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十三 闇の中の抗がん剤投与(1クール目)



もう、殺してくれ。


何度もそう思った。
息をするのもつらい、寝ていても、起きていても、体に意識があること自体が苦しくてどうしようもない。

抗がん剤を投与してから4日目まで、見えない出口を探しながら、寝ても覚めても行きた心地のしない時間をただただ、やり過ごさなければならなかった。

ある人はそれを二日酔いの10倍ほどの苦しみと言い、ある人はつわりの酷いパターンと言い、私は…人生で一度もこんなにしんどい思いをしたことがない。

つわりも大してなかったし、インフルエンザにもかかったことがない、お酒もほぼ飲まないので二日酔いがわからない。
ただひとこと言えるのは「生きている意味すら感じられないくらいしんどい」ということである。

今までは大好きだったバター炒めの匂いで吐きそうになり、それまで着用していたマスクのウレタンの匂いも吐きそう、トイレの芳香剤も吐きそう、コーヒーの匂いも吐きそう、ありとあらゆる強めの匂いがダメになった。
胃は常につかえていて食欲がない。ムカムカする感覚が24時間続く。座っていても眩暈を感じ、手足は痺れている。呼吸は軽く喉を締められているかのように苦しい。


寝たって治らないその見えない重たくのしかかる副作用の波がどんどんメンタルを削いでいった。暇な時に見ようとダウンロードした海外ドラマなど、スマホを見ることすらできず1本も見なかった。


         ◆◆◆


意識も体もまだ朦朧とする2021年6月12日。
EP療法(エトポシド&シスプラチン投与)が予定より1日繰り上げ投与になったために、予定より1日早く退院した。投与開始から4日目のことだ。

シスプラチンを9日に、エトポシドを9〜11日に打ち終わり、1日猶予を見ての退院だったが家に帰った後も地獄は続いた。
先人たちの闘病記によれば5〜6日目から落ち着いて7日目にやっと薬が抜けすっきりするとのこと、ただそれをひたすらそれを待つ、それだけが辛い。


抗がん剤が、癌に働きかけ増殖するのを、芽を摘む、つまり防ぐのはよくわかる。
しかし癌以外の美しく健康な細胞にここまでダメージを与えて、つい先日までお腹の傷が治れば早く仕事に戻りたい!と思っていたしなやかに空に伸びた希望という名の枝をボッキボキにへし折りながら、沼に半身浸かったような状態で上からヘドロを流され息つく間も無く窒息するような感覚に陥れられるほど、きつい劇薬を体内に入れなければならないのだろうか?



答えは自分の中にしかない


そう。
決めるのは自分。
信じるのも自分。


抗がん剤という劇薬のことを考えれば、しないに越したことはないけれど、私の持つ癌は一言で言えば


癌界のフリーザ。


(※医学根拠はなく、ただの私の中のイメージね)

転移、進行の速度が早く、予後不良で無駄に有名。
あまり書きたくないが、この癌の5年後の生存率も決して楽観視できる数字ではない。

そう考えると、藁をもすがる思いとまでは言わないが、やはり生きることを選ぶなら信じてやるしかない。
癌も、この苦しさを同じように味わい死滅していっているのだ。この瞬間に。と思わなければやっていられない。


そこで私は気がついた。
14年前、娘に離乳食を1歳まで与えなかった。ネグレクトなのではなく、アレルギー体質になる可能性を少しでも減らすために母乳免疫を信じてしたことだが、助産師、保健士からは非難された。
しかし私は信念を貫いて1歳の誕生日の断乳とともに離乳食を開始。そのおかげかどうかはわからないが、娘はいまだに大きな病気もなく、アレルギーはない。

あの時も、私は自分の育児に自信を持ち、周りに流されない意思を軸に進んでいった。
それならば、あの時よりさらに大きな波として私に迫るこの癌にも、確固たる信念を持って挑まなければならないのではないか。


           ◆◆


抗がん剤1クール目退院後、3日が経過した今日。

2021年6月15日

95%人間らしい生活に戻れたと言っていいレベルで、ようやく薬が抜けた。

末端の痺れはやや残るものの、そんなことは副作用に含まれないといえるほどに、他のダメージがひどかったため、今日の気分は晴れやかだ。

気がつけば1週間ほとんど外に出ていない。
歩くことすらもしていない。
体重は抗がん剤投与後2日目から4kg落ちた。

窓の外はもう夏の気配しかしないのに、少し前の私はその紫外線すら耐えられない気分であった。


今日は少し外に出よう。


そんなふうに思えることも久しぶりだ。
おそらくあと数日で来てしまう脱毛の前に、地毛を見せびらかしてこようと思う。

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