十二 退院後診察(最大の苦しみ)
ベランダの窓を開けると、キョッ キョキョキョキョキョキョ と鳴く鳥がいる。
一時期、どこかの家の電話がずっと鳴りっぱなしでいつも居ないんだなぁ、などと思っていたそれはどうやらホトトギスの鳴き声らしい。
鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス。
あんなにしつこく鳴くホトトギスが鳴かないことなどあるのだろうか。
◆◆◆
2021年6月8日
あの摩訶不思議な麻酔にはじまった手術から丁度4週間が経過した。
術後、様々な痛みや不快な経験をしたが「日にち薬」とはよく言ったもので、日に日に歩くことが困難でなくなり、ベッドから起き上がることも腹筋の力を使えるようになり、なによりくしゃみと咳、鼻をかむことができるようになった。
術中、喉の奥まで呼吸器を入れていたせいで喉の奥の違和感や咳き込みが多々あった。その度に腹筋が機能しないため咳がきちんとできず、悲鳴のような嗚咽のようなそんな音を出して咳を回避しなければならなかった。
4人部屋だった私の周りの患者さんは昼夜問わずその変な音を聞かされていて、さぞ辛かったことだろう。
退院後2週間前後でくしゃみがちゃんとできた時は腹筋の回復に感動したものだ。
術後、4週間経った今日は腹帯を必要としなくとも歩け、階段を降りるのもそんなにしんどさは感じられなかった。
朝から予約が入っていた関西医大病院に夫と出向いたのは、摘出した卵巣、子宮、リンパ節などの詳細な検査が終わり今後の治療法を聞くため。
思い出すのは手術のための入院前日。
執刀医が深刻な顔で私に伝えたあの言葉。
「わかめらさんが、この癌についてどれだけきちんと把握されてるかが心配です」
悪いところをポイと切り取れば治ってしまうと思っていた能天気な私に、上からタライが落ちてきた日だった。ガーン。癌だけに。などと下らないギャグを使えるタイミングはいつかなども合わせて考えた。
そのことが忘れられず、見た目はヘラヘラとしていたが手がかすかに震えるほど緊張して病院へと入る。
医師からの話はこうだ。
"切り取った癌は4cmを超えていた。
リンパ節への転移はなし。
神経内分泌腫瘍というタチが悪い稀少癌である。
それにより、抗がん剤はしておいた方が良いのではないかと思う。"
婦人科外来のこの医師は執刀医や病棟の医師とはまた別で、私が受けた印象はとても冷淡な人だということ。
この医師は一番最初にここで診察を受けた医師でもあり、あまり好きになれなかった。
抗がん剤をすれば100%脱毛することも理解していたが、改めて確認した。
髪の毛は抜けるんですよね?
その医師はさっぱりとした口調でそれがどうした?と言わんばかりのテンションで「まぁ、脱毛はあると思います」と答えた。
わかっている。
抗がん剤治療が終われば髪の毛は生えてくる。
一生、髪の毛がないわけではない。
今はウィッグもたくさんあるしおしゃれなものもある。値段も様々だ。
そんなことはわかっている。
わかっている。
誰に何を言われても、誰よりもそれを理解してここにいるのだ。
この気持ちは共に医師の話を聞きにきた夫ですら解りはしないだろう。
お腹のど真ん中にできた大きな傷も
死ぬまでサウナに入れないことも
術後の痛みや排尿障害も更年期障害も
思うように動かない体を抱えてリハビリに耐えたことも
何もかも
髪の毛を失うことに比べたら、痛くも痒くもない。
ただ髪を失いたくない、いっときですらも。
1ヶ月前、未知の手術に挑むことをこれに耐えれば私の戦いは終わるんだ、ハゲないだけマシだと言い聞かせて前を向いてきたのに。
最後はここを通らずには終わらない癌を、結局は憎むしかなかった。
更に、リンパ節へのアタックが認められないということは、癌はリンパに乗って体のどこかに行ったことは考えにくいとの見解であった。
ということはだ。
本来なら予防治療という名の抗がん剤はしなくても良い、これで寛解ということになるはずなのに
神経内分泌腫瘍
という、子宮頸がんでは珍しいタイプの癌であるが故に、やっておいた方が良い、しかしエビデンスがないので手探りの抗がん剤投与になる、というものである。
もし、医師から
「いや、癌はほぼほぼ体のどこかに散っていて5年後の再発の可能性は高い。ですから抗がん剤をやっておきましょう!」
と強く言われたら私は悩まなかった。
勢いに押されてそれなら仕方ないと思えただろう。
しかし、子宮頚がん+神経内分泌腫瘍という珍しい組み合わせであるが故に臨床試験もほぼなくエビデンスがない、と言わざるを得ない医師の弱気にも聞こえる口調が私をひどく悩ませた。
もし転移の可能性が0%だとして、ただ元気で潤いあふれる細胞を無駄に攻撃するだけの抗がん剤治療だとしたら?
その手探り治療の代償が脱毛なのだとしたら?
髪の毛だけではない。まつ毛も眉毛も、私の体のありとあらゆる毛が抜けるのだ。
男性だって辛いだろう。耐え難い苦痛だ。そんな姿で人前にも出たくなくなる。
どうしたらいい?
医師の前で黙る。
頭の中を駆け巡るはずの選択肢が見えなくなっていた。
その沈黙すらも苦しく、もし、抗がん剤を始めるならいつからですか?と必死になって質問した。
明日から入院、明後日投与できますよ。
どう頑張っても好きになれないその医師は無表情のまま答えた。
私は既に入っている仕事の都合をみるためスマホのカレンダーを開き計算する。
抗がん剤は3週間ごとに決まった曜日で投与する。私の場合は木金土の3日間連続投与しなければならないエトポシドと1日目だけでいいシスプラチン。
水曜日入院、日曜日退院、4泊5日のスケジュールだ。
期間は4クールか6クール。
つまり最速で明日からスタートすれば8月には終わり、長くとも9月まで。
それならば秋に控えている比較的大きな仕事に間に合うと思った。
そこで、それまで黙っていた夫を振り返り「どう思う?」と確認したのは、私の意思だけでなく家族として夫が私にどうして欲しいのか意見があるなら聞いておきたいと思ったからだ。
いつもは寡黙で余計なことは言わない、物静かな夫。答えをあまり期待していなかったが彼は迷わず「やっておいた方がいいと思う」とただでさえ大きな瞳を見開いて、私をまっすぐ見つめて言った。
明日から入院します
私は覚悟を決めた。
多くを語らない夫のその言葉には「家族のため、特に娘のためにも再発の可能性を減らし少しでも長く生きて欲しい」と願いが込められているのを感じたのだ。
もし、10万円出せばハゲない抗がん剤を投与できますと言われたら誰の意見も聞かずに飛びつくほどではあったが、ここまできたらしのごの言わずやるしかないと、自分に言い聞かせた。
言い聞かせながらも心の中では泣きたくて泣きたくて
手術したらそれで根治を目指せますって言ったのはどこのだれなんだよーー!
と叫びたかったのを、ぐーにした拳を更に握りしめることでなんとか堪えた。
診察室を出て、採血を2度させられ、PCR検査をし、入院の手続きを終えて病院を後にしたのは、来院して4時間半が経過した、午後14時半だった。
◆◆
SNSで弱音は吐くまい。
楽しいことだけを抱えて生きていたい、辛い気持ちを押し付ける形になるつぶやきなどはするまい、そう思っていた。
しかしこれは現実として、癌患者のリアルとして少ない選択肢の中で葛藤しながら生きるしかない闘病記録として残すために、綺麗な言葉だけでなく私の素の感情を残すものとして存在しているブログだ。
少し言葉のテイストが変わりつつあるかもしれないが、どうか許して欲しい。
ひとまず、つい先日退院した病院に20日余りで戻る準備を始めようと思う。
さぁ、カメラは何台持っていこうか。
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