宇田川水 Sui Utagawa

空|月|星|アサーティブ|NVC|レイキ|心理学|バイク|手帳|時間|片づけ|HSP

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最近の記事

自己分析と自己共感。似て非なるもの。

自分を知る。 自分と仲良くする。 そんな取り組みを始めるときに、「自分に聴く」というのがある。 もやッ、とした出来事があったら、 何にもやッとしたのか、 なぜそう思うのか、 自分に聴いて掘り下げていく、というものだ。 これは実はとても難しく、繊細なラインがあると思う。 というのも私は、 そんな風に自問自答するのは得意だったから。 何が原因なのか? ほかに似たような感覚がある出来事は? 本当はどうしてほしかったのか? などなど。 自分に訊いて、分析していく。 ビリー

    • 自分への思いやりのある声かけ

      最近あったこと。 出来事と、それに対する心の動きを綴っている文章を読んで、 「え・・・それってどうなの・・・?」と思った。 モヤモヤする。 何か言いたくなる。 「そうなんだね」と共感して受け止めることができない。 「あなたのその捉え方が、そもそも違うのでは…」 という具合に、言いたくなる。 それって私にとてもよくある、 人に対してアクションするパターン。 なぜそれを言いたくなるのか、というと、 私にもその矛先が向くのかな、 という怖さを感じるからなのかもしれない。

      • ニーズが対立する、ように感じる。

        「ニーズは対立しない」と、 この本にもはっきり書いてあるのですが。 出来事に対して感じたことや、 とった行動の背後にあるニーズを探ると、 必ず、 「満たされなかったニーズ」と 「満たされたニーズ」がある。 私たちの感情や行動は、何かしらのニーズを満たすためのものなのです。 ・・・わかってる。 でもさ、その「満たされなかったほうのニーズ」のほうが、 私には大事なんだよ~~~! ほら、こうやって、ニーズがせめぎ合ってる。 私の中で対立しているんだ~~~! と思っていま

        • 積極的に生きる

          YouTubeで表示されて、なんとなく観た動画が面白かった。 特に若い頃に生きることについて考えたときのことが印象に残った。 私も、生きているのも死ぬのも、どっちでもいいんじゃないか?みたいな感覚を持ったことがある。今もどこかで、そういう意識があるかもしれない。 それでは生きる理由もなく味気ない。 理由は自分で探すしかないから、自分で考える。 そうしてよく出会うのが、 夢をもって生きよう。 大きな目的を持って、目指そう。という言葉。 でも、そういう言葉にどうしても

        自己分析と自己共感。似て非なるもの。

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        • そらの写真
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        記事

          罪をおかした人間は笑ってはいけないのか?

          昨日、許せないことについて書いたあと、 Twitterで小山田圭吾の話題を知った。 これについて、 大昔の記事で糾弾(ネットリンチ)するのはよくない、 というような発言をした人もいるようだ。 私はこの記事について前から知っていた。 以前にもネットで拡散されていた気がする。 率直に、 こういう人の音楽を「いい」って言いたくない と思った。 彼の音楽は好きだったから残念だった。 ただ、いじめたことを笑い話や武勇伝のように話す、 そういうヤツが少なくもなかった、 そういう時

          罪をおかした人間は笑ってはいけないのか?

          「許せない」という思いと向き合う。

          誰かに嫌な思いをさせている私は、 能天気であったり、楽しんでいたり、 気軽で軽いノリだったりしてはいけない。 そういう思いに支配されているときがある。 世の中を見回せば、 セクハラを告発された有名な人たちだって、 その後、またもとのように活動していたりする。 私はそれが許せない。 たとえ一度の過ちでも、それはその人のものであり、 その人を表すものである。 反省したり償ったりすれば、許されるべきだ、 というのは、頭では分かるが、 与えた傷は多少は癒されても、生涯

          「許せない」という思いと向き合う。

          表現しないと伝わらない

          言葉にしないと伝わらない。 意見があったら言わないと、その場にいないのと同じ。 そういう思いというか、信念がある。 ポリシーとかじゃなくて、そういうものなんだ、という、 どこか悲壮感を伴う意識。 小さい頃に親か誰かに言われたんだろう。 だから、言うには言うんだけど、 伝えたい、というよりは、いつも 言わなきゃ伝わらない。 言わなきゃ居ないも同じ。 だから言わなきゃいけない。 という切迫した感覚、言うことを要求されているような感覚がある。 -- もひとつ、 人とつな

          表現しないと伝わらない

          正直に書く。それは批判か、非難か。

          noteに、思ったことをできるだけ正直に、 言葉にして書いてみることをやって1週間。 少しずつだけど、心の中のヘドロというか、 詰まりのようなものが、流れているような気がする。 本や映画の感想が書けない。 そうなってきたのはいつからだろう。 どうしても批判的なところから感想がスタートしてしまう 自分の語りが嫌で、嫌というか、いけない気がして、書けなかった。 世の中は、 何事もポジティブに捉え、 何事にも楽しさを見出し、 自分や世界に優しく、 対立することなく平和であるこ

          正直に書く。それは批判か、非難か。

          「ファーストラヴ」共犯する男と女への断罪

          最近見た映画2本目「ファーストラヴ」。 ストーリーは、臨床心理士が、父親を殺害した女子大生の心理を追ううちに、自身の心の傷と向き合う事になる、というサスペンス。 ストーリーの中心に、家庭環境や性的虐待のエピソードがある。 性的虐待といっても、心理的虐待に近いかもしれない。 実際にレビューに、特に主人公の臨床心理士とその父母とのエピソードについて「こんなのたいしたことないじゃないか」というものが散見された。 いやいやちょっと待て。 そここそがこの作品のテーマなんじゃないの

          「ファーストラヴ」共犯する男と女への断罪

          育ててくれてありがとう。と娘が言った。

          先日、突然熱が出てグッタリした娘。 少し落ち着いた頃、ベッドで添い寝していたら、 「おかあさん。そだててくれて、ありがとう」 と言った。 目を閉じて、少し微笑んでいた。 娘は5歳である。 私は耳を疑った。 いったい誰が、 この5年ちょっとしか生きていない、 まだ滑舌もしっかりしていないふわふわした生き物に、 お母さんが自分を「育てて」くれて、 それに対して自分が「ありがとう」と言う立場にある、 という回路を植え付けたのだ? この陳腐なセリフを誰がこの子に言わせるんだ!

          育ててくれてありがとう。と娘が言った。

          「さよなら、お母さん」生き方を押し付ける自信すらない、焦りの育児

          信田さよ子さんの「さよなら、お母さん」を読んだ。 なぜかというと、私自身が子供を苦しめる母親にならないためにどうしたらいいか?のヒントになるかな?と思ったから。 でも読んだ感想は、 「今の母親ってこういう感じの人いるの?少なくとも私は出会ったことない」 だった。 まぁ私が知ってる「母親」なんて数人だし、子供が少し大きいお母さんたちとは突っ込んだ話もしないから、カウンセリング経験豊富なプロと友達の少ない母親の経験則、どちらが実態に即しているのかはわからないのだが。 とは

          「さよなら、お母さん」生き方を押し付ける自信すらない、焦りの育児

          映画「劇場」、私の殺意。

          さいきん、プライムビデオに興味のある作品が追加されていて、少しずつ見ている。   映画を観る気力のようなものも、ここのところ失われていた。 小説を読む気力のようなものは、もうとっくに失われていたので、読みたいと思いつつ読んでいない小説が原作のものを選んだ。 「劇場」「ファーストラヴ」「マチネの終わりに」の3作。 ひとつずつ、書いてみる。 「劇場」では、主人公の男に殺意を覚えた。 それは、その男の中にかつての(今もか?)自分の要素を見たからかもしれない。 そう、私は私のそ

          映画「劇場」、私の殺意。

          kusokurae

          自分の内面を、 オープンにして、オープンにして、 ぎたんぎたんに傷つきながら生きていく、 という方向に舵を切れ、 ということなのかなぁ… 嫌だなぁ… 「出してみたら、思ったほどではなかった」 とか 「思っていたより世界は優しかった」 だから大丈夫だから出していいよ❤️ とかいうけど そんなことはーさー、 ないんだよ。 なぜなら、私自身が傷つきやすいから。 たとえ優しい世界でも傷つくのよ。 傷つくと回復に時間がとてもかかるから 傷つきたくないんだよ。 日常

          反ワクチンの主張と遭遇したら、私はどういう態度をとるか?を考えた。

          コロナワクチンの接種が話題だ。 以前から、子育て系のコミュニティで反ワクチンの方に遭遇することはあった。定期接種のワクチンについても反対という考えの方。 私にとってはけっこうな地雷なので、この話題はできるだけ避けていた。 しかしこのご時世。 子育て系以外でも反ワクチンの主張に出会うことが出てきた。コロナワクチンについてはいろいろ噂もあり、以前より反ワクチン派だと言いやすくなっているかもしれない。定期接種はするけど、コロナは嫌、という人もいるだろう。 私は、以前からだが、

          反ワクチンの主張と遭遇したら、私はどういう態度をとるか?を考えた。

          生きるとはどういうことなのか

          調べものをしていて、「実存的神経症」という言葉に当たった。 とある心理学の先生は実存的神経症だったと公言している、という記述。 なんだろう?と調べた。 簡単に言うと、生きる意味が分からずに絶望して、重度鬱になったり、あるいは衝動的破壊的行動に出るような、まぁそんなところのようだ。 これはとてもよく分かって、私は思春期で一度「生きることには意味がない」という絶望的結論に行ってしまい、このままじゃやべーな、生きていくモチベーションがないと、ある日ヒョイっと脈絡なく死んでしまう

          生きるとはどういうことなのか

          Difficult Conversations

          価値観が違いすぎるというか、自分と真逆のことを主張する人に出会うと、猛烈にゾワゾワする。 最近で言うなら、例えば、ワクチンに関する考え方とか。 私はワクチン、必要なら打ったほうがいいと思うんだけど、反ワクチンの主張を持った人に出会うと固まってしまう。 私たちが判断できることではなさそうな、医師が語る説を根拠にしたり、陰謀論的なことを信じてそこへの反発からの反ワクチンであったり。 この情報をちゃんと知って自分で判断してほしい、と言うんだけれど、逆に、ワクチンを打ったほうが良

          Difficult Conversations