【試し読み】「女性」で「多様」な哲学者たちの往復書簡(稲原美苗・坂本美理・竹内彩也花・槇野沙央理)
2023年8月31日に刊行される最新号掲載の特集シリーズ『哲学とセーファースペース』。
企画の神戸和佳子氏は、その趣意を次のように述べています。
ここでは、そのうちのひとつ、
稲原美苗, 坂本美理, 竹内彩也花, 槇野沙央理. (2023). 「「女性」で「多様」な哲学者たちの往復書簡」『フィルカル』, 8(2), 160–190.
を紹介します。
本稿では、哲学研究者の稲原氏と3人の若手研究者が、全部で6通の往復書簡を交わし、「連帯」や「語らない自由」など、セーファースペースをめぐるさまざまな論点を多様な観点から照らしだしています。
ここでは、その1通目の書簡の全文を公開します。
Ⅰ 連帯しつつ、画一化に抗う
稲原美苗氏からWOMEN:WOVENへの問いかけ
1通目 稲原 → WOMEN:WOVEN
こんにちは。私は神戸大学大学院人間発達環境学研究科でジェンダー論や臨床哲学の教員をしております、稲原と申します。この度、このような機会をいただき、感謝しております。
津田さん、WOMEN:WOVENによるセーファースペースの形成に向けた取り組みについて詳しく教えてくださり、ありがとうございました。(※)
(※)津田栞里「WOMEN:WOVENの歩み―safer spaceの形成をめざして」『フィルカル』Vol.8, No.2, 148-159を参照。(編集部)
皆様にお伺いしたいことがたくさんあるのですが、その前にまず少しだけ、自己紹介をさせてください。
私は脳性まひという症状と共に生きています。
皆さんには「身体障害者」といったほうがイメージしやすいでしょうか。
脳性まひの症状が比較的軽度だったこともあり、ずっと健常者と一緒に普通教育を受けてきました。
ただ、当時の日本(1970年代後半)では分離教育が主流で、私のような障害のある児童は養護学校へ通うのが当たり前でした。
そのため、小学校に入学したときから私は「マイノリティ」となり、「マジョリティ」である健常児に同化することを目指し始めました。
小学校で頑張りすぎて苦しくなり、ディズニー映画の『ピノキオ』の主人公のように、「いつか健常児になれますように……」と願わずにはいられませんでした。
「なぜ普通でないのがこんなにしんどいのか」という問いをずっと持ち続けていました。
自分の困難を語ることの大切さ―留学経験から見たセーファースペース
そんな私の人生の転機は、オーストラリアのニューカッスル大学に学部留学したことです。
そこでの経験が私の価値観を大きく変えてくれました(定住(学生)ビザの取得には苦労しましたが……)。
私はキャンパス内の学生寮に入ったのですが、そこで支援を受けるためには、私自身にできることとできないことを知らせる必要があり、そのとき、それらについて語ることの重要性を知りました。
寮内の班長や世話人に私のコンディションを伝え、どのようにサポートすればよいのかということをみんなで試行錯誤しました。
日本では自分の障害について語ることもできず、自分にできないことを他人に伝えることも躊躇し続けていた私にとって、そこはセーファースペースでした。
そのような経験をしたのは学生寮の中だけではありません。
1990年代前半までにほとんどのオーストラリアの大学には障害学生支援センターが設置されており、私もセンターで専門の相談員と話し合って、ノートテイクと試験時間の延長の支援を受けることになりました。
「脳性まひの症状と共存するために、少しでもあなたのハードル(障害)を低くしましょう!」と担当の相談員に言われて、目から鱗が落ちました。
「ああ、そんなふうに考えても良いのだなぁ」と、自分が抱えていた支援に対する思い込みが変わった瞬間でした。大学もセーファースペースになりました。
ちなみに、1993年当時、同大学のキャンパス内に保育所が設置されていました。
教職員だけでなく、学生・院生も子どもを保育所に入れて、大学で学ぶのが普通でした。
学生・院生の年齢も多様で、若者もいましたが、一度社会人になった人も、キャリアを変えるために学んでいました。
ジェンダー的に考えても、母親だから大学に来られないということはありませんでした。
さて、私自身の留学経験に話を戻します。
博士課程ではイギリスのハル大学の大学院に進学しました(博士課程で研究テーマが変わり、紆余曲折の後、イギリスへ留学することにしました)。
私の指導教員をしてくださったキャサリーン・レノン(Kathleen Lennon)氏は、2004年当時、哲学の専攻長をしていました。
オーストラリアの大学でも女性の研究科長は多かったので、私自身はさほど違和感を覚えなかったのですが、日本から来た友人に「女性が専攻長なんだ!すごいなぁ……」と言われ、逆にびっくりしたことがあります。
そう言われて初めて、日本では女性がトップになれないのだと認識しました。
レノン氏にその友人の驚きをお伝えしたところ、「この国でも最初から女性が歓迎されていたわけじゃない。社会や大学が変わるように運動をしてきたから、ここまで来たのよ」と語ってくださったことを、今でも鮮明に覚えています。
当時、女性としての私には、ロールモデルが大勢いました。
しかしその後、イギリスや北欧などで職を探したのですが、女性であるという問題ではなく、障害や定住ビザ(外国人)の問題が顕著になり、職を得ることができず、帰国しました。
帰国後
2010年12月に帰国してからは任期付きの職を転々とし、2016年に今のポストに就きました。
私が現在所属している研究科は学際性を重視しており、女性研究者が比較的多いところだという認識です。
以前の職場と比較しても、女性教授比率も高く、女性の専攻長もおり、過去には女性研究科長もいました。
そうした中でもちろん、女性研究者の労働環境を改善する必要性が高まっています。
女性研究者が声を上げにくい構造があるのは確かですが、女性教員同士の横のつながりを強く感じます。
SWIP-UKの紹介―メンター制度・他
イギリス留学中、The Society for Women in Philosophy, United Kingdom (SWIP-UK、イギリスでの女性哲学者のための学会)という組織を指導教員から紹介され、入会しました。
その関係で、SWIP-UK主催の学会で研究発表をすることができました。
SWIP-UKは、学生(主に大学院生)や専門家(主に大学教員)を含む、学術部門内外で働くイギリスの女性哲学者の組織であり、哲学における女性差別をなくすことを目的としています。
WOMEN:WOVENのお話を聞いて、SWIP-UKのことを思い出しました。しかし、違う点もあります。
WOMEN:WOVENは若手の女性研究者が中心となって主体的に活動しておられますが、SWIP-UKは年配の(常勤職に就いている)女性研究者が中心となって、若手の女性研究者に様々なアドバイスをしているイメージでした。
SWIP-UKも立ち上げ時のコアメンバーは若手が多かったと思うのですが、その後は、女性研究者のキャリア設計や大学での教育・研究のノウハウのような具体的な助言や、若手女性研究者が発表機会を得られる学会やシンポジウムの企画運営など、よりキャリアを積んだ女性研究者が若手研究者をサポートする体制をとっていったことが、SWIP-UKの意義であったように思われます。
現在では、イギリスの大学は女性比率が高まってきてはいますが、まだまだ女性比率を高めて差別を改善する必要があると、SWIP-UKは訴え続けています。
この組織の代表的な活動の一つとして挙げられるのが、メンター制度です。
「なぜメンター制度が必要なのか?」という点がHPに掲載されており、要約すると次のようになります。
イギリスの哲学界では、修士課程の大学院生から教授に至るまでのあらゆるレベルにおいて、女性の割合が低くなっています。
メンター制度は、女性が自分の可能性を実現して学術的なキャリアを発展させるために役立つような、貴重なスキル、アドバイス、視点、経験を得ることができる、重要な制度です。
しかし、男性優位の分野で活躍する女性は、男性の同僚に比べて、メンターリングを受ける機会が非常に少ないという調査結果があります。
このことを念頭に置き、SWIP-UKでは、博士課程1年生から上級講師までのすべての会員が、希望すればメンター制度を利用できるように、イギリス国内にスキームを開発しました。
このメンター制度の目的は以下の通りです。
男性優位の環境において、女性哲学者が自信を持てるよう支援し、孤立するのを防ぐ。
より多くの女性が哲学の世界にとどまり、より上級の職務に就くことを奨励する。
女性が直面している問題について議論する機会を提供する。
女性の個人的なキャリア形成について、十分な情報に基づいた助言を行う。
哲学における女性の知名度を上げる。
SWIP-UKは、メンター制度だけではなく、学会の年次研究大会や集中講義など(サマースクールも含む)の企画・運営、少額の研究助成(イベント開催運営費、参加費など)をしています。
また、哲学における女性差別をなくすことを目的に、英国哲学会と共同で「グッドプラクティス・スキーム」を運営しています。
さらに、SWIP-UKの活動に関連する出版物、国際的な姉妹組織へのリンク、イギリス国内の哲学分野の女性支援グループの詳細などの情報を、TwitterなどのSNSを駆使しながら、幅広い層の女性哲学者に発信しています。
WOMEN:WOVENへの質問
WOMEN:WOVENの皆様にお聞きしたいことがあります。哲学研究を続けていくうえで、どのような場であれば、セーファースペースだと思いますか。
WOMEN:WOVENのご活動について伺い、女性哲学者が女性として語る場所が少なかったことがよくわかりました。
WOMEN:WOVENのイベントでは色々なことに配慮されていて、特に登壇者を選ぶ際、博士後期課程以上で哲学を専攻している女性研究者であることのほか、キャリア、地域、出身大学、専門などのバランスに気をつけていらっしゃるとのことでした。
理由としては、女性研究者のイメージを画一化されないために、多様性を重視するためだとおっしゃっていましたが、もう少し具体的に教えていただけないでしょうか。
というのも、私自身、女性教員比率が他の大学より高いところで勤務しているのですが、障害というキーワードを入れると、実はなかなか難しい問題に直面することが多いのです。
日本では、障害のある女性が教員になっているケースが少なく、ロールモデルが不在のままです。
ただその一方で、障害があるから、女性が直面している問題を回避できることもあります。
私の場合、女性としてのキャラクターが不在なのです。
たとえば、私には構音障害があり、懇親会のような場所で話すことは苦手だと他の参加者の皆さんが察知するので、誰も私のところに来て「女性キャラ」を求めたりはしません。
とはいえ、実はたいていの場合、懇親会へ行くとご迷惑になると思って、行かないことが多いのですが……。
後日メールで連絡を頂くケースも多かったです。
(どうして迷惑になると考えてしまうのかが、私に対する大きな謎ですが……。行きたいと思っているなら、懇親会に行けば良いのです。ですが、懇親会に行っても、ただただ黙々と食べ続けていて、参加者の皆さんとも交流できないので、参加する意義があまりないように感じてしまいます。だから、参加を躊躇するのでしょう。)
私の留学経験から、環境が変われば能力も高くなる、というのはお分かりいただけたと思います。
では、どうすれば、セーファースペースを作っていけるのか。
日本のジェンダー観やジェンダー規範は少しずつ変わってきていると思うのですが、それでもまだまだだと思います。
「普通」の呪縛が私たちの行動をコントロールしてしまう。
そんな中で、環境を変えるためにはどうすればよいのでしょうか。
男性も女性も両方の意識改革をする必要があるのだと思うのですが、方法としてどのようにしていくと実現できるのか、ずっと考えています。
〔…〕
続きは最新号でお読みいただけます。
著者紹介
稲原美苗 Minae Inahara
神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授。専門分野はジェンダー論、現象学、障害の哲学、臨床哲学。主な業績に/Abject Love: Undoing the Boundaries of Physical Disability /(VDM Verlag, 2009年).『フェミニスト現象学入門―経験から「普通」を問い直す』(共編著、ナカニシヤ出版、2020年). "The art of pain and intersubjectivity in Frida Kahlo’s self-portraits" in D. Padfield and J.M. Zakrzewska (編著) /Encountering Pain: Hearing, seeing, speaking/ (UCL Press, 2021年: pp. 219–29). 「コロナ禍で見えてきたもの―ニューノーマルと障害者についての哲学的考察」井上達夫責任編集『法と哲学』第8号(信山社、2022年: pp. 107–32). 『フェミニスト現象学―経験が響きあう場所へ』(共編著、ナカニシヤ出版、2023年近刊) など。
坂本美理 Miri Sakamoto
東京大学大学院死生学応用倫理専門分野博士後期課程。専門は応用倫理学、特に生殖や養育、親であることについての倫理。日本学術振興会特別研究員DC1。2022年6月より、WOMEN:WOVENのオーガナイザーを務めている。
竹内彩也花 Sayaka Takeuchi
現在は京都大学文学研究科博士課程在籍。専門は近代日本哲学、特に西田幾多郎をはじめとする京都学派の哲学。日本学術振興会特別研究員DC1。2022年6月より、WOMEN: WOVENオーガナイザーを務める。
槇野沙央理 Saori Makino
ウィトゲンシュタイン研究者。いわゆる専業非常勤。眠れる方法を知りたいです。
記事の電子化にあたり、最低限の編集を行いました。
(フィルカル編集部)