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旅をする醍醐味はスーパーにある。

私がまったく知らない土地を訪れるのが好きな理由に、知らない土地の知らない人々の生活を垣間見ることができるから、ということがある。


観光地では、あまり目にすることが出来ないその土地の人々の日常。

それらが、見えてくるのはチェーン店だったりスーパーだったりすると思う。あとは、銭湯とか。



菓子パンとカップラーメン

例えば、1月に訪れた神津島。
頑張れば歩いてまわれるほどの島。
その街には、人々の生活を支えているのだろうスーパー(商店)がひとつだけあった。

そこで私が目にしたのは
カップラーメンを大量に買い込む人の姿。

どこか遠くに行くのかな、どんな生活をしてるのかな、ここから離れたところに住んでいるのかな、と思いながら眺めていた。

そんなことをして、小さなお店をぐるっと。

その商店で売っているものは当たり前だけれど私の近くのスーパーとは違っていたり、同じだったりする。

これ見たことない!これ私が好きなやつ!そんなことをこっそり思いながら興奮する時間が楽しい。

そして、あえて私の家の近くのスーパーにも売っている私が知っている価格よりも高めの菓子パンを買った。海岸で海風に吹きつけられながら食べた。何だろう、知ってるけど知らない。そんなふわふわとした感覚を味わった。


一世一代の大雪

他にも。
12月、飛騨小坂にあるひめしゃがの湯を訪れたとき。
会話から推測するにちょっと顔見知り同士の、60代くらいの女性達がいた。

「今日の雪、凄いわね〜」

「私がここに来てから(嫁いでから)初めてこんなに降ったわよ〜」

「車奥に停めちゃったからしばらく出せないんだよ」

「そしたら、泊まりに来る人のお迎えどうするの!?」


そんな話をしていた。


私は、こういう会話を聴きに旅に出てるのだろうな、とこのとき直感的に思った。


知らない人々の日常会話を耳にすると、その人たちの日常の一部に私も溶け込めた気がする。
この感覚が、心の居場所を増やしてくれているのかもしれない。

「私はどこに行っても誰かの日常の一部になれるのだ」

そう思うと、もう少し踏ん張ろうという気持ちになる。


青い海と青い学生

もう少しだけ。
在来線に乗って旅したときのお話。

ちょうど、電車に乗っていたのが平日の夕方だった。

ある海沿いの駅で大量の高校生と小学生が乗ってきた。

わちゃわちゃとしている彼女彼ら。
私の地元も海があることを除けば似たような場所だけれど、やっぱり醸し出す雰囲気は少し違くて、少し違う輝きを放っていた。海沿いだから、ここだから、きっと住む家も住む時に気をつけなければならないことも違うのだろうな。

そんな分かるような分からないような微かな違いを、ひっそりと楽しむ。

そんな時間があるから、今、頑張れているのかもしれない。



私にとっての「旅」


私は、人々の日常が垣間見える場所にこそ、旅する楽しさがあると思っている。


もちろん、その土地だけのご飯も景色も好きだけれどね。

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