『フィルカル』ってどんな雑誌?長田怜編集長が語る「これまで」と「これから」
『フィルカル』が創刊されてから、今年で8周年になる。
こういうニッチな雑誌は2~3年で廃刊に追い込まれるケースも少なくないが、なぜか『フィルカル』は8年も生き残ってきた。
この不思議な生命力をもつ『フィルカル』とは何ものなのか。どこからきて、どこへ行くのか。
創刊から今日に至るまでの「裏話」を、統括編集長を務める長田怜氏(浜松医科大学医学部准教授)が語る。
(このインタビューは、『フィルカル』Vol. 7, No. 3に掲載されました)
若手研究者がつくる哲学誌
『フィルカル』では、書き手や企画者はもちろん、編集部のような「裏方」まで哲学の若手研究者が担っている。
『フィルカル』巻末の「編集後記」やHPでご覧いただけるが、そこにはバラエティ豊かな若手研究者たちの名前が並ぶ。
一般の商業誌としては珍しい体制だが、この体制が出来上がったのは、『フィルカル』発足の経緯とかかわっていると言えるだろう。
発足の経緯を長田氏はこう述べている。
長田氏がR. カルナップを研究していた大学院生時代に、佐藤暁氏(『フィルカル』現編集長)や稲岡大志氏(現副編集長)を巻き込み始めたのが『フィルカル』だった。
そこから哲学の若手研究者が編集や書き手に加わって、商業誌としては珍しい現在の体制が出来上がっていく。
『フィルカル』の特集系の記事はいつも一般の商業誌に比べて色気(話題性?)が少ないようにも見えるが、その点が哲学の研究者の堅実な性向を示しているようで逆に面白い。
「ライト」な哲学を目指して
しかし、専門家が作っているからといって、『フィルカル』は決して「難しい」雑誌ではない。
ポップなデザインで手に取りやすい表紙もおなじみだ。
なかには学術的にレベルの高い難しい記事もあるが、たいていは読みやすく親しみやすい。
このような特徴は、長田氏の「こだわり」にも由来しているという。
とっつきにくい、難しい、いかめしい…
そういったいわゆる「哲学」のイメージを離れて、あえて「ライト」に寄せていく。
長田氏は、哲学的な「深淵さ」よりも、むしろ「ある種の「ライトさ」「ペラさ」」にこだわる。
この「ペラさ」は、自身の専門であるカルナップの哲学的態度をヒントにしているという。
難しい事柄を難しく表現するのではなく、あえてライトに切り取っていく姿勢だ。
長田氏のこうしたこだわりが影響してか、『フィルカル』ある種さっぱりとした読後感を与える記事を中心としていると言えるだろう。
「ペラい」だけじゃない『フィルカル』の広がり
フィルカルは、「分析哲学と文化をつなぐ」をキャッチコピーにしている。
創刊から現在まで、もちろんこのキャッチコピーは『フィルカル』の軸になっている。
だが、最近では分析哲学や文化に限られない話題も増えてきた。
「学問と勉強のジェンダー・ギャップ」(Vol. 5, No. 1, 2020年)
「京大・緊縛シンポジウムを考える」(Vol. 6, No. 1, 2021年)
「応用することの倫理を考える」(Vol. 6, No. 3, 2021年)
などがそうだ。
最新号のVol. 8, No. 1にも、「ELSIの流れのほとりにて」や「哲学と「セーファースペース」」といった、社会と密接にかかわる特集が並ぶ。
社会における現実的な課題を、しばしば分析哲学以外の哲学的アプローチを用いつつ扱うのが、最近の『フィルカル』の傾向でもある。
そこには、「ペラい」だけじゃない哲学的な熱意がある。
これから先も、あらたな社会的・倫理的な課題に対して、『フィルカル』は『フィルカル』独自のアプローチで向き合っていくことになるだろう。
『フィルカル』制作部
このインタビュー記事の全文は、『フィルカル』Vol. 7, No. 3でお読みいただけます。
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