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【試し読み】山野弘樹「VTuberはいかなる意味で 二次元/三次元的な存在者なのか?」『フィルカル』Vol.8, No.2

『フィルカル』最新号(Vol.8,No.2)の刊行に合わせ、来たる2023年9月1日、トークイベント「VTuberの哲学:Vtuberとビデオゲームの世界」を開催します。

イベントでは、最新号に掲載の論文「VTuberはいかなる意味で二次元/三次元的な存在者なのか?」(244–280頁)の著者、山野弘樹氏にご登壇いただきます。

ここでは、その論文の冒頭を抜粋して紹介します。


追記(2023/8/19)著者からコメントが届いています!



出典:山野弘樹. (2023).「VTuberはいかなる意味で二次元/三次元的な存在者なのか?」『フィルカル』, 8 (2), 244–247.

近年、急速に「VTuber文化」*1とも言える一大ムーヴメントが広がりつつある。最近では、アーティストの一発撮りのレコーディングを配信する企画「THE FIRST TAKE」にVTuberの星街すいせいさんが出演したことで大きな話題になった*2。

しかし、こうしたVTuber文化の隆盛と相まって、現在活躍しているVTuberたちが拙速に(いわゆるアニメ的なフィクションとしての)「二次元キャラクター」として理解される傾向にあるのもまた事実である。
実際、2022年7月30日のインタビュー記事の中で、VTuberの樋口楓さんは「これまでの活動のなかで一番大変だったことは何ですか?」という質問に対し、「2次元キャラクターとして捉えられていたことです」と答えている*3。

私たちはVTuber文化(およびそこでクリエイティブな活動に従事するVTuberたち)を適切に理解するときに、「二次元キャラクター」という通俗的な概念(さらには「二次元文化」という枠組み)をそのまま用いることはできない。
しかし問題を複雑にしているのは、そもそもVTuberには「二次元」的な性質と「三次元」的な性質の双方が見出されるということである。

えーっと……うーん、見えてますか?聞こえてるかな?はじめまして!私の名前はキズナ・アイです。どうぞよろしくお願いします。普通のYouTuberと違うぞと思ったそこのあなた!なかなか鋭い。私、実は……二次元なんです!あれ?3Dだから……三次元?んー、まぁ……とりあえず、「バーチャル」ってことで!*4

今日のVTuber文化の象徴的な始祖、キズナアイさんが述べるように、VTuberはある側面において「二次元」的な存在者であり、また別の側面においては「三次元」的な存在者である*5。
しかし、それではVTuberとは、どのような意味で二次元/三次元的な身体を有し、どのような意味で二次元/三次元的な空間に位置づけられるのであろうか?
言い換えれば、VTuberとはいかなる意味で二次元/三次元的な存在者なのだろうか?
さらに言えば、私たちはVTuberの活動実践から、(通俗的な意味での「二次元」という言い回しに含意されている)「フィクション」としての性質を見出すことははたして可能なのか?
本稿はこうした問いに答えることを通して、VTuber文化の担い手であるVTuberという存在を適切に理解するための一つの枠組みを提示することを試みる。

構成

本稿の構成は以下である。まず第一節において、私たちは次の三つの観点からVTuberの存在する画面の記号を概念的に分節する。
すなわち、画面を構成する記号が①「何によって(by what)」、②「何を(what)」、③「いかにして(how)」映し出しているのかという三つの観点である。これは美術史の様式論における伝統的なアプローチであるが、はるかに遡るのであれば、そもそも『詩学』においてアリストテレスが詩作術を分析する際に用いた三つの区分でもある*6。
この三つの要素をそれぞれ①「表象媒体」、②「表象内容」、③「表象様式」、という仕方で呼び分け、この三つの水準を明確に区別しながらVTuberを表示する画面を分析するための枠組みを提示するのが第一節の役割である。

続けて第二節において、私たちは次の二つの観点を提出することで、VTuberの二次元/三次元的な性質を検討する。
一つが(A)身体の二次元/三次元性であり、もう一つが(B)空間の二次元/三次元性である*7。前者は「VTuber自身が二次元的か三次元的か」を検討する観点であり、後者は「VTuberが存在する空間自体が二次元的か三次元的か」を検討する観点である。
身体の二次元/三次元性は、さらに三つ(「図像」・「挙動」・「移動」)に分析され、空間の二次元/三次元性は、それぞれ「フィクショナルな原理」および「バーチャルな原理」を軸に分析がなされる*8。

最後に第三節においては、「フィクショナルな空間」(およびそこでフィクショナルな行為を行うVTuberの配信実践)をより詳細に分析するべく、VTuberの「ゲーム実況」*9の事例を集中的に検討する。
数あるVTuberの配信コンテンツの中でも、なぜ本稿においてゲーム実況を主題的に扱うのか。
それは、「フィクショナルな原理」(後述する「メイクビリーブ」の実践)によって、VTuberの存在する空間性がより多層的なものになるという配信実践(および観賞実践)を捉えることができるからである。
実際のところ、VTuberが存在するフィクショナルな空間を分析するためには、第二節において行った形式的な議論だけでは足りず、フィクショナルな空間を生み出すメイクビリーブの多層性そのものを第三節においてより詳細に分析する必要がある。
こうした多層的なメイクビリーブの実践を通して、VTuberは表象内容としてフィクショナルに三次元的な存在者にもなりうるのである。
この三次元性は(実際にバーチャルな三次元空間を動き回る事例とは異なり)あくまでフィクショナルにのみ成立するものであるが、あたかもVTuberがビデオゲームの世界に入り込んでいるかのように見させる立体的なゲーム実況上の演出によって、VTuberの観賞実践そのものが多層化される諸相を私たちはつかみ取ることができるだろう。
また、VTuber本人はフィクショナルな存在ではないにもかかわらず、ゲーム実況を通して時にフィクショナルな存在にもなりうるという事態を見定めることは、今日のVTuber文化を担うVTuberたちを適切に理解するための試みとして一定の意義を有することだろう。

〔…〕


つづきは最新号をcheck!

  1. 本稿は「VTuber文化」という表現において、「キズナアイ」や「電脳少女シロ」、「ミライアカリ」などの活動に端を発し、現在破竹の勢いで幅広い活躍を見せている二大VTuber事務所「にじさんじ」および「ホロライブプロダクション」所属のVTuberたち、さらにその二つの事務所の活動形態に大きな影響を受けている企業勢および個人勢のVTuberたちの活動実践を暫定的に指している。こうした理由から、本稿においてはさしあたり上述のVTuber文化を担っているVTuberたちを事例として想定している(言い換えれば、例えば『ワンピース』に登場し、3Dモデルの姿も有している「ウタ」のような存在は本稿において念頭に置かれていない)。しかし、時代の流れに応じてこうしたVTuber文化の在り様や活動形態が変化するのは言うまでもなく、また本稿が事例として想定していないVTuberたちが「VTuber」のカテゴリーから排除されているわけでもない。

  2. THE FIRST TAKE「星街すいせい -Stellar Stellar/THE FIRST TAKE」(最終閲覧日:2023年3月17日)

  3. 詳しくは次の記事を参照。HOMINIS「アーティストとしても活躍!にじさんじ所属のVTuber・樋口楓がこれまでの活動を振り返る!「私という存在を理解していただくまでにとてつもない時間がかかりました」」(最終閲覧日:2023年3月17日)。なお、自らが「ネットのキャラ」、「架空のキャラクター」と呼ばれることを積極的に肯定する周央サンゴさんのような事例や(最終閲覧日:2023年3月17日)、「自身がフィクション性を帯びていること」を肯定する(むしろそれを演出技法の一つとする)VTuberもまた存在するという事実は指摘されなければならない。「VTuberとフィクション性」をめぐる問題については、さらに別稿にて詳細に論じる必要があるだろう。

  4. キズナアイ「【自己紹介】はじめまして!キズナアイですლ(´ڡ`ლ)」(最終閲覧日:2023年3月17日)における0分1秒〜0分29秒までのセリフ。なお、動画内で表示されるテロップに従い、ここに限り「キズナ・アイ」という表記を用いる。

  5. 本稿においてはさしあたり「二次元」(ないし「平面」)という言葉で「X軸とY軸の二つの座標軸(典型的には「縦」と「横」)によって構成される次元」を意味し、「三次元」(ないし「立体」)という言葉で「X軸、Y軸、Z軸という三つの座標(典型的には「縦」・「横」・「奥行き」)によって構成される次元」を意味している。

  6. 「しかしこれらのものは、三点において異なっている。すなわち、第一に、異なった媒体において再現し、第二に、異なった対象を再現し、第三に、同じ方法ではなく、異なった仕方で再現する、という点において異なっているのである」(内山勝利ほか編『アリストテレス全集第18巻』岩波書店、2017年、480頁)。

  7. 確かに、三次元の身体を持つ存在者は三次元の空間に存在し、二次元の身体を持つ存在者は二次元の空間に存在する(すなわち身体と空間の次元が一致する)というのが自然である。しかしVTuberの場合、後述する「おうち3D」と呼ばれるコンテンツに代表されるように、「身体の挙動は三次元的であるが、空間は二次元である」という状況がしばしば生じる。こうした事態を分析するために、「身体性の二次元/三次元」と「空間性の二次元/三次元」を分けて論じる必要がある。

  8. ここでは、ある一連の事柄を成り立たせる規則といった意味内容を表すために「原理」という言葉を用いている。そうした意味合いから、本稿においては「フィクショナルな空間」を成り立たせる「メイクビリーブの実践」を「フィクショナルな原理」と呼び、「バーチャルな空間」を成り立たせる「三次元の空間性」、「実時間の相互作用性」、「自己投射性」の三要件を「バーチャルな原理」と呼んでいる(詳しくは2.2(B)および2.3(B)にて後述)。

  9. 本稿においては、株式会社メディアクリエイトが開催する「ゲーム論文大賞2022」で優秀賞を受賞した中村鮎葉「国内ゲーム実況ライブ配信におけるチャンネルのコミュニティ的性質の統計分析」の議論に則り、「ゲーム実況」を「他者であるゲームプレイヤー(以下「プレイヤー」)がビデオゲームをプレイする様子を、インターネットのサービスを通じて鑑賞する行為」として定義する。この定義に従えば、例えば(囲碁やチェスなどの)アナログゲームをインターネット中継し、それに対して「実況」を加える行為が「ゲーム実況」と呼ばれることはない。


誌面掲載記事の電子化にあたり、必要最低限の編集を行なった。
フィルカル編集部


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