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<第7回>節操のなさに呆れながらも、「濫読」をやめられない日々

≪今月の購入リスト≫
『稲盛と永守』名和高司著(日本経済新聞社)
『読む・打つ・書く』三中信弘著(東京大学出版会)
※ともに、大垣書店イオンモールKYOTO店で購入
『音楽の危機』岡田暁生著(中公新書)
※大垣書店京都ヨドバシ店で、天花寺さやか先生の一日店長イベントの手伝い時に購入
『塞王の楯』今村翔吾著(集英社)
※11月1日、きのしたブックセンターの新装オープン挨拶時に購入(書店オーナーであり著者の今村翔吾先生は、弊誌『歴史街道』で連作短篇を好評連載中!)
『謎解きサリンジャー』竹内康浩&朴舜起著(新潮選書)
※ふたば書房京都駅八条口店で購入
『下村寅太郎著作集12 西田哲学と日本の思想』(みすず書房)
※奈良市内の某古本屋さんにて購入(手元不如意で高額だったため、やむなく掟破りの値切りをお願いしたところ、1割引きで購入させていただきました。レジの奥様に感謝です)

■2021年10月16日
『下村寅太郎著作集12 西田哲学と日本の思想』⇒小林秀雄と西田幾多郎の読書術とは?

改めて読書ということですが、自分の読書の節操のなさに、「懶惰(らんだ)」という言葉に似た「濫読」だなと呆れながら、あれこれ引っぱり出して読んでいると、こんな文章に出合いました。
小林秀雄『読書について』(中央公論新社)によれば、「努めて濫読さえすれば、濫読に何の害もない。読書の最初の技術は、どれこれの別なくむさぼるように読むことで養われる他はない」とのこと。初読者への言葉です。本が多すぎて困る、とこぼす人ほど、たいがい本を途中でやめる癖があり、濫読さえしていないといいます。そこから進んで、作家の全集に当たり、作品のみならず日記や書簡にまで当たり、著者が現前するまで読み込むべきだと説きます。

「読め、ゆっくり読め、成り行きに任せ給え。遂に彼等は、彼等自身の言葉で、彼等自身の姿を、はっきり描き出すに至るだろう」。間に合わせの知識の助けを借りず、直に他人を知ることこそ、ほんとうの自分を知ることになる、という小林秀雄ならではの読書術でした。
小林秀雄の「作家志願者への助言」から、忘れないように読書の心得を記してみます。
⑴つねに第一流作品のみを読め⑵一流作品は例外なく難解なものと知れ⑶一流作品の影響を恐れるな⑷若し或る名作家を択んだら彼の全集を読め⑸小説を小説だと思って読むな
新潮社の普及版・小林秀雄全集は買いました。宮沢賢治のちくま文庫全集は買いました。遠藤周作は講談社文庫の個人全集(未完)で二十数冊。葛西善蔵の創元社文庫の個人全集全5冊は何年かかかって揃えました(すべて未読)。夏目漱石やドストエフスキーは、全集こそ買いませんでしたが、幸い古本文庫で日記、書簡を集め、ほとんど目を通すことができました。
そのほか、個人全集の端本は、ときどきの興味にあかせて、いろいろ読んだようです。森鴎外全集の端本・数巻で読んだ海外文学の翻訳は、すごい世界でした。そういえば、文庫の松下幸之助発言集全10巻も読んでいます(未読ですが、弊社には松下幸之助発言集全45巻もあります。日本の経営者で長大な全集を持つのは、松下幸之助だけですね)。きりがありませんが、とにかく、私には小林秀雄のいう「著者が現前するまで読み込む」読書体験が乏しいと反省しています。

下村寅太郎によると(前掲『西田哲学と日本の思想』)、西田幾多郎の読書は、尊敬する思想家であっても全集など読まず、主著しか持たず、ただひたすら主著だけを読んで、その思想家の「骨(こつ)」をつかむことが究極的目標だったそうです。「大思想家には必ずその人独自の骨がある骨のないような思想家の書は読むに足りない。カントにはカント、ヘーゲルにはヘーゲルのものの見方、考え方があり、彼自身の刀の使い方がある。そして、多少とも自分でもその刀法を使用し得るようにならねばならぬ」。西田幾多郎は単刀直入に根本思想のみを問題にし、晩年までその旺盛な読書欲は衰えなかったと伝えられています。

また、「一つの良書を手に入れたとすると、それを読むとき脚注を丹念に読むことを忘れないことだ。良書の脚注にのっている参考書は良い参考書に相違ない。以下、かくの如くして良書が次から次へと発見されると共に、これによって研究が次第に深まっていくのである」と。「研究」となると、安易に「芋づる式読書」というのも憚られてしまいます。
古今東西の古典の代表作だけでも、数えきれないほどあります。全集だって、次から次へと新しい資料が加わります。ましてや電子書籍の時代です。西田幾多郎や小林秀雄の時代とは明らかに状況が違います。いやはや、「考えるヒント」、趣味の読書とはいえ、なかなか極めるのは難しいものです。

■10月24日
『ビジョナリー・カンパニーZERO』⇒経営本シリーズの見習うべき編集例

連載第5回の≪今月の購入リスト≫に挙げていた、ジム・コリンズ著『ビジョナリー・カンパニーZERO』(日経BP社)を、ようやく読了しました。
歴史ある王道のビジネス書シリーズの一冊として、ジム・コリンズの初期著作が大きくリニューアルされたものです。オリジナルの部分と、あとから書き加えたものとページの紙色を変えるなど、凝ったつくりに感心しました。
また、原題『BE(Beyond Entrepreneurship)2.0』を日本語版タイトルでは『ビジョナリー・カンパニーZERO』にした編集者(翻訳者?)のセンスにも敬服しました。単発に終わらせない、シリーズ発刊への執着は見習いたいと思います。間隔の空いたシリーズの継続は難しいものですが、見事に成功しています。素晴らしいです。

内容はシリーズの集大成にふさわしく、第一章など私小説を読んでいるような気になります(臨場感があるという意味です)。著者の師とも父ともいえるメンターとの出会いと別れですが、よき人生の指標が、どれだけ多くの人生をよい方向に変えたのか、という事例でした。著者は、「自分のしていることを心から楽しみ、愛すること、今後何十年も生きるかもしれないし、明日死ぬかもしれないという矛盾を抱えながら生きることの大切さ」を教訓として得ます。
いわゆる会社を興して成功させ、継続させる「起業家」のための書ですが、誰が読んでも得るところがあると思います。とくに、会社にせよ、ボランティアの組織、地域社会の団体にせよ、人が集まるところでの運営、発展に対しての考え方、行動の仕方に有益な指針が得られます。

本書は先行する『ビジョナリー・カンパニー』シリーズから、適宜、概念を引用しています。既刊の刊行時からは状況も変わっているため、アップデートされた内容は、同時代の書としてお得な一冊といえます。
最初に説くのが「正しい人材なくして偉大な企業はつくれない」、人から始まります。本書はリーダーのためのものですので、リーダーには組織の目的実現のため、ありとあらゆる努力をする覚悟が問われます。「リーダーの立場は特権ではなく責任であり、偶然でなく決断、遺伝でなく意志をもった行動の結果だ。学びつづけることで偉大なリーダーに成長するかどうかは、つまるところ選択の問題だ」といいます。そして、お金のインセンティブで間違った人材を正しい人材に変えることはできないが、意欲のある人材で企業を満たせば成長の好循環が自ずと始まる、といいます。
そして、企業にとって「信頼と敬意と愛に根差した文化、人と人とが頼り合う文化、お互いの約束を守る文化」を醸成することこそが、企業のブレークスルーになりえ、「私たちが最大限の力を出し切ろうとするのは、仲間を成功させるには自分が成功しなければならない、仲間をがっかりさせたくないと思うときだ」といいます。
そこから、リーダーシップ論に移りますが、ここでは「真のリーダーシップとは、従わない自由があるにもかかわらず、人々がついてくること」「部下にやらなければならないことをやりたいと思わせる技術」であり、ともに意欲的に働いてくれるようにするリーダー自身の資質を磨き続けることだといいます。そして著者のいう第5水準のリーダー、謙虚さと不屈の意志をもって個人を超越する大義のために尽くすレベルが求められます(第1水準:個人のスキル、第2水準:チームワークのスキル、第3水準:管理のスキル、第4水準:リーダーシップスキル)。
リーダーは、チームの部下の誰にでも両面はあるが、人びとの明るい部分に働きかける王道を行けと背中を押します。リーダーは、あらゆる人が内に秘めている優れた資質に訴えかけ、それを発揮させなければなりません。リーダーが伝えるべき成功メッセージは「私にはその確信がある。私はあなたたちを信じているからだ」。素晴らしいですね。人間肯定賛歌です。

次に、「ビジョン」の必要性を説きます。著者にとっての最大のテーマのようです。人は価値観、理想、夢、胸躍る挑戦に反応するものです。それが人間の本能であり、組織、仲間、あるいは社会の理想に共感し、価値を見出しているとき、私たちはその実現のために途方もない努力をすることができます。自分が信じる仕事に取り組むとき、意欲は自然に湧いてきます。もっともです。
ここでユニークだと思ったのは、企業の存続のために、ビジョンは創業者を超越しなければならないという点です。ビジョンの構成要素を①コアバリューと理念(原則、新年、哲学)、②パーパス(存在意義、根本理由、長期的目標)、③ミッション(明確なゴールと期日がある目標、共通の敵、ロールモデル、内部変革)として、説明がされます。個人はいつか死ぬが、ビジョンをもった企業は何世紀にもわたって生き続けることができると説きます。

次に採り上げられるのが、運、不運というのも面白いです。著者の幸運の定義、定量化による研究では、大成功した個人や企業は、同じような立場にあった人や企業に比べて、とくべつ多くの幸運や不運に遭遇したわけでもなく、幸運の質やタイミングが特別よかったわけでもないといいます。ただ、「幸運からより多くのリターンを得ていた」つまり、重要なのは、巡ってきた幸運をどう活かすか、ということだったようです。すぐれたリーダーは、予想外の出来事(幸運にせよ不運にせよ)にどう対処するかで決まる、と著者はいいます。
また、起業家へのアドバイスとして、「ビジョナリー・カンパニーをつくった人々はきわめて粘り強く、絶対に諦めないというモットーを貫いた。だがそもそも何を諦めてはいけないのか。答えは会社である。アイデアは潰しても変更しても発展させても構わない。しかし絶対に会社を諦めてはいけない」。

以降、新しい知見や原則を加えた「永続する偉大な企業をつくるには何か必要か」ということについて、ロードマップ、戦略、イノベーション、戦術の遂行について論旨を進めます。とくに、第9章の卓越した戦術遂行の重要性が、たいへん参考になりました。

最後に、偉大な企業の成功の秘訣として、「敬意」を説きます。社員に対して愛情と敬意を払うからこそ、あらゆる人に尊敬される企業が生まれる。「あなたにも志のある企業、業績だけでなく価値観についても模範となるような企業は築ける。困難を克服し、自らの成功を通じて、偉大さは根本的な人間性や敬意と切り離せないものだと証明する企業を築くことができる。人生の最後に“自分がつくった会社に誇りを持ち、自らの生き方に敬意を持てる有意義な人生だった”と思えるような企業を築くことができる」と説きます。
本シリーズが一貫してめざす偉大な企業の根幹は、「人に対する敬意」でした。現段階でのビジネス(経営)ノウハウの集大成としてお勧めできます。

■10月31日
『音楽の危機』⇒幻の小林秀雄著『ベエトオヴェン』を夢見る

続いて、『音楽の危機』に移ります。サブタイトルに「≪第九≫が歌えなくなった!」と記されています。帯には大きく「第20回小林秀雄賞授賞!」というコピーとともに、「パンデミックの時代に、音楽の未来を追求した力作」とあります。コロナを経験したことによって、交響曲第九の"歓喜の歌"が歌えなくなるとは、どういうことでしょうか。
本書は、昨年の緊急事態宣言下に執筆されています。ライブやコンサートが次々と中止になり、いったい今後どうなるのか皆目見当がつかないなかでの論理展開。チャレンジングです。現代音楽に精通している著者ならではの歴史と知見が披瀝されますが、ちょっと現代音楽が歯が立ちませんので後回しにします。

私はベートーベンの交響曲といえば、クライバー指揮の第4と第7の疾走するライブ盤を偏愛していますが、第九については若き小澤征爾が英ニューフィルハーモニア管弦楽団と演奏した録音が妙に心に残っています(本書で紹介されている、1942年のバイロイト音楽祭でのフルトヴェングラーライブも決定版だとは思いますが)。
それにしても、小林秀雄が「疾走する悲しさ」と評したことで有名な「モオツァルト」論に続き、本人にも執筆の意欲があったとされる「ベエトオヴェン」論を書いていたら、いったいどんな内容、レトリック、ポエムになるのだろうと、あれこれ考えてしまいます。
備忘録で「モオツァルト」の最初の部分だけ写しておきます。「僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである」「僕がその時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのだろう」。40代の小林秀雄が自身の20代を回顧した文章ですが、学生のころに読んで、いたく惹かれました。

■11月7日
『物語「京都学派」知識人たちの友情と葛藤』⇒どうしても京都学派が気になるのです

私はいま京都に住んでいます。中京区の二条城のすぐ近く。御金神社という身もふたもない現生ご利益のお宮さん(最近になって、また増えた観光客で列を成しています)の隣あたりの西洞院筋。京都市内に住むのは2回目になりますが、京都に居ると、いわゆる「京都学派」が気になります。ちょっと前ですが「京都学派」関連書が多数、発刊されました(大橋良介著『海軍と京都学派』[PHP新書]や燈影社「京都哲学撰書・全30巻」など)。京都学派復権とも云われますが、とっても気になります。なかでも、竹田篤司著『物語「京都学派」知識人たちの友情と葛藤』(中公文庫)は示唆に富んでいました。青山光二著『われらが風狂の師』もすごい本ですが。

京都大学に連なる偉大な学者はあまたいますが、実際のところ、京都生まれの京都育ちという哲学者は下京区出身の下村寅太郎だけだそうです。ブルクハルト(スイスの歴史家/1818~1897年)で著名な歴史学者です(『東郷平八郎』講談社学術文庫は名著だと思います)。あとの皆は、いわゆる生まれは余所者「京都に来た他国人」となります。田辺元などは生粋の江戸っ子ですね。そうして、京都人の下村寅太郎は、東京出身の田辺元はもとより、小林秀雄を認めなかったというのが驚きでした(小林秀雄とは『近代の超克』対談で、見事に意見が対立しています。そこでの下村寅太郎は、まったくの合理論者です)

西田幾多郎、田辺元、久松真一、務台理作、三木清、谷川徹三、林達夫、高坂正顕、木村素衛、戸坂潤、西谷啓治、中井正一、下村寅太郎、久保虎賀寿、田中美知太郎、唐木順三、高山岩男、久山康、大島康正、梅原猛などなど、めくるめくキラ星ぞろいです。これまでの読書で散見し、仰ぎ見た著者陣です。
これらの京都学派のシリーズ叢書発刊を最初に企画したのが、西の弘文堂だと知りました(残念ながら頓挫)。その前に、東の岩波書店が哲学叢書をシリーズ発刊していましたが、それは西欧哲学紹介の抄訳翻案ものでした(夏目漱石『心』の発刊は、その後)。日本オリジナルの人文社会書の黎明期です。現代とは違って流れる時間はゆったりとしていたのでしょうが、スリリングに感じます。
「京都学派」それぞれの紹介したい著作はいくつかあるのですが、いずれまた。

それはさておき、野上彌生子という作家がいます。迷走する戦前戦中の知識人を描いた『迷路』(岩波文庫)が名作の誉れが高いですが、同じ岩波文庫に『アルプスの山の娘(ハイヂ)』という愛すべき名訳がありました。絶版文庫です。初出は1920年という100年前の翻訳ですが、最近、寝る前に読んで癒されました。味わいのある言い回しが多用される、旧かな旧漢字の翻訳です。5歳から8歳にかけて成長するハイジと70過ぎの「アルムをぢさん」、ペーターやおばあさん、クララ、家庭教師のロッテンマイアさんとが綾なす愛すべき物語です。

ちなみに、野上彌生子は大分臼杵の酒造業を営む商家(現・フンドーキン醬油)の娘として1985年に生を受け(旧姓:小手川)、学を修めようと東京に上京(内村鑑三や島崎藤村も教鞭をとった当時、最先端の明治女学校卒業)、その後、夏目漱石に私淑した野上豊太郎と結婚、漱石の推薦で文壇デビュー、旦那の友人の中勘助(『銀の匙』ポプラポケット文庫)に愛を打ち明け、新しい女性の先駆者であった平塚明子、伊藤野枝や宮本百合子(宮本顕治の妻)と交流しながらも(『青踏』に最多寄稿)、当局の弾圧を受けるほどの活動はせず、戦前に夫と世界一周することで冷静な世界情勢の認識を得て、晩年には北軽井沢の田辺元と340通もの書簡を取り交わし、1985年に99歳で天寿を全うした作家です(狩野美智子『野上弥生子とその時代』[ゆまに書房]参照、これはハイジの翻訳や児童書には言及していません)。

最後の田辺元との関わりの件(くだり)、ともに70歳を越えた哲学者と作家が、たとえ一時にせよ愛し合ったというので、びっくりしました。平安時代のような愛の相聞歌まで取り交わしています(とはいえ、これは道ならぬ恋ではありませんでした)。田辺元は、女遊びが過ぎた三木清を京都大学から放逐した、謹厳実直の人だと思っていました。戦後、『懺悔道としての哲学』(田辺元哲学選Ⅱ/岩波文庫)から晩年「死の哲学」への連なりに関心はありますので、また読んでみようと思います。

野上彌生子の『迷路』『利休と秀吉』『森』は大部で読むのは厄介ですが、短編や児童ものは心を打つ作品が多いです(『野上弥栄子短編集』岩波文庫)。最後まで、いわゆるブルジョアジーでしたが、3人の息子さんを戦争で死なせることから全力で回避し、立派に京大教授、東大教授に育て上げています。

脱線ついでに、カルピス日曜劇場1974年の「アルプスの少女ハイジ」は、現地取材も行なった高畑勲チームの、まごうことなき日本アニメの傑作だと思います(原作のキリスト教色は注意深く回避されていますが)。このアニメは海外でも紹介され、とくにドイツやイタリアでは市民権を得ているにも関わらず、日本製だと知らない人もいるそうです。野上彌生子訳を読んでいて、どうしても主題歌のヨーデルがエンドレスで頭に浮かんで困ってしまいます(歌っているのは日本人ではなく、外人さんとのこと)。

最後に『ビジョナリー・カンパニーzero』でいわれていることは、松下幸之助が実践してきたことと通底すると感じます。経営の神髄は洋の東西、時代の後先を問わないと、改めて考えさせられました。つくづく松下幸之助の普遍性に思い至ります。
ジム・コリンズを読まれている方は、以前お勧めした松下幸之助の『実践経営哲学』に加え、『経営心得帖』『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』も、ぜひ併せてお読みください。