ソクラテス以前の哲学者【10分de哲学】
はじめに
哲学には、「哲学史」という一種の学問分野が存在します。
「哲学史」とは、「哲学の歴史」という意味ですが、これを研究対象とするのも学問としてのディシプリンの一つになるわけです。
経済学にも「経済史」がありますし、社会学にも「社会学史」というものがあります。
ではなぜそれぞれ、このような「歴史」を研究するディシプリンがあるのでしょうか。
京都大学のHPに端的でよい説明があったので紹介します。
特に、哲学は「原理」を探究する学問ですから、過去の哲学者たちがどのような対象に、どのような問題意識を抱き、どのように解答しようとしたか、を学ぶことが肝要です。
したがって、哲学史を学習することは、先行研究をサーベイするのに近いものがあります。
また、ソクラテス以前の哲学者とは、哲学史上の伝統的区分の一つです。
哲学を全く知らない方の中にはソクラテスが哲学の創始者だと誤解される方もいらっしゃいますが、ソクラテス以前にも魅力的な哲学者が多数存在していました。
ソクラテス以前の哲学者
哲学の始まり
有り体な言い方をすれば、「死とは何か」「より善く生きることとは何か」など、普段どんな人間でも「哲学をしている」ことになります。
では、「哲学はいつ始まったのか」という問いにどのように答えればいいのでしょうか。
この問いに答えるには、まず「哲学」というのを定義する必要がありますが、そもそも哲学とは一体何なのかを問うこと自体哲学とも言える、という循環に陥ってしまいます。
よって、ここでは、哲学の伝統的な枠組みのアリストテレスの哲学史観に則って、哲学史を見ていくことにします。
ミレトス学派
イオニア地方のミレトスを出身とするタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスの哲学を「ミレトス学派」と呼びます。
タレス
アリストテレスによれば、イオニア地方、ミレトス出身のタレスは、「哲学の創始者」であるとされます。
当時の古代ギリシアは、概ねギリシア神話のような神話的世界観にこの世界の説明を委ねていましたが、そのような感覚不可能な説明ではなく、経験・観測に基づいてこの世界の現象の原理(アルケー)を探究した始めの人物がタレスです。
タレスは、万物のアルケー(原理)を一元論的に「水」だと主張しました。
「一元論」とは、「ある一つの原理であらゆるものを説明する論考」のことです。
確かに、天候も水蒸気のダイナミクスによるものに見えますし、土や建物などの質感も「濡れているか乾いているか」に依存する側面があります。
アナクシマンドロス
タレスの弟子に、アナクシマンドロスという人物がいました。
アナクシマンドロスは、万物のアルケーは一元論的に「ト・アペイロン(無限定なもの)」であると主張しました。
水や元素のような元の構成要素があるのではなく、何か限定できないもののダイナミクスの中に原理を見たのでした。
アナクシメネス
アナクシマンドロスの弟子に、アナクシメネスという人物がいました。
アナクシメネスは、アナクシマンドロス同様、「ト・アペイロン(無限定なもの)」とした上で、万物のアルケーは一元論的に「空気」であると主張しました。
ただし、アナクシマンドロスのように未規定なものではなく、規定されるものだと主張しています。
空気は希薄になると火になり、逆に濃縮されると水に、更に濃縮されると土や石になると考えました。
ピタゴラス派(ピタゴラス教団)
ピタゴラス
「ピタゴラスの定理」や「三平方の定理」で知られるピタゴラスは、万物のアルケーを「数」だと主張しました。
ピタゴラスは、さまざまなモノを「数」の原理のうちに見ました。
音も「数」であると見て「音階」の主要な音程の数比を発見するなどの功績を残しました。
ピタゴラスは、「ピタゴラス教団」と呼ばれる宗教的な結社を立ち上げ、弟子たちとさまざまな数学的定理を発見する一方で、「そら豆を食うなかれ」などという戒律も残しました。
余談ですが、「ピタゴラスの定理」は本当にピタゴラスが発見したのかどうかの真偽はわかっておらず、またピタゴラスは世界は「綺麗な数」によって成り立っていると考えていたため、弟子が無理数を発見した際、教団から追放したとの逸話もあります。
ヘラクレイトス
ヘラクレイトスは、どこの派閥にも属さない哲学者でした。
ヘラクレイトスは、「万物は流転する」と考えた一方で、万物のアルケーを「火」だと主張しました。
ここでいうヘラクレイトスの「アルケー」は、タレスらのアルケーとは少し違うのは、そこに「ロゴス(法則・ことわり)」を見た点です。
この世界の現象は、動的に「万物が流転している」ように見えるようで、そこには何らかの静的な「ロゴス」があるのではないか、と考えたのでした。
ヘラクレイトスの有名な喩えに、河の喩えがあります。
この喩えは、静的に見れば、「同じ河」に足を踏み入れているようで、河は流れ、「同じ水」には足を踏み入れてはいないのであるから、動的に見れば「別の河」だと言うことができるということを表していると言えます。
こういうわけで、これまでの哲学者は、一元論的に「アルケー」を探究してきましたが、ヘラクレイトスはそこに「万物流転」という観点を導入しました。
つまり、万物の原理が仮にあったとして、それが「流転(変化)」すること、そしてそこに「ロゴス」があることを主張したのです。
エレア派
イタリアの都市エレア出身のパルメニデスとその弟子は、その地に因んで「エレア派」と呼称される。
パルメニデス
パルメニデスは、「ある(ト・エオン)」ということについて、徹底的に考えた哲学者です。
これまでの哲学者は、万物のアルケーを探究してきましたが、そもそもの万物の根本となる「存在」について徹底的に探究したのでした。
パルメニデスの有名な哲学は、大別すると三つあります。
一つ目は、「存在一元論」です。
パルメニデスは、「ある」ということから、別の「ある」というものということを考えねばならないと主張しました。
この考え方は、「因果法則」の考え方の成立に大きな影響を与えました。
二つ目は、無からの生成の否定です。
一つ目のことと関連することですが、「ある」から別の「ある」が生成されるのであって、「ない」から「ある」が生成されると考えてはならないということです。
原理的に考えれば、そもそも「ない」のであれば、私たちは「ないものについては考えることができない」のです。
三つ目は運動の否定です。
わかりやすく言えば、ヘラクレイトスの「万物は流転する」の批判としての立場です。
「ある」ものから別の「ある」が生成されたとしても、一元論的に言えばそれは同じ「ある」であって、「運動」はしていないと考えると易しいと思われます。
ゼノン
ゼノンは、いわゆる「アキレスと亀」のパラドクスで有名な哲学者であると同時に、「弁証法(問答法)」の創始者でもあります。
ソクラテスを思い出せば易しいですが、ここでいう「弁証法」とは他人との議論を通じてある主張を証明する方法のことを指します。
ゼノンは、パルメニデスの「存在の一元論」を推し進め、「運動の否定」を「弁証法」によって説きました。
こういうわけで、エレア派のパルメニデスとゼノンは、ヘラクレイトスの「万物流転」に対して、「万物不変」を主張したのです。
多元論者
これまでの哲学者の、一つの事柄がアルケーとする「一元論」的な考え方ではなく、「多元論」的に考えました。
エンペドクレス
エンペドクレスは、多元論的に「四元素説」を唱え、物質的な構成要素を火・空気・水・土の四つであるとし、「万物流転」を促すのは「愛と争い」であると説きました。
あらゆる現象は、「四元素」に集約され、これらが「結合・分離」することで「流転」すると考えたのです。
この考え方は、アリストテレスの哲学にも影響を与えています。
デモクリトス
デモクリトスは、ソクラテスの後に生まれた人物ですが、慣例として「ソクラテス以前の哲学者」に数えられます。
デモクリトスは、多元論的に「原子論」を唱えました。
あらゆる現象は、「原子」という不可分な最小単位の「結合・分離」がなされることで、「流転」すると考えたのです。
この考え方は、アリストテレスの「四元素説」の影響が薄まった後の18世紀の化学者たちに再評価されました。
おわりに
以上のことをまとめると次のようなことが言えます。
タレスが哲学の創始者で、神話的世界説明ではない仕方で万物のアルケーを探究してきましたが、ヘラクレイトスによって「万物流転」の側面が見直され、エレア派の批判を受けながらもアリストテレスの「四元素説」が18世紀まで影響力があり、デモクリトスの「原子論」はそれまであまり評価されてきませんでした。
このように、哲学はある対象に対してさまざまな議論がなされ、段階的に積み上がって妥当な結論に落ち着く側面があります。
哲学の魅力が少し伝われば本望です。
#10分de哲学 とは、「プロのアナウンサーは視聴者が聞き取りやすいように1分で300文字を読み上げる」ことから、初めて出会った考え方を理解するためには「10分で3000文字を読む」ことが限界だという考えのもと、筆者のアウトプットを主な目的にした、3000文字程度の不定期な投稿です。
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