見出し画像

「許せない」という思いと向き合う。

誰かに嫌な思いをさせている私は、

能天気であったり、楽しんでいたり、
気軽で軽いノリだったりしてはいけない。

そういう思いに支配されているときがある。

世の中を見回せば、

セクハラを告発された有名な人たちだって、
その後、またもとのように活動していたりする。

私はそれが許せない。

たとえ一度の過ちでも、それはその人のものであり、
その人を表すものである。

反省したり償ったりすれば、許されるべきだ、

というのは、頭では分かるが、
与えた傷は多少は癒されても、生涯消えることはない、
つまり、許されることはない、とも思っている。

同じように、私の過ちも、積み重なる。
消えることはない。

他人を許せれば、自分も許せるようになるんだろうか?

あるいは、
自分を許せれば、他人も許せるようになるんだろうか?

過ちを重ねながら生きるのが、人の営みというものだ。

そこに良いも悪いもない。

過ちを重ねる自分。
過ちを重ねる他人。

それを受け入れる。


私の思い、言葉、行動と、そこから生じた結果を
「カルマ(業)」と言うらしい。

カルマは、消えない。
私が許そうと、許さなかろうと。

そう考えれば、
私があえて「許さない」という役割を取る必要も
なくなるのかもしれない。

私のカルマも、消えない。
償う行動をしようと、
申し訳なさそうにしていようと。

どうせ消えないのなら、
そのとき思うように在って構わないのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?