古代ギリシア哲学【10分de哲学】
はじめに
今回は、古代ギリシア哲学を紹介します。
哲学にあまり興味がない方でも、ソクラテス・プラトン・アリストテレスの知名度は他の哲学者に比べて群を抜いて高い印象で、プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』(岩波文庫)は、岩波文庫の累計販売部数で歴代一位のベストセラーになっているほどです。
逆に言えば、名前は知っているけどどんな哲学者なのかイマイチわからないという方も多いと思います。
今回は、彼ら三人の哲学者とヘレニズム哲学を中心に、古代ギリシア哲学を概観したいと思います。
↓ソクラテスより前の哲学はこちら
ソクラテス
ソクラテス以前の哲学
哲学は、タレスという人物が創始者だと言われています。
タレス以降、そしてソクラテス以前の哲学者たちは、古代ギリシアでは常識だった神話的世界説明が専らだった時代から、哲学的世界説明へと推し進めました(もちろん、それでもなお彼らも含めて、神話的・宗教的世界観はまだ色濃く残ってはいました)。
しかし、ソクラテス以前の哲学者は、専ら「世界」に対して興味を抱いていたので、「人間」に対する哲学は当時はまだありませんでした。
そこで、「人間の哲学」が必要だと考えたのが、このソクラテスです。
人間の哲学
こうして、ソクラテスは、「人間の哲学」の創始者と言われることもあります。
では、そのソクラテスの哲学とはどういったものなのでしょうか。
実は、ソクラテスは本を書いておらず、弟子のプラトンが対話篇(物語のように「登場人物」が出てきて、彼らの「対話」を通して哲学が展開される著作のこと)として書き残し、登場人物として描写される「ソクラテス」からしか、ソクラテスの哲学を知ることはできません。
なので、ソクラテスの哲学を理解しようとすることは、プラトンの哲学を理解しようとし始めていることに留意してください。
ソクラテスは、「徳」などの倫理的な価値をめぐって、当時弁論人、家庭教師などをし、知識人とされていた「ソフィスト(「知恵あるもの」の意)」と対話をすることを通して、「Xとは何か」という問いを探究していきました。
不知の自覚
ソクラテスは、頭がよく、知識人としてもてはやされているソフィストたちとの対話を通して、ソフィストたちが実は何もわかっていないことに気が付きます。
ソクラテスが生きていた時代では、「弁論術」というものが流行っており、スピーチや討論などの方法論を磨く文化がありました。
それを教えているのがまさに「ソフィスト」たちで、ソフィストは口がうまく、学問も習得しているはずが、実は根本的な哲学的問いには全く理解を示していないことにソクラテスは気がついたのです。
次々とソフィストたちの無知を暴いていったソクラテスは、デルフォイのアポロン神殿で、「ソクラテスより知恵のあるものはいない」という神託を聞いて驚きます(これを「デルフォイの神託」と呼びます)。
ソクラテスは、確かにソフィストたちは無知かもしれないが、自分自身が最も知恵のあるものだとは思っていませんでした。
なぜなら、ソクラテス自身が、自分は何が知らないのかを自覚していたからです。
しかし、これこそが「ソクラテスより知恵のあるものはいない」の真意でした。
他のソフィストたちは、自分の知識や知恵に驕って自らの無知に無自覚だったのに対し、ソクラテスは自分は何が知らないのかを自覚していたのです。
その点において、ソクラテスは他のソフィストたちより知恵があると神託されたのでした。
余談ですが、「無知の知」という言葉は「自らの知らない事柄を知っている」となってしまいあまり正確ではないので(「自分の知らない事柄を知っている」はずがないので)、「不知の自覚」とか「無知の自覚」とかいう言い方がより正確だとされています。
以上のことから、ソクラテスは、他者との対話を通して、自分が知らないということを自覚すること、すなわち「不知の自覚」をすることが、より多くのことを、あるいはより正確なことを探究することに必要だと考えていたことがわかります。
プラトン
前期
前述のように、ソクラテスの哲学は、プラトンの対話篇としての著作からしか知ることができないのでした。
「ソクラテス」が登場するプラトンの著作は主にプラトンの「前期」の著作とされ、「中期」、「後期」のプラトンの著作と区別されます。
逆に言えば、「前期」のプラトンは、師匠ソクラテスの哲学に共鳴していた部分がありますが、「中期」にかけてその行き詰まりを自覚し始め、やはり対話篇によってプラトン自身の哲学が展開され始めます。
中期
前期のプラトンは、対話を通して「Xとは何か」を探究するソクラテスに共鳴していました。
しかし、いくら対話を通して「Xとは何か」探究していても、ソフィストたちを言い負かすだけで、本当に「Xとは何か」を探究できているのかと疑問を持ち始めます。
このように、プラトンは、「Xとは何か」を探究しているようで、実は「X」を探究できるのであれば、そもそも「X」の何かを知っているはずだし、「X」が本当にわからないのであればそもそもそのために何を探究すべきか検討がつかないはずだと考えました。
これを「探究のパラドクス」と言います。
そして、この「探究のパラドクス」を克服する形で出てくるプラトンの考え方が「イデア論」と「想起説」です。
イデアとは、いわば「Xそのもの」のことです。
想起説とは、いわば「探究・学習は想起である」という考え方のことです。
この考え方は、輪廻転生と不滅のプシュケー(霊魂)が前提にされています。
我々人間は、不滅のプシュケーが元になっていて、肉体に宿すことで死に直面するが、輪廻転生を繰り返します。
しかし、不滅のプシュケーがある真実在(本当の実在)の場所でイデア(「Xそのもの」)を知っていて、この世界の実在において探究・学習をすることで、そのイデアを想起するのだ、という考え方です。
この考え方は、現代の、特に日本人にとっては受け入れにくい考え方かもしれませんが、ある種のプラトンが「探究のパラドクス」を克服するための「仮説」と考えると有効な考え方だと言えます。
後期
後期のプラトンにおいては、最高のイデアは「善のイデア」であると説きました。
「善のイデア」を説明するための有名な比喩に「太陽の比喩」「線分の比喩」「洞窟の比喩」があります。
ここでは詳しく説明しませんが、是非調べてみてください。
こういうわけで、プラトンは、いわば我々が見ている世界は、私たちの認識が肉体や環境(太陽によってものが見えるなど)のせいで仮象のものに過ぎず、「Xそのもの」を認識できていないと説きました。
そして、「X」の探究は想起によってなされるのだと説きました。
アリストテレス
万学の祖
アリストテレスは、プラトンの弟子で、多岐に渡る学問の創始者であることから「万学の祖」とも言われています。
アリストテレスは、様々な学問を分類し、それらについての数々の著作を残しました。
(1)論理学(『カテゴリー論』など)
(2)理論学(『自然学』『形而上学』など)
(3)倫理学(『ニコマコス倫理学』など)
(4)制作学(『弁論術』など)
四原因説
アリストテレスは、師匠プラトンのイデア論を批判しました。
イデア論は、いわば感覚的に認識されるこの世界とイデアという「Xそのもの」の世界を分けて考えたものであって、アリストテレスはそうではなく、個別の物に内在する「エイドス(形相)」と「ヒュレー(質料)」という概念を説きました。
つまり、アリストテレスは、「イデアは内在する」と説いたわけです。
「ヒュレー(質料)」とは素材、材料という意味で、「エイドス(形相)」は、前者と対となる概念のことです。
例えば、「おにぎり」の「ヒュレー」は米で、料理人が米を握ることで、「おにぎり」という「エイドス」を得ることになります。
また、アリストテレスは、さらに、これらの考え方に「作用因(動力因)」と「目的因」を加え、「四原因説」を説きました。
つまり、ある現象には、「質料因」「形相因」「作用因」「目的因」があると考えたのです。
Wikipediaにわかりやすい説明があったのでそちらを参照してください。
可能態と現実態
さらに、アリストテレスは、四原因説に加えて、「可能態(デュナミス)」と「現実態(エネルゲイア)」という概念を説きました。
例えば、種子は「デュナミス」でそれが成長して花という「エネルゲイア」になります。
あるものの機能が開花した形を「エネルゲイア」と呼び、さらにその機能が完全に活かされている状態のことを「エンテレケイア」と呼びました。
「ソクラテス以前の哲学者」に戻りますが、「万物不変」の観点からある現象や物の原因を説いたのがプラトン(イデア論)で、それを批判する形で「万物流転」を説いたのがアリストテレス(四原因説)という言い方もできます。
中庸
アリストテレスは、ソクラテスが展開した「人間の哲学」を継承する形で、「倫理学」についての哲学も展開しました。
アリストテレスは、著書『ニコマコス倫理学』の中で、人間は、徳において「メンソース(中間であること)」が善いと説きました。
ヘレニズム哲学
ヘレニズム哲学は、アレクサンドロス大王の東征出発または没年を起点にするもので、哲学史上の区分としては、「アリストテレス以後の古代ギリシア哲学」ということができます。
エピクロス派
今回は、エピクロス派の中でも、エピクロスのみを取り上げます。
この時代は、ポリスの崩壊とそれに伴う既存の価値観の崩壊に伴って、「人間はいかに生きるか」という倫理的的な問題がありました。
そこで、エピクロスは、次のように考えました。
これに、肉体的な快だけを見るのは危険です。
なぜなら、肉体的な快だけを追求して、なんだか虚しくなり、精神的な快が疎かになれば、快が達成されていないことになるからです。
こういうわけで、エピクロスは、人生において「快」を追求することが「善」だと説きました。
ストア派
ストア派は、エピクロス派が「快」を追求するのが人生だと説いたのに対し、「苦難」をいかに克服していくかが人生だと説きました。
ストア派は、ゼノンによって始められました。
そして、道徳的・知的に完全な人間は、破壊的な感情に煩わされることはないと考えました。
こういうわけで、ゼノン、及びストア派は、「自然に従って生きることが目的である」と考えました。
懐疑主義
懐疑主義、あるいは懐疑論と呼ばれる考え方を始めたのはピュロンだと言われています。
ピュロンは、あらゆる考えを疑い、またあらゆる考えに対して「エポケー(判断保留)」することを説きました。
エピクロス派とストア派は、「人間はいかに生きるべきか」に対して、いわば対立する方向で哲学を展開したと言えます。
確かに、人生は「快」を追求することが善いように見える一方で、「苦難」を「快」の追求によって忌避していれば、善い人生は送れないかもしれません。
このように、ピュロンは、ある考え方に対して、同じ理由で別の考え方も生じてしまうので、人は「正しい考え方」には到達することができないと考えました。
おわりに
以上のことをまとめると次のようになります。
ソクラテス以前の哲学者は、専ら「世界はどうなっているか」を考え、「万物のアルケー」を探究しましたが、ソクラテスは「人間はどうなっているか」あるいは「どう生きるべきか」という「人間の哲学」を創始し、「不知の自覚」を説きました。ソクラテスの弟子プラトンは、「不知の自覚」による探究を疑問視しつつも、それを推し進める形で中期以降「イデア論」と「想起説」を展開し、後期には最高のイデアを「善のイデア」として、「世界の哲学」と「人間の哲学」の両方を合わせる形で提唱しました。プラトンの弟子アリストテレスは、「万学の祖」として、プラトンの「イデア論」を批判しながら「四原因説」を提唱し、「人間の哲学」として「中庸」を説きました。その後時代背景からヘレニズム哲学においては「人間の哲学」が専ら展開され、エピクロス派は「快」、ストア派は苦難を克服しながら「自然」に生きることが説かれましたが、ピュロンなどの懐疑主義者に批判されました。
トップ画像は、プラトン時代のアカデメイアを描いモザイク画(引用:Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%A2)
#10分de哲学 とは、「プロのアナウンサーは視聴者が聞き取りやすいように1分で300文字を読み上げる」ことから、初めて出会った考え方を理解するためには「10分で3000文字を読む」ことが限界だという考えのもと、筆者のアウトプットを主な目的にした、3000文字程度(大幅な増減あり)の不定期な投稿です。
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