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「ダサい」 から 「ユニーク」 へ

先に言っておくと

ありのままの自分 OK みたいな全体飽和感のある意味合いで多様性という言葉を僕は用いらない。

なぜなら、多様性を破壊する多様は多様でもなんでもない。それただの内部崩壊なので。

小さき者達を見ていても思うのだけれど、カッコいいとか可愛いといった“表装”を帯びているものを小馬鹿にする風潮がある。= ダサい 。 とか

小さい環境から、既にそうやって見い出た部分を負の意味合いでレッテル付するこの文化に違和感を感じた。

それと同時に、もっと共感性を下げて生きていいとも思う訳だ。他者評価の中で生きるフレームがどれほど自分を傷つけていることか。周りの価値軸はどうでもいい。自分が何を選んでいるか。

突拍子もなくただ吐き捨てるようにダサいしか言わない、または一回のダサい許されない世界観を抜けた先にユニークな芽が宿る。

なので僕は、ダサいという言葉に敏感だ。

貴方はどうなんだって。


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