますが、『ユリイカ』『現代思想』の編集長だった三浦雅士さんは『青春の終焉』(講談社学術文庫)で、「教養」という言葉は和辻哲郎の発明だと言います。私は、ずいぶん長いあいだ、実存主義の「実存」は倫理学者・和辻哲郎の翻訳だと何かを読んで誤解していました(正しくは九鬼周造だそう)ので、これも本当かなと最初は思ってしまいました。論旨は、「教養」を広く人口に膾炙せしめたのが和辻哲郎だということのようです。当時の意味合いとしては「教育」と同義だったよう。

『青春の終焉』は「教養の幻想」といった章があるように、「教養」には懐疑的な書でした。問題は大正時代の教養主義にあるようです。唐木順三さんは大正の教養を否定して、明治の修養を称揚します。西尾幹二さんも「大正という時代は、そういう意味での(西洋の)教養の思想を受け入れて頭でっかちな展開をした時代だったと思うんですよ。あの時代の教養主義には体を使わずに、知識だけで生きるというようなところがありますからね」(江藤淳との対談「批評という行為」/『小林秀雄の眼』中央公論新社所収)で完璧に否定しています。う~ん、真の教養とは心技一体の明治時代までの話なのでしょうか。

■7月26日
『夢幻花』『道頓堀川』⇒初出雑誌と単行本との相違について

東野圭吾の『夢幻花』(PHP文芸文庫)、最近参加しているミステリー読書会で指定されたテキストでした(私が参加したから!?)。

『夢幻花』は、世界有数のベストセラー作家の一冊です。親本と合わせると累計発行部数115.5万部のミリオンセラー。東野作品の多くは映画化されており、本作についても期待しているのですが、雑誌連載の初出後、いまだ映画化がなされていません。
初出は弊誌『歴史街道』、2002年5月号から2年間の連載です。著者のこだわりもあり、単行本化にあたっては連載時とはまったく異なる設定、展開となりました。納得のいくまで全面改稿の労をいとわない、本当に誠実な作家さんだと思います。

本書巻頭のプロローグは特別に2編、執筆されています。無差別殺人に巻き込まれる凄惨な親子の話と、台東区入谷の朝顔市での微笑ましいボーイズ・ミーツ・ガールです。一見、無関係なようで最後に収斂される、見事なプロローグの模範のような小説でした。連載終了から9年もの歳月をかけて新たに練り上げられた傑作です。
江戸時代から続く、ありえない幻の「黄色の朝顔」をめぐるお話ですが、登場する男女―――蒲生蒼汰と秋山梨乃――-の若い二人の将来への希望に満ちたエピローグに感銘を受けました。単純ですが、個人的には終わりよければすべてよしです。読後、「黄色の朝顔」の種子問題はどうなったのだろうと、ふと思いました……。

我慢できないのでちょっとだけ明かすと(連載バージョンのネタバレです)、『歴史街道』の連載最終話も、子を持つ母(現行『夢幻花』にはまったく登場しません)の行動が、これまた異なる毒性を持つ「黄色の朝顔」問題を根本から解決する素晴らしいものでした。
例年7月上旬に開催される入谷の朝顔市は、残念ながら本年も見送られています。来年こそ無事に開催されんことを祈ります。一面の朝顔、行ってみたいです。

ちなみに、小説は最初に発表された雑誌と単行本を読み比べると、たいへん興味深いです。昔、私は宮本輝の『道頓堀川』を初出の「文芸展望」(1978 春/筑摩書房)で比較してみたことがあるので、改めて引っ張り出してみました。
『泥の河』『蛍川』『道頓堀川』と続く「川三部作」(幼年・少年・青年時代)の最終作ですが、なんと単行本は初出誌の原稿用紙150枚の倍近く、350枚にまで加筆されていました。もともとは、よるべなき青春と親子の葛藤をめぐる愛憎劇でした。現行は父親の妻との戦後すぐのなりそめと不幸な顛末の回想が大幅に追加され、物語に厚みを増しています。私は父と子の親子問題に焦点を当てた初出のほうが、すっきりしていいように思いました。
下記の引用は単行本に際しての加筆のものですが、橋づくしが印象深いシーンです。

戎橋の次が道頓堀橋、その次が新戎橋、それから大国橋に深里橋や。ほんでから住吉橋に西道頓堀橋、幸橋となるんやけど、その辺の橋に立って道頓堀をながめてると、人間にとって何が大望で、何が小望か判ってくるなァ(中略)とにかく、道頓堀が、何やしらんネオンサインのいっぱい灯ってる無人島みたいに見えるんや。ああ、俺はあんなところで生きてたんかて、しみじみ考え込んだよ。邦ちゃんも、いっぺん幸橋の上から道頓堀をながめてみたらええ。昼間はあかんでェ、夜や、それもいちばん賑やかな、盛りの時間や。

邦ちゃんというのは住み込みのアルバイト学生で、喫茶店リバーのマスターであり、かつてビリヤードの世界で名を馳せた武内鉄男が、人柄を愛して雇った天涯孤独の青年です。先の引用は、武内が「俺はなァ、偉うなろうとして頑張ってる若い奴を見てるのんが好きや。まあ何が偉いのんかは別として、大望を抱いてるやつがすきなんや」という言葉に続くものです。雑誌掲載に大幅に追加された加筆箇所の最初の部分ですので、おそらく著者がもっとも書きたかったことだったのでしょう。
それにしても、夜の川面に映る灯りは美しいものだと感じます。都会のネオンサインなど、人工的で無機質なものに美や愛着を感じるのは現代人特有の感覚に違いないと、改めて思いました。

このビリヤード(玉突き)の賭けゲームの世界でかつて名を馳せた父親に挑む、売り出し中の賭け事師の実の息子・政夫の物語を一本の筋として進み、最後に政夫が玉突きをやめるか、父・武内が政夫に店を持たせる援助をするか、を賭けての勝負となります。親子対決中の会話は、雑誌掲載と単行本で大きく異なります。

【初出雑誌】
親子は最後のゲームのため立ち上がった。
政夫が、ブラシで玉台のフェルトを掃除した。そして武内を振りあおいで言った。
「お父ちゃん、俺を嫌いか?」
「……いや、嫌いなことあらへん」
「俺、お父ちゃんの子供やでェ」
武内は何と答えたらいいのか、とっさには判らなかった。
「もしどっちも他人やったら、邦ちゃんと俺と、どっちが好きや?」
「阿呆、しょうもないこと言うな」
<中略:武内は20年間、政夫は本当に俺の子だろうかと疑い続けたことを顧みる>
彼は政夫を見つめて言った。声が震えていることが、自分でも判った。
「おまえは、俺の子ォや。いままですまんかったなァ」

【単行本】
親子は最後のゲームのために立ち上がった。政夫が、ブラシで玉台のフェルトを掃除した。そして武内を振りあおいで言った。
「お父ちゃん、このゲームはきっと本気で突くやろなァ」
「ああ、本気で突くでェ」
「俺もとことん突いたるでェ。親父は遊んでるつもりかもしれんけど、俺は絶対に勝ってみせるからなァ」

ご覧のとおり、単行本の武内は、すでに父として息子を受け入れてしまっています。そして息子に背を向けながら顧みるのは、いまは亡き妻・鈴子への愛憎でした。小説としての奥深さは、単行本のほうでしょうか。でも個人的には初出が好きです。さて、お互い負けられないゲーム勝敗の行方はどうなるのでしょうか。いずれにせよ、親子とも明るい未来を予感させますが、実はもう一人の主人公・邦ちゃんが、大学卒業後の将来に悩み、女に惑い、いましばらく迷いが多そうで心配ですね。宮本輝の以降の作品を読むと、人生に惑う邦ちゃんの同族にはオンタイムで、しばしば出会うことになりました。

『道頓堀川』はその後、1982年に松竹にて映画化され(深作欣二監督)、いっときビリヤードも流行りました。勝負師ハスラー気取りで、キューを持ち歩く人たちまで現れたのを覚えています。本当を言うと、同じ真田広之出演の映画『麻雀放浪記』(1984年/阿佐田哲也原作/和田誠監督)が、大学生の私には麻雀に耽溺させる影響が大きかったのですが。のちのバブル景気に突入する前哨戦として、日本で賭け事が流行った時代でしょうか。

■8月15日
『平和への巡礼』
⇒自分が「何であるか」をとことん究明

小林秀雄の言に、「いつものように漫然と読みはじめ」云々というものがあります。ということで、あれこれ引っ張り出してしまった読書についての備忘録です。
吉田満著『平和への巡礼』(新教出版社)は、晩年の山本七平さんが「生涯の友のような本」と絶賛されていた書物です。生と死を見つめることから信仰に到達され、平和を希求された「精神的自伝の極み」と言っています(『精神と世間と虚偽』[さくら舎])。すべて、確かな信仰に裏打ちされたエッセイ集でした。

吉田満の代表作は『戦艦大和ノ最後』(講談社文芸文庫)です。吉田満さんは、自分が「何であるか」の究明に固執したいと言います。「自分がこの現代に生をうけた日本の一キリスト者であり、多くの仲間を戦争で失った戦中派の生き残りであり、体制側に属して戦後日本の復興に協力した社会人であり、日本がふたたび世界の孤児となることを憂え、世界の期待に日本人が何をもってこたえるかに心を砕く同志の一人であるという現実から眼をさらさないようにしたい」(「何をするか」と「何であるか」/「西片町教会月報」1977年10月号)。戦後、日本銀行に奉職し、最後は監事まで立派に30年間勤め上げられた方です。

吉田満『戦中派の死生観』(文春学藝ライブラリー)の解説で若松英輔さんは、吉田満を作家・島尾敏雄(海軍大尉、同じく終戦を奄美で震洋特攻隊長として迎えている)同様にカトリック信仰者と書いていますが、これは誤りです。吉田満は戦後すぐ執筆された『戦艦大和ノ最後』の草稿を読んだカトリック神父と夜を徹して対話を重ねたのを契機に帰依することになり、カトリックで受洗したのは確かですが、その後プロテスタントに改宗されていました。「底深きもの」(『福音と時代』1951年11月号)にその間の微妙な経緯が記されています。

私は自分のカトリシズムに対する郷愁を否定しない。あの告解やミサの無類の体験を否定しない。あの壮大な抱擁的な立体感を否定しない。しかしそれらが真に本質的なものであるかどうかに私の問題がある。<中略>私は文字通り暗きにさ迷うている。カトリシズムの堅固な克己と努力の信仰も捨てがたい。プロテスタンティズムの真摯な捨身な信仰も本物だと思う。

やはり、カトリック受洗後に結婚された奥様(実家がプロテスタント)との関わりからのようです。

『戦中派の死生観』にも収録されている「死・愛・信仰」(初出:『新潮』1948年12月号)は、カトリックに受洗した直後の文章ですが、『平和への巡礼』(新教出版社)所収を読むと、今田神父との出会いと影響に関する詳細な叙述(直筆の原稿では4,000字近く)が削除されたうえでの雑誌『新潮』掲載が、そのまま収録されています。おそらく初出の削除は編集部の判断でしょうか。『戦艦大和ノ最後』も、GHQの検閲によって長く日の目を見なかった作品です。まったく、著述家としては不幸な方だったと思います。

江藤淳に占領研究の文学篇といわれる『落葉の掃き寄せ―敗戦・占領・検閲と文学』(1981年/文藝春秋版)があります。気鋭の江藤淳さんがウイルソン国際学術研究所の招聘で2年半渡米した前後のエッセイをまとめたものです。アメリカのメリーランド大学付属マッケルディン図書館に、ブランゲ文庫という占領軍CCD(Civil Censorship Detachment=民間検閲文隊)の資料として、押収した書籍、小冊子、雑誌、新聞が7万点あまりもあるそうで、そこでの発掘の成果を本書で明かしています。

とくに興味深いのが、本書でしか、『戦艦大和の最後 天号作戦に於ける軍艦大和の戦●(闘)経過』の初出は読めないことです(これは戦後、GHQが没収した『創元』1946年11月号第一輯の校正刷りに、小林秀雄「モオッアルト」と中原中也「昏睡」他四篇の詩とともに掲載予定だったもの)。現行の1952年に創元社から出版された、著者が認める決定版(講談社文芸文庫版)の半分ほどの分量ですが、これは経験者による戦争記録の白眉だと思います。

吉田満は1944年9月に東京帝国大学法学部を繰り上げ卒業、同年12月に海軍電測学校を卒業し、少尉任官、電測士として大和乗組を任命。1945年4月に沖縄特攻作戦に従事するも、鹿児島県坊ノ岬沖で撃沈された3,332人中のうちの生き残り276人の一人として、終戦前年4月に生還、その後、リハビリの呉勤務から再び高知県須崎へと人間魚雷基地の隊長として赴き、そこでまた死を覚悟しながらも1945年に終戦を迎えて郷里へ帰還し、その秋、『戦艦大和ノ最後』は一気呵成に一日で記されたものでした。著者22歳。同年12月に日本銀行に入行。1946年に小林秀雄の慫慂で初出を『創元』に掲載を図るも、GHQの検閲で叶いませんでした。

弊社刊の白洲正子『鴨川日記』(PHP文芸文庫)によると、小林秀雄は初対面の白洲次郎(終連次長)を尋ねて訪れ、GHQへの作品の掲載禁止を解除させるために、ウィロビー少将に面会を依頼したそうです。翌1947年には、吉田健一まで登場し、『創元』第二輯への掲載を実現しようと、父・吉田茂が首相に就任した3日後、ふたたび検閲処分の再考をGHQに求めたといいます。それでも叶わず、1949年5月にカストリ雑誌『サロン』6月号に「小説・戦艦大和」(口語体)として大幅に修正して発表されています(未読ですが、江藤淳さんは厳しい評価を下しています)。
いまだ占領下であり(戦後6年半、占領統治は続いていました)、GHQに著者と出版社は呼び出され、譴責を受けたそうです。そして1951年、サンフランシスコ平和条約発効後、連合国の占領が終わった翌年に、ようやく創元社から単行本として発刊され、3度目の正直で現行のものが陽の目を見ました。なんだか、小説みたいなすごい話ですね。

江藤淳が突き止めた『戦艦大和ノ最後』の、現行と初出との本文末の差異は、決定的なものでした(本書の発表は吉田満没後)。

【現行】
徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨體四裂ス 水深四百三十米             今ナホ埋没スル三千ノ骸(むくろ)
彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何

【初出】
サハレ徳之島西方二〇浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨體四裂ス 水深四三〇米
乗員三千餘名ヲ數ヘ、還レルモノ僅カニ二百數十名
至烈ノ鬪魂、至高ノ練度、天下ニ恥ヂザル最期ナリ

感傷的な現行のものではなく、堂々とした見解を述べる初出の結語は素晴らしいものだと思います。

せっかくなので、初出の最後の部分だけ転載します。救出後の感慨から始まります。

八日
 朝
体力全ク恢復、後半出デ顔ヲ洗フ
太陽ノ眩シサ、山ノ美シサニ嘆声ヲ上グ
「生キルノモイイナア」
大和乗員総員集合
副砲長「貴様等ニハ、一仕事シタトイフ様ナ色ガ見エル、ソンナコトデドウスルカ、今コソイヨイヨ貴様等、古強者ヲ必要トスル、直グニデモ俺ニツイテ突込ンデ行ク、イイカ」
同夜ヨリ佐世保港外、病院分院ニ入リ治療ス
白衣ノ身、波近キ病楝、春ノ夜ニヒソカニ思フ
我ガ数日ノ体験、ソヲ特攻出撃ト呼ブヤ
コノ乏シキ感慨ヲ、死線ヲ超エタリ、ト云フヤ
然ラズ、
<中略>
死ノ尊キハタダソノ自然ナルニヨルベシ
カノ天地ノ自然ノ尊キガ如クニ
然リ、死ノ故ニ我等ガ問フコト勿レ
如何ニ職責ヲ完遂セルカヲ、ソノ行ノミヲ問ヘ
<中略>
我レ日常ノ勤務ニ精勤ナリシヤ
一挙手一投足ニ至誠ヲ盡セシヤ 一刻一刻ニ全力ヲ傾ケシヤ
<中略>
虚心ナレ 死、我ニカカハリナシ 此ノ時ヲシテ不断真摯ヘノ転機トナセ
死、身ニ近ケレバ、死我レヨリ遠ザカルナリ 生全キ時、初メテ死ニ直面スルヲ得ベシ
真摯ノ生ヲ惜キテ死ニ対スルノ道アルベカラズ
虚心ナレ
<中略>
本作戦ハ遂ニ成功セズ 艦隊ノ過半ヲ失ヒ 途半バニシテ帰投ス
連合艦隊司令長官ヨリ感謝の詞アリ
当隊ノ犠牲的勇戦ニヨリ特攻機ノ戦果大イニ挙リタリ、ト
以テ冥
(ママ)スベキト雖モ、作戦目的ヲ貫徹シ得ズシテ又何ヲカ言ハン
或ヒハ戦術的考慮皆無、餘リニモ無暴
(ママ)ナル作戦ナリ、ト マタ発進時期尚早、マサニ至寶ヲ放擲セルニモヒトシ、ト サハレ徳之島西方二〇浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨體四裂ス 水深四三〇米 乗員三千餘名ヲ數ヘ、還レルモノ僅カニ二百數十名
至烈ノ鬪魂、至高ノ練度、天下ニ恥ヂザル最期ナリ
<終>

いまは見ることのない文語体叙事詩として、格調の高い最高の文章ではないでしょうか。しかも、著者22歳時の文章です。ここから「よし。正しく生きることだ。愛をはぐくもう。一瞬一瞬に悔いをのこすな。一刻一刻に至誠をつくせ。立派に生きること、それのみが立派に死ぬ途なのだ。生きることの中にしか死はない」(「死を思う」/1948年「カトリック新聞」)という戦後の著者の生きざまにつながり、最後まで貫かれたのだと思います。

せっかくなので、前出『落葉の掃き寄せ』で初めて知り興味深かったことを、もう一つ。GHQの検閲を受けて改訂がなされたという柳田国男『氏神と氏子』の話でした。江藤淳さんは、戦争末期に書かれた『先祖の話』(1946年/筑摩書房)が一種の遺言だったとすれば、靖国神社での連続公演がもととなる『氏神と氏子』は占領軍の宗教政策に対する本質的な抗議であったといいます。江藤淳さんは、『先祖の話』から下記の引用を行ないます。

私がこの本の中で力を入れて説きたいと思ふ一つの点は、日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まつて、さう遠方へは行つてしまはないといふ信仰が、恐らくは世の始めから、少なくとも今日まで、可なり根強くまだ持ち続けられて居るといふことである。

少なくとも国の為に戦って死んだ若人だけは、何としても之を仏徒の謂ふ無縁ぼとけの列に、疎外して置くわけには行くまいと思ふ。<中略>ともかくも嘆き悲しむ人が亦逝き去つてしまふと、程なく家なしになつて、よその外棚を覗きまはるやうな状態にして置くことは、人を安らかにあの世に赴かしめる途では無く、しかも戦後の人心の動揺を、慰撫するの趣旨にも反するかと思う。

江藤さんは「CCDがそのテクストの削除を命じたとき、CCDは正確に柳田とその話を聞いた若い人々が、あの「霊」の存在を感得する感受性を、共有することを禁じたのである。それはいうまでもなく、民族の記憶を圧殺することを目的とした禁圧であった」(「『氏神と氏子』の原型」/『落ち葉の掃き寄せ』所収)
元編集者の平井周吉さんによると、江藤淳さんは「戦死者の霊をよく感じたことは何度も文章にしている」そうで、『落葉の掃き寄せ』も「一冊の本としては「霊」へと収斂している」と言います(『江藤淳は甦る』新潮社)。存在するか否かにかかわらず、死者の「霊」に対しては敬虔な気持ちを持ち続けていたいと思います。

■9月2日
『女性受刑者とわが子をつなぐ絵本の読みあい』
⇒「読みあい」という新しい読書の可能性

村中李枝『女性受刑者とわが子をつなぐ絵本の読みあい』(かもがわ出版)という本の存在を、お手伝いした児童書イベントで知りました。イベントは絵本作家の制作裏話といったもので、それはそれで興味深かったのですが、私には本書の活動、概念が面白かったので紹介します。

これもまた、新しい読書の効用について考えさせられるものでした。美祢社会復帰促進センターという場が山口県にあります。「いわゆる刑務所」というものですが、日本では初めての官民共同運営の刑事施設だそうです。そこでは、絵本の「読みあい」が矯正プログラムの一環として採り入れられていました。

読書療法の歴史は古く、古代アラビア、アッバース朝時代のカイロの病院での実践にまで遡るといいます。日本では1950年、阪本一郎『読書指導-原理と方法』(牧書店)が理論紹介の先鞭だそう。その後、読書療法研究会による教護院での奨励研究や教育、臨床領域へと広まっていったといいます。核となるのは、治療目的に沿った指導者と対象者との精神的な交流による読書指導の流れだそうで、「アイデア的な抽象的思考の世界」で現場に応用できるものでなかったといいます。
そこで、指導者から対象者への「読書による治療」という考え方を改め、かかわりを持つ者同士が一緒に物語世界に心遊ばせ、感じたことや考えたことを分かち合うコミュニケーション重視へと舵を切り直したそうです。

著者の村中李枝さんはノートルダム清心女子大学の教授であり、児童文学や絵本の文章も多数書かれています。村中さんは、物語世界の共有と相互に心を通い合わせるためには、「読み聞かせ」という用語はそぐわない、「読みあい」という呼称を提案しています。そして、40年にわたって小児病楝の子供たち、児童養護施設や高齢者施設、ターミナルケアの現場で実践され、依頼を受けて2009年より美祢社会復帰促進センターで「絆プログラム」として活動されています。長くなりましたが、本書が、その実践報告となります。

「絆プログラム」とは、離れて暮らす家族、あるいは直接会えない大切な人同士をつなぐプログラムとして開発され、単身赴任の親と子、コロナ禍で簡単に会えない祖父母と孫、長期入院の親と子など、その対象はさまざまですが、美祢社会復帰促進センターでは、女性受刑者とお子さんをつなぐ目的で実施されました。
プログラムは、家族や大切な人を想定しながら絵本を選び、ペアを組んだり、グループでお互いに読みあい、CDに録音、送り届ける、という一連の流れを、6名の参加メンバーで6回(1回90分)のカリキュラム構成で取り組むものです。

単元1:オリエンテーション……①家族のために自分で選んだ一冊の絵本を自分の声で読み、録音して家族に届ける最終目標の説明、②さまざまなタイプの絵本を紹介し、1冊の絵本との出合いが心を揺さぶり、人生観すら変えることがある事例を紹介、③講師に生の声で絵本を読んでもらう心地よさ(素直な感情の揺れの経験)を感じてもらい、自分が読むことへの意欲を高める、④実際に自分で絵本を選ぶ(85冊のなかより)。
単元2:ペアで読みあいをやってみよう……①自分の選択した本をペアをつくって読みあう、②気づきをワーキングシートに書き込み、互いの読みを振り返って気持ちを分かちあう、③授業終了後、ワーキングシートに講師がコメントをつけて返却。
単元3:みんなと絵本を読みあってみよう……①グループ全員の前で読み、なぜこの本を選んだか、実際に読んでみてどんな気持ちがしたかを伝え、メンバーも聴いてどんなことを感じたかフィードバックする、②最終的に録音するにあたって、不安なことや具体的にわかならないことをワーキングシートに記入する、③講師はワーキングシートを次回、全員で共有するものと個人的なアドバイスとに分けてコメントし返却。
単元4:よりよい読みあいをめざして……①前回のワーキングシートをもとに問題解決のための練習を行う、②次回の録音リハーサルを意識しながら、お互いのよさを分かちあい、全員でスキルアップを図る。
単元5:録音リハーサル……①本番と同じ手順で、実際に読みの声の録音を行う、②全員が終わると、ワーキングシートに仲間一人づつへの応援メッセージを書く、③講師も全員の応援メッセージを記入して返却、④本番に向けて絵本の居室持ち込みが許可されるため、借り出し手続きを行う。
単元6:録音本番……①家族に思いを馳せながら、絵本読みの声を録音、②プログラムを振り返って、心情の変化や発見を自分の言葉で伝えあう、その後、ワーキングシート記入で締めくくる、③講師からメッセージカードを受け取る、④録音編集されたCDが手渡され、絵本のタイトルをカラーペンを使って精いっぱいの思いを込めてカラフルに仕上げる。

本書の15名の事例から、ごく一部の言葉を、そこで選択された絵本とともに紹介します。それぞれ受刑者の思いに胸を撃たれます。

・無理です。どう読めばいいのかわかりません。(練習を重ねて)こんな私でも絵本の世界に入り込むことができるし、絵本の良さがわかるんだなぁと思うと、なんだか不思議な気持ち(『おまえ うまそうだな』ポプラ社)
・けれども、先生に「何をしてあげたか」よりも「何をしてあげたいと願い続けたか」が大切といわれて、ハッとしたのです。これから私が何ができるのかよりも、何をしていこうかと思う気持ちがまず大切なんだと気づかされました(『こすずめのぼうけん』福音館書店)。
・どんなにダメな私でも、私の子どもには、私しか「ここよ」と言える人はいないんですよね(『ちいさなき』福音館)
・うちは、ホンマ、クスリをやってるの子どもに悪いと思ってて、だから子どもが抱っこしてって寄ってきたときも、ゴメンって思いながら突き飛ばして障子をバシッと閉めてんで。こんなん、アリか?ゴメンなのに、ギュッと抱きしめるなんて・・・ホンマ腹立つ。(この発言に対して仲間から)あんたも、ぎゅっとしたらいいやん。絵本の中ならぎゅっとできるやん(『きんのたまごにいちゃん』鈴木出版)
・よく考えたらみんなやらかしちゃってますよね。ほら、くまもきつねもりすたちも、置いてあったものを全部、食べちゃってます。途中で気づいたんじゃなくて、取り返しがつかないところまでやらかしたあとでハッと気づいて、それでも自分にできることはないかと考えて、結果が次にやってくる人を幸せにしていくんですね(『どうぞのいす』ひさかたチャイルド)・・・心優しいお話を心優しく読もうとするのではなく、どんなに失敗したってそこからやり直せばいいんだと自分の人生を寄せたエールのような読みに変わった事例。
・正直、最初のうちは、絵本を読んだくらいで何が変わるのかなと思う部分がありました。でも、言葉ってすごい。声ってすごい。自分が声を出すときはもう、相手を悲しませたり傷つけることがないようにしたい(『くまのコールテンくん』偕成社)
・これまで途中であきらめてばかりだったから、子どもに届けるこの気持ちだけは、あきらめたくないんです(『いろいろごはん』くもん出版)

続いて本書では、著者によるイギリスのダートムーア刑務所訪問でのCD、DVD作成(熟練の受刑者スタッフによる効果音、BGM付き)の体験談が語られます。日本より開放的で、再犯を防げるかどうかは、刑罰を与えることより、出所してから家族関係をどう良好に結び直せるかにかかっているという考え方が根本にあるようです。著者にとって、絵本は誰かから誰かへ一方向へ思いを伝えるものでなく、声を出すものと聞き入るもの両者の相互の心の響きあいが生じるもので、いわゆる関係の質の改善を図るものだと説きます。

また、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど海外の矯正プログラムは、一般の受刑者に向けて、自己洞察のための読書会や詩や作曲のワークショップ、ラジオドラマの作成、一般に公開する劇場での演劇やミュージカル上演まで、さまざまなスタイルで試みられ、大学の研究室、ボランティア団体、図書館司書と、所属や立場の異なるメンバーで協力しあって運営されています。オーストラリアで演劇プロジェクトに参加した受刑者は、こう語っています。

家庭内暴力を受けてきて、見えないように、気づかれないように生きてきたが、逆にステージの上で自分の生きる場所を誰はばからずに表現するということは、自分の失ってきた何かを取り戻すための戦いのようなものだった。家庭内暴力を受けると、自分自身という感覚や自分がどうありたいのかという確信が揺らいでいく。演劇を通してそれを一つずつ見つめ直すことができた。「信じる」ということにも段階があり、どんなことにおいても100%信頼できる、ではなく、特定のことにおいて100%信頼できればまずはよいのだ、ということを感じた。

さらに本書は、美祢社会復帰促進センター元センター長の中島学さんによる刑務所とは何か、といった歴史的には200年足らずの自由刑としての監獄・刑務所の歴史から、矯正としての機能、民間活力の導入、施設内処遇機能から、「絆プログラム」の意義へとつながる意を尽くした丁寧な論文が挟まれます。
中島学さんは、受刑者の「ことば」の回復を重視します。以下、引用です。

いきなり自分自身を語りだすことは、通常でも起こりにくいことです。「絵本」を読むという行為によって、自らの声をまず発することから、自己への探究が始まります。そして、徐々に「絵本」の中にある「物語」を自己の経験の中に浸透させていくことにより、他我(me)の視点が形成されていきます。くり返し語り聞かされる体験を通して自己に浸透した「物語」がある種の触媒となり、語り得なかった自己の物語の存在を主我(I)に気づかせ、さらに、その「自己物語」を他我の視点から物語れることとなる、という構造を「絆プログラム」は内在させているといえます。

中島さんは、受刑者が「自己物語」を語れるためにも、これまで自分自身の言葉を奪われ続けてきた者であればあるほど、安心して語れる対話の場が確保されることが重要で、「私は何者?」という不安を理解し、不安を抱く自分自身の存在を受容してくれる、信頼に足る「フラットな関係」の他者が必要となるといいます。
おもしろいのは、1対1の対話とは質的に異なる、他我(me)と主我(I)と他者(眼前にいない大切な人)の三者が内在するトライアローグが形成され、よりリフレクティング(省察)的な対話になるといっています。
それが、これまで受け入れることができず、隠蔽忘却せざるを得なかった事柄との修復と和解を形成することになり、新たな成長への期待を含めた新しい「希望の自己物語」となるそうです。
さらに、その物語は、他者と社会に還元され、どこかの誰かの「生きづらさ」を解消する希望の連鎖となるといいます。素晴らしいです。

最後にまた、村中李枝さんに戻り、2020年の絆プロジェクトの臨場感のある実施レポートで終わります。あとがきで村中さんは、

絆プログラムは「愛したかったのに・愛されたかったのに」とうずくまる心を「愛したかったら、愛せばいい。愛されたかったら、愛されるように生きていいんだよ」と錆びついたチャンネルを切り替えるきっかけづくりのプログラムだったように思います。
心を開いてみることは、誰にも許されている。もうすべてが終わった、手遅れだと思っているときには、自分のいちばん奥にある声を聴くことに臆病になっているだけ。それでもなお愛して生きる意味は、外に問うのではなく、自分の内側に向けて問わなければ見えてこない。
逆に言えば、その問いの時間は、死の間際まで誰にもたっぷりあるのです。

著者の村中李枝さんに直接紹介されて、9月12日に放映されたNHKハートネットTV「堀の外のわが子を思って―絵本を読みあう女性受刑者たち―」を視聴しました。1年間近くの密着取材でまとめられたドキュメンタリーで、本で紹介されていたプログラムの実際の様子がよくわかるものでした。
印象的だったのは、村中さんが、録音できたCDのラベルを描くのに時間が押して間に合いそうにない受刑者に手助けしてあげ、一緒にラベルの色を塗りながら語りかけるシーンでした。

ギリギリになってもあきらめたらいけん
ほら絶対
いろんなことできたんやけん
人と比べたらダメよ、自分のこと
いい、これからも
あの人がうまいとか
あの人がわたしより幸せだとか思わんのよ

わたしはゆりさんのこと信じとるから
ええね
もう話すことないけど、ええかね
応援しとるけんね

ゆりさんの涙をおさえるためか、はかなく震えるような「ありがとうございます」は、まるで自分が言ったかのような気がしたものでした。

■9月16日
『松下幸之助 理念経営 実践ゲーム』
⇒チーム一丸となってゴールをめざす

今年初めて知った弊社の松下幸之助創設者のエピソードをひとつ開陳します。
戦後、松下幸之助がPHP活動を始めるにあたって、なんと雑誌『改造』(再建後?)を編集部丸ごと買い取ろうとしたことがあったのだそうです。改造社書店の現職の社長さんが、何度も松下幸之助が譲ってくれと言ってきたそうだ、とお話しされてビックリしました(慶応幼稚舎での展示会にて)。松下幸之助が仮に『改造』を手中にしていたとしても、きっといまの『PHP』本誌になっていたことでしょうが、もしかしたら、ぜんぜん違うものになっていたかもしれません。
『改造』は、この連載でもご紹介した織田作之助「可能性の文学」や幸田露伴「運命」(1919年創刊号)、さらにいうと志賀直哉「暗夜行路」が連載され、懸賞文芸評論では宮本顕治「敗北の文学」、最初期の小林秀雄「様々なる意匠」が掲載された雑誌です。文学だけでなく政治・経済(税制問題やら)など社会問題記事も多く、かなり硬派な総合月刊誌でした。いやはや、買収していたらいったいどうなっていたのでしょうか。ちょっと残念でした。

PHP研究所の直近の特筆すべき刊行物は『松下幸之助 理念経営 実践ゲーム』、本体30,000円です。じつはボードゲームなのですが、各プレイヤーが個別にゴールをめざして競争するものではなく、全員がチーム一丸となって協力しあってゴールをめざすものです。進行中にさまざまな選択を迫られ、成功と失敗を体験していくうちに、自然と人やチームが成長するためには何が必要か、組織が成果を出すには何が必要なのかを学ぶことができます。私もゲームに参加してみましたが、ご活用いただけるみなさまには必ずやお役立ていただけるものと確信しています。どうぞよろしくお願い申しあげます。

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