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フリーランスフォトグラファーの徒然なる癌闘病記

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十七 記念すべき日(抗がん剤3クール10日目)

だいぶ日にちが空いてしまったが、回想録として残そうと思う。 「抗がん剤をした方がいいと思います」 広汎子宮全摘手術を二日後に控えたあの日、医師の言葉に深い悲しみと人生で味わったこともない焦りと悔しさが混ざった深い感情に揺り動かされた。 髪の毛が抜けてしまうんだ… どの言葉でも表現しきれない複雑な思いは、病気で不本意に髪の毛が抜けたことのある人にしかわかるまい。 ここであえて書かせてもらおう。 髪の毛が抜けてしまうのが悲しい…と嘆いてる友人や家族に絶対に 髪の毛はまた

    • 十六 蓄積という名の副作用(2クール 10日目)

      2021年7月7日 七夕 驚異のスピードで梅雨入りした大阪はこの日もぐずぐずの雨模様。降水確率100%、織姫と彦星の再会確率0%! 前日の定期検査で白血球が爆上がり(元通りに)していたおかげで、無事2クール目をスタートさせることができる!と安堵する私。 ちなみに現在は入院前に必ずPCR検査をさせられるのだ。鼻に綿棒を入れて。 それが不快というか、屈辱というか、とにかく痛くて辛い。顔に皺を集中させて顔面梅干しのようになるくらい痛い。これも地味に癌治療(だけではないが)の副

      • 十五 生まれ変わるわたし(脱毛開始1クール13日目)

        2021年6月22日 抗がん剤投与からピッタリ2週間の22日。 この日は血液検査という名目で通院した。 抗がん剤は投与してから自覚できる副作用として吐き気やムカつき、めまいなどなどがあるのだが、自覚できない副作用として骨髄抑制というものがある。 がん治療の副作用やがんそのものによって骨髄の働きが低下している状態をいいます。薬物療法で使われる一部の薬や放射線治療により、骨髄が影響を受けると、血液細胞をつくる機能が低下します。血液細胞のうち、白血球が減少すると感染症、赤血球

        • 十四 骨髄抑制と脱毛への覚悟(抗がん剤1クール8日目)

          2021年6月16日 子宮頚がん 神経内分泌がん 1b2期(だと思う) 広汎子宮全摘術済 EP療法(エトポシド+シスプラチン)中の wacamera Keikoです。 抗がん剤を投与して8日目が経過した今日。 いよいよ第二の副作用、骨髄抑制がやってきた。 骨髄抑制とは 骨髄は骨の中心にある組織で、白血球・赤血球・血小板などの血液の成分をつくっています。 骨髄にある細胞が、がん治療でダメージを受けると、これらの血液成分をつくり出す働きが正常に機能しなくなります。 この

        十七 記念すべき日(抗がん剤3クール10日目)

        • 十六 蓄積という名の副作用(2クール 10日目)

        • 十五 生まれ変わるわたし(脱毛開始1クール13日目)

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          十三 闇の中の抗がん剤投与(1クール目)

          もう、殺してくれ。 何度もそう思った。 息をするのもつらい、寝ていても、起きていても、体に意識があること自体が苦しくてどうしようもない。 抗がん剤を投与してから4日目まで、見えない出口を探しながら、寝ても覚めても行きた心地のしない時間をただただ、やり過ごさなければならなかった。 ある人はそれを二日酔いの10倍ほどの苦しみと言い、ある人はつわりの酷いパターンと言い、私は…人生で一度もこんなにしんどい思いをしたことがない。 つわりも大してなかったし、インフルエンザにもかか

          十三 闇の中の抗がん剤投与(1クール目)

          十二 退院後診察(最大の苦しみ)

          ベランダの窓を開けると、キョッ キョキョキョキョキョキョ と鳴く鳥がいる。 一時期、どこかの家の電話がずっと鳴りっぱなしでいつも居ないんだなぁ、などと思っていたそれはどうやらホトトギスの鳴き声らしい。 鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス。 あんなにしつこく鳴くホトトギスが鳴かないことなどあるのだろうか。            ◆◆◆ 2021年6月8日 あの摩訶不思議な麻酔にはじまった手術から丁度4週間が経過した。 術後、様々な痛みや不快な経験をしたが「日にち薬」

          十二 退院後診察(最大の苦しみ)

          十一 癌と診断されるまでの話

          ひとことで癌と言っても様々な種類があり、想像もできないような部位に巣食う癌もあることは知っていた。 10年前、父が70歳の時に咽頭癌と診断され、記憶に新しいところでは歌手のつんく♂氏が同じ癌であった。 発覚時、すでにステージ3だった父は声帯を残したい一心で放射線と抗がん剤に耐え長い入院生活を経て無事寛解。以降の検査でも転移は今のところ認められていない。 そんな父の体験を目の当たりにしていたことと、父の親族の多くは癌で亡くなっていた為、癌の家系であることは昔から理解していた

          十一 癌と診断されるまでの話

          十 外の世界へ (退院)

          私はあの日、絶望した。 入院中の楽しみといえばご飯だ。 しかし病院の味気ない寂しい食事、そこに心躍るささやかな彩りは朝食のフルーツだった。 この日、朝から南国の穏やかなリゾートホテルに漂うようなオレンジの匂いに包まれた病室で私は浮き足立っていた。柑橘系がとても好きで、子供の頃から冬になると爪先をオレンジ色に染めていた私はお皿に乗った3切のオレンジを早く食べたくて、朝食をどう攻略するか考えていた。 おひたしを先に食べ、食パンを放り込むか 食パンを平らげたあと口直しでおひた

          十 外の世界へ (退院)

          九 苦しくて明るい世界(術後1-2日目)

          48時間の絶食 24時間の絶飲 16cmの開腹 9時間の全麻酔 そのほか細かいことを挙げればまだあるが、ざっと上に挙げたそれだけを2日間に経験した人間の体は、いったいどのくらいで回復するか、考えたことはあるだろうか? 私はない。           ◆◆◆ 2021年5月13日 前日の手術で病室に帰ってきたのは19時ごろ。 そこから断続的に睡魔に揺られて眠るが30分ごと、もしくは1時間ごとに目が覚める。 首から上は比較的すっきりしているのに首から下はまるで自分の支

          九 苦しくて明るい世界(術後1-2日目)

          八 Re: xxx ー 手術回想録 ー

          2021年5月12日 もう少しゴロがいい日なら良いのにと思いながらも、この日は生まれ変わった私の記念日だ。恐らく数年後には細かい日付は忘れているだろう。それでいい。 前の日は夜22時から絶食ということで、その1時間前にコンビニでおやつを買って1人でパーチー。 しばらく食べたいものが食べられない生活なんだからと、ここぞとばかりに自分を甘やかす。 結局全ては食べきれず、今現在もクランキーとゆで卵は冷蔵庫に残ったままだ。昔から「思いつきで行動し計画性がない」と成績表に書かれて

          八 Re: xxx ー 手術回想録 ー

          七 入院

          コロナの影響により入院の付き添い人は、一回のエレベーターでさよならになる。 なので荷物をカートに乗せてもらい入院センターで手続きを待つ間、そこまできてくれた夫には帰ってもらった。待つことが大嫌いな夫だ。 結果1時間、受付で待たされた。 よかった、先に帰ってもらってと安堵する。 その待ち時間で私はいろんなことを考えた。 人生が走馬灯のように駆け巡ったのではなく、コロナ禍における生活のあり方、人生の捉え方、などだ。 入院するときも、その後の戦いの時も誰とも面会できず、寂しく

          七 入院

          六 宝くじの日

          2021年5月10日 朝 私は大勢の人に向けて癌であることを公開した。 たくさんの方から温かいメッセージが届いた。 10年も会ってなかった友人や、この1年で出会ったたくさんの生徒さんや、同志たち、先輩、仕事関連の方々からのコメントを読むたび、我慢していた涙が込み上げる。 娘や母の前では泣かない、泣いてはダメだと何度も言い聞かせてきた。 ひとり街に出て、信号待ちの交差点。 青に変わればたくさんの足が動き出す。 流れて去って交わる。 前に進みたいのに私は動けないでいる。 私

          六 宝くじの日

          五 戸惑いと決意

          こんにちは。みなさん。 突然このブログに飛んできっと戸惑った方も多いかもしれません。 数日前、私は多くの人に向け、この記事を書くことを決めました。 それまではごく一部の人だけに報告し留めておこうと思っていたのですが、私の仕事上、公開しなくては何かと不都合が出てきてしまうと感じ、またもしどこかでこの記事にたどり着いた同じ境遇の人の助けになればと思い、また私自身もそういう方に出会い勇気を少し分けてもらえたら、と思っています。 2021年3月、癌宣告を受けました フリーランス

          五 戸惑いと決意

          四 偉大なる母

          仕事で東京にいた。 こんな状況の中、東京に行くことに賛否両論あることは承知しているが、病に悲観して家に篭ることはできないし仕事をいただけるなら全力で尽力していた方が気が楽である。 金土日、フルで仕事をした。 そして今、母と大阪に向かっている。 先日、78歳になった白髪頭の母だ。 私が入院、手術をする間、孫である娘の面倒を見てくれる。 母は33歳で結婚した。 18歳で勤め始めた財閥系企業に15年いたが、写真家になるために退職。それと同時にお見合いを勧められ、同僚だった父と

          四 偉大なる母

          参 タクシーのおじちゃん

          東京に仕事できて、癌のことを知る友人宅で過ごした後、夜遅くタクシーに乗った。 実家までの3km、タクシーに乗り込んだ直後、運転手は私にこう聞いた。 「今日はなんの帰りですか?」 金髪頭の中年女性が23時過ぎにタクシーに乗りこみ、この何をしてる人なのかと単純に気になったのだろう。 なんと伝えたら良いか、少しだけ迷ってから 「私ね、実は癌なんです」 と話した。友達に励ましてもらった帰りなんですよ、と。 見ず知らず、もう2度と会うこともないだろう。私の父に程近い年齢の運転

          参 タクシーのおじちゃん

          弍 見えているもの

          2021年4月13日 私はふたたび要塞のような大きな病院の中にいた。 絶望に近い感情を生まれて初めて知ったあの日から2週間余り。 中学生、高校生と私はひどいいじめに遭っていた。登校すると上履きがないのは日常茶飯事で、ひどい時には机が折られていたり、美術で作った作品がクリスタルで包まれたかのようにボンド漬けになっていたりした。 今思えばボンドを何本使ったのだろう… そんな時でも学校は休まなかったし、絶望に打ちひしがれたことはなかった。こんな事は一時的でいつかは飽きる。堪え

          弍 見えているもの